子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

おめでとうK先生

おめでとうK先生

娘の担任になった先生が、「男の先生だ。」くらいに聞いていた。
二000年四月のことであった。
子どもの会話から、
子どもに寄り添う人間味あふれる先生であることは、わかってきた。
忘れもしない、二000年の七月一日の日に、
我が家に突然来ていただき、
校内研修の話になり、『作文教育』の話になった。
さっそく田中定幸先生に連絡を取り、校内研修は決まった。
やがて作文教育の話が、娘を通じて少しずつ伝わっていった。
いくつかの私のささやかな実践を娘に手渡した。
「お父さん、今日もお父さんの指導した作文をみんなで読みあったよ。」
照れながら話す娘の顔は、うれしそうだった。
ご自分が校内研修のスタートのために、「研究授業」をされることになった。
授業の前の日に我が家に電話がかかった。
その日執行委員会が終わり、外でいっぱいやっていた。
十時過ぎて、妻から、
「今、K先生から電話があり、すぐに帰って来い。」と言う電話がかかってきた。
すっかり酔いも醒めて、一時間かけて、我が家についた。
十一時を過ぎていた。
すぐに授業に使う子どもの作品を読んだ。
作品がすばらしかったので、作品分析のねらいはすぐに決まった。
そのあとに、電話をかけた。
三十分ほどの話を終えて、電話は切ったのが十二時を過ぎていた。
授業を終えた娘の話から、活発な授業であったことが推察できた。
しかし、私がいまでも忘れないのは、
娘の六年生の二学期の保護者会の時であった。
「たまには、あなたが出てよ。」
と言う、妻の言葉にそそのかされて、はじめて参加した。
その保護者会のあとに、残って少しお話をして、
「酒場に行った。」    
その時、ぼくは、「班日記」の楽しさを少しだけ語った。
六年の最後の三学期から、そのすごさは遺憾なく発揮された。。
子どもの文のあとに、親の添え書きをすると楽しく充実したものになることや、
教師も文章をいっしょになって書くことの楽しさを、見事にやり続けた。
娘の番が回ってくる班日記には、私も応援団のつもりで、たくさん書いた。
その班日記は、六年生の卒業間近まで続いた。
K先生も、ご自分の少年時代の思いを感動的に綴ってくださった。
三年たった「作文と教育」の八月号。
転勤された新しい学校で、作文教育を継続され、応募した文集が「新人賞」になった。
その「受賞の喜び」の文を読み、K先生のお人柄にますます惚れた。
自分の子どもの担任が作文教育のすばらしさに魅せられてくれたことが、心からうれしい。
 2003.7.21 豊島作文の会一日合宿の日に

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