子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

その3 戦争体験の聞き書き

その3 戦争体験の聞き書き

滝保清さんの戦争体験をじっくり聞いて

東京大空襲を体験した滝さん

東京大空襲の体験者の話を聞いて
 私が長いこと勤めていた墨田区は、東京大空襲の被害の大きかった地域である。私が、墨田区に異動したのは、一九七五年である。保護者の中には、大空襲の中を逃げ回った人が何人かおられた。言問橋のたもとにある学校だったので、毎日その橋を渡って学校に通った。橋を渡るとき、所々に黒くシミがついていた。「あれは、大空襲の時にたくさんの人がそこで焼け死んだ、人間の油ですよ。」とあとから、保護者に教わったりした。今は、橋も新しくなり、その証拠はなくなっている。一九四五年の三月十日の晩だけで、アメリカ軍のB29から落とされた焼夷弾で、一晩で十万人の人々が亡くなった地域である。墨田区は、「平和区宣言」をしている区なので、「平和集会」を開いている学校がたくさんある。滝さんは、家具屋さんの社長をしている方で、大空襲の時は、十七才の少年だった。自分が体験したことを、たんたんと話される方で、色々な方の体験を聞いてきたが、大変上手な方のお一人だった。
 話を聞く前に、子どもたちには、事前の授業を少しばかり持った。一番大事なことは、話し手の顔の表情をよく見て、話してくれる内容をしっかり聞くことを強調しておひこうひこう滝さんのお話を聞いて
      墨田区立堤小学校    六年 矢多部 航時
 三月九日の月曜日の今日のことです。四時間目に、平和集会がありました。集会は、ランチルームで行われました。みんなすわっていると、見慣れない人がいました。それは、おじいさんです。ホワイトボードに、
「語りべ滝さん」
と書いてありました。
(この人が、滝さんだな!) ①
と思いました。ぼくは、
(今日は、どんなことを話すんだろう。東京大空襲て書いてあるから、東京大空襲のこ  とを話してくれるんだな。)②
と思いました。ぼくは、
(よし!また新たな勉強ができるぞ!)③
と思いました。しばらくたつと、滝さんの話が、始まりました。最初は、けいほうが鳴ったというのから始まりました。ぼくは、ドラマなどで、こういうけいほうのサイレンは聞いたことがありますが、滝さんの話によると、
「このサイレンとともになってくるけいほうの放送は、聞くだけで怖いです。」
とのことでした。戦争当時に生きていた人たちは、このサイレンとけいほうを聞くたびに、
(どれだけ怖い思いをしたのかな?)④
と思いました。どんなにねむくても、あのけいほうが鳴るとねられないし、ずっと起きてなきゃいけない。あのけいほうだけでも、こんなに大変だったあの時代の人たちは、
(ほんとうに苦しかったんだろうなあ。)⑤
と思いました。だけど、『夜中の十二時、せめてきたぐんは、帰りましたよう。』と言うけいほうが鳴って、滝さんは安心して、二階にある寝室に向かい、寝ようとしていました。だけど窓が明るいので、窓を開けてみました。すると、橋がもえていた。滝さんは、あわてて、家族でにげようとしました。お母さんは、幼い娘(滝さんの妹)を友人の家にあずけに行こうとしました。その時、滝さんは、
「必ず帰ってきてよ!」
とひっしに。母に言いました。だけど、木の板に火がついたりしました。火の玉が飛んできたりしたので、町中が、火災になっていました。滝さんや滝さんのおじいさん、おばあさんはにげようとしました。滝さんのおじいさんは、足が悪いので、歩けなかったのです。滝さんは、おじいさんをおぶって、にげようとしたのでした。ぼくは、
(すごいなあ、こんなまわりに火だらけで熱いのに、おじいさんをおぶってまでして、に げるなんて・・・。) ⑥
と思いました。でも、おじいさんのせなかに火がつきました。滝さんたちは、せなかの火をひっしに消しました。消したは消したものの、今度は、おじいさんの足もとに、火がつきました。ふつうは火のつきにくいおじいさんのズボンだったが、ほうたいに火がついてしまったのです。ぼくは、
(うわあ~、大変だな。) ⑦
と思いました。
(火にもえて、熱かっただろうな。) ⑧
と思いました。もう、どうすることもできなかった滝さんは、おじいさんをそのままにして、お母さんを探しに行きました。お母さんがあずけに行ったところの近くに行きました。このときは、視界にけむりがいっぱいで、前がよく見えなかったりしたと言っていました。けれど、ちょうど目の前にお母さんがいました。ぼくは、
(よかったあ、お母さんが見つかって、このまま見つからなかったら、滝さんはどうなっ てたんだろう・・・。) ⑨
と思いました。滝さんは、お母さんに、
「おじいさんは助けられなかった・・・、おばあさんは一人でにげた。」
と言いました。ぼくは、
(戦争って大切な家族や親せき、いとことかをなくして、いやだなあ。) ⑩
と思いました。この後、滝さんとお母さんは、空き地に行ったけど、荷物や人混みのせいで中に入れませんた。だから、中和小学校に行きました。学校は、てっきんコンクリートで、だいじょうぶだからと言って、お母さんと滝さんは、中に入りました。だけど、学校の中にも、火が入ってきました。ぼくは、
(ああ、学校の中に火が入っちゃった!だいじょうぶだったのかなあ。火は、消せたのか なあ。) ⑪
と思いました。消火活動をしていた。滝さんは、いつの間にか寝てしまいました。ぼくは、
(夜中の十二時過ぎで、また子どもだから、たえきれないよなあ。) ⑫
と思いました。
 やがて滝さんは、目をさました。その時は、朝でした。火は消えていました。あの光景は、なくなっていました。しかし、滝さんは、あるものを見ました。それは、どろのかたまりが、校庭の真ん中に置いてある光景でした。ぼくは、
(何でどろなんて置くんだろう・・・。おかしいなあ・・。もしかして、滝さんは、死体 の山のことを、どろの山とかんちがいしてたのかも・・・。) ⑬
と予想しました。すると、それはあたっていました。滝さんは、よく見ると、やけた人の死体でした。ぼくは、
(この光景を見た滝さんは、どういう思いだったのかなあ。) ⑭
と思いました。この、人の死体の山を見た滝さんは、
(きっとすごく悲しかったんだろうなあ。) ⑮
と思いました。ぼくは、
(でも、あのとき、滝さんとお母さんは、学校にひなんしたから、助かったんだなあ。)
と思いました。
(滝さんは、あんな戦争の中、死なずに、すごいなあ。) ⑯
と思いました。ぼくは、
(滝さんの心に負った傷は、一生消えないなあ。) ⑰
と思いました。
 
 話を聞き終わって、午後の時間をとって作文の時間にした。みんなが書いた作文は、滝さんに印刷して届けますので、できるだけくわしく書いて下さい。また、話を聞いて、強くそのとき心に残ったことは、普通かっこ(・・・。)を使って、自分の気持ちも入れて書いてみようと言って書いてもらった。この子は、①~ ⑰ まで、そのとき思ったことを思い出してよく書いている。また、話し手である滝さんのしゃべってくれた内容を、よく思い出して会話の形にして書いている。長いこと聞き書きをしてきたが、「話し手」がきちんと事実を語ってくれること。「聞き手」である書き手の子どもが、それをしっかり聞き取り、よく思いだして書けること。最後は、そのときの聞き方や、書き方をポイントを押さえて教えることである。この三人の方が、うまくかみ合うと、すぐれた作品が出来上がる。私は、完成した作品の何点かは、印刷して読み会う〈鑑賞〉ことにしていた。そこで、クラスの他の子どもたちの感想を発言させた。そこで、すぐれた書き方などを出してもらったり、ここは、もう少しくわしく書いた方がいいのではないかと指摘し合うようにしている。鑑賞の時間は、本人が一番うれしい時間だし、他の子どもたちも「物の見方や書き方」をたくさん学べる時間になる。
 これからは、一年に一回くらいは、「年配の人から、昔の体験したことで、心に強く残っていることを聞き書きしよう」と指導題目を立てて、子どもに取り組ませたい大事な課題ではないだろうか。
2025年8月「作文と教育」への原稿

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