子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

アーサー・ビナード

アーサー・ビナード

 歴史のコピー機 アーサー・ビナードさんの講演

午後から晴れてきたので、板橋区から、大好きな自転車で、待ち合わせの両国駅に現れた。事務所へ案内すると、汗にぬれたTシャツを着替え、こちらで用意したペットボトル水には、「僕は水道水です」と受け流して、講演は始まった。この講演依頼を引き受けるにいたったいきさつをユーモアを交えて語り、本題に入った。
 アーサー・ビナードさんの記念講演は、墨田教組組合員だけでなく、他地区の方、OB/OGの方で満員の中で開かれた。

二大政党の「からくり」

 ご自分のアメリカ合衆国(以後合衆国)の二大政党の「からくり」を、具体的に話された。
合衆国憲法は、憲法そのものはすばらしいのだが、内実を失ってミイラ憲法になってしまっている。それを今の日本の状況に重ねてお話を展開された。
合衆国では、現在共和党・民主党以外にいくつかの政党が存在している。しかしながら、それらの政党は、大統領選挙に至る過程で、完全に抹殺されてしまう。つまり少数の民意の代表の声は、反映されないのだ。
小選挙区制の前の日本は、中選挙区制であり、いくつかの政党がそれなりに民意を反映した形になっていた。それが現在は政権交代が焦点化されても、既に二大政党の袋小路に入ろうとしているという。合衆国がまさに陥っているように、いずれの政党も資本の思惑通りに動くために存在し、真の味方となる候補者・政党を消すことになってしまう。この袋小路に入らず、踏みとどまり、それ以外の道にいけるのか、私たちは試されている。

一票の重みは、合衆国の方が軽い

 日本でも選挙後話題になる一票の重みは、合衆国ではどうなっているか。日本では、一票の重みが三分の一から、四分の一位になると、国民が違法性を訴えて、最後は裁判所が、「是正するように」と判断し、時々定数を是正している。ところが、合衆国の大統領選挙は、大統領を選ぶ選挙人は各州二名と決まっている。三千六百万人のカルフォルニア州からも、二百九十万人のアイオア州からも大統領を選ぶ選挙人は、二名なのだ。一票の重みは、日本など問題にならないくらい大きな差である。アイオア州の人口を元にすれば、カルフォルニア州は、二十四人の選挙人が出せる計算だ。それを各州一律にして、大統領選挙に巨額の金をかけてお祭り騒ぎのようにして行われている。あの雰囲気の中で矛盾を正当に指摘する論調は、すべて封殺されてゆくのだ。
また、アメリカの軍事予算は、合衆国の人々の税金から徴収されているのは当然だが、信じがたいことに、予算全体に占める割合も、どのくらい使われているかも、秘密のベールに包まれている。CIAの予算は非公開なのだ。レトリックにも巧みなごまかしがある。「戦争のための予算」がいつの間にか「国防のため予算」にすり替えることによって「戦争とは」という論議、判断をせずに軍事予算を増やせるのだ。

憲法九条は、血の通った法律だが

 日本の憲法には、九条で「武器を作らない。戦争をしない。」と書かれている。だから軍隊は作れない。それを巧妙に「警察予備隊」「保安隊」「自衛隊」と名を変え、現在に至る。かっては「ソ連脅威論」や「中国脅威論」をマスコミに作らせ、現在は「北朝鮮脅威論」に行き着く。7月3日には、ソマリア沖の海賊出没を口実に、「海賊」対処法が強行成立した。これは、期限を切った「特別措置法」のようなものではなく、恒久法として成立したのだ。合衆国が、「戦争」を「国防」に変えたと同じようなすり替えが行われている。このままでは、九条もミイラ化してしまう。幸いなことに「九条の会」が全国で立ち上げられ、平和憲法を守る動きもでてきた。そう簡単には「戦争への道」は行かせない。また、行かせてはならない。
何か悪い法律を通すときは、国民の目をそらすために、必ず別な事件をでっち上げる。「海賊」対処法が通ったとき、「草彅剛逮捕」のニュースが出た。昔「白装束集団」が、話題になっていたときも「自衛隊の海外派遣」が決まったのではなかったか。政府、マスコミの巧妙なごまかしには注意する必要があるだろう。

私たちは戦前を生きている

 「百年に一度の経済危機」とよく言われる。一九二九年の、世界恐慌から数えれば、八十年目なのに、それを百年という曖昧な言葉でくくる。なぜ「百年」なのか。一人の個人の記憶では及ばない時間単位で表すことにより、現在の状況を、あたかも大地震や津波と同じような天災だと言いくるめようとしている。経済の破綻を修復するものとしての第三次世界大戦も考えられる。「ぼくらは戦前を生きている」という言葉が胸に突き刺さった。私たちは、未来から戦争責任を問われているのだという自覚を持たねばならない。
“History repeats itself”。この言葉にふれて、ビナードさんは言う。自然現象のように歴史を語ろうとするのはまちがいだ。この表現では、戦争はまるで天災であり、時のめぐりであるようにごまかしている。繰り返すには「原稿」が必要だ。
「海賊」対処法は、まさに繰り返すための「原稿」である。さまざまな権力の思惑の法律が、三分の二という勢力で、通されてた。このような「原稿」がコピーされていくことにより、憲法から血が抜き取られミイラになってしまうことが危惧されている。
「歴史のコピー機には、今や『お待ちください』の表示は消えている。今、ボタンを押させないこと、『原稿』そのものをコピー機から取り出し捨てることを私たちはしなくてはならない」。ユーモアをこめながら、最後の締めくくりを、表題とつなげて語られた。
アーサー・ビナードさんの見識・造詣の深さと感性の鋭さ、そして人間としての暖かい視線に接することができた貴重な時間だった。

終わりに

 毎日の仕事の多さに忙殺され、ともすると目先のことだけに終始している私自身だが、アーサー・ビナードさんの言葉「戦前を生きている」を胸に刻み、責任を持ち、自分のできることを正しく見つめ行動していかねばならないと強く感じた。また、時間があったら、ひょっこり「別な問題」でも来てくれそうなお話ぶりだった。また。「こんな雰囲気で話が出来、とてもよかった。」とも言ってくださった。会が終わったあと、文化放送の「吉田照美のソコダイジナトコ」の打ち合わせに間に合わないのでと、組合の電話で打ち合わせをされた。次の日の木曜日の朝六時にラジオをひねると、「迂回政治献金」の話を「鵜飼い政治献金」に例えて、語っていた。鵜飼いである政治家は、「政治献金」という金ずるを、うまく操りながら、ある時は「鵜」の首をゆるめて「違法に金を集めている」。さすが、ビナードさんと唸ってしまった。

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