子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

作品16.榎本先生の恩師

作品16.榎本先生の恩師

榎本先生の恩師  墨田区立緑小学校 五年 男子

六月十一日金曜日の朝、学校で、榎本先生が、
「三、四時間目に、僕の恩師が来るよ。」
と、言ったので、
(恩師って事は、先生かな。)
と、思いました。さらに、
「確か七十七歳だったよ。」
と、言ったので、
(喜寿(きじゅ)だぁ。)
と、思いました。
 一、二時間目は、僕の行っていた亀沢保育園の先生で、途中で別の学童に行ってから、一年から三年まで僕が通っていた江東橋学童にきて、また会った、鈴木先生が、図工室に来ていたので、榎本先生の恩師の事は、忘れてしまいました。
 図工が終わって休み時間になりました。僕は、金曜日の図書当番でした。図書当番は、休み時間中に図書室にいる、図書委員のことです。僕は、先に、筆箱を戻してくるので、板東さんに、
「早く図書室に来てよ。」
と、言われながら、教室に行きました。教室に戻ると、僕の机の隣(となり)にある机に、おじいさんが座っていました。この机は、榎本先生に、
「多目的室から机を持ってきて。」
と、言われて、板東さんが机、僕がいすを持ってきた、榎本先生の英語用の机です。僕は、榎本先生に、おじいさんを差して、
「榎さんの恩師?」
と、聞いたら、
「そうだよ。」
と、言ったので、僕は、榎本先生が、
「会ったら、『こんにちは』って言うんだよ。そうしたら仲良くしてくれるよ。」
と、言っていたのを思い出したので、榎本先生の恩師に、
「こんにちは。」
と、言ったら、
「こんにちは。」
と、言ってくれました。教室を出るとき、榎本先生が僕に向かって、親指と人指し指で円を作って、「OK」のサインをしてくれました。僕は、図書室に行って、板東さんに、
「榎さんの恩師がいるよ。」
と、伝えました。
 三時間目のはじめに、榎本先生が、
「この人が僕の恩師の、込谷さんです。」
と、言いました。僕は、
(へぇ。込谷さんていうんだ。)
と、思いました。榎本先生が、
「じゃあ、教科書四十九ページの図形の名前を書いてください。下敷きを敷いて書いてくださいよ。」
と、言いました。僕が下敷きを入れたとき、隣で「新聞の切り抜き帳」を読んでいた込谷さんが、教科書を折って、下敷きが入りやすいようにしてくれました。ぼくは、
(あっそうか。)
と、思いました。さらに、
「長方形を書いたら終わりね。」
と、榎本先生が言ったので、長方形を書きました。それを先生に見せる時に、込谷さんが、
「それを先生に見せる時、
(対角線の交わった角を指しながら)『ここは九十度じゃないですよ。』
と、言いな。」
と、言いました。長方形の対角線の交わった角は、九十度じゃおかしいからです。ぼくは、
(はあ。)
と、思って、結局言いませんでした。
 四時間目の最後に、込谷さんが、
「私は、榎本先生のことを尊敬しているんですよ。」
と、言ったので、
(両方が尊敬しあってるのか。)
と、驚きました。

込谷先生は、墨田区で長らく社会科教育を中心に活発にお仕事をされた方だった。私が墨田区へ異動して何年かして、墨田区の区教育研究会の社会科部会で、大変世話になった方である。小学校の社会科教科書の編集委員を戦後何年か経ってからずっと携わってきた方でもある。退職されてからも、私の授業をこのように何度か見に来ていただいた。

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