子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

作品21.泣きながら「あいうえお」を覚えた

泣きながら「あいうえお」を覚えた

墨田区立立花小学校 六年 清水 章

いつも緊張して言えない

 ぼくは、一年生の頃、国語が苦手でした。その理由は、母がフィリピン生まれなので、普通日本人のように日本語がうまくしゃべれないのでした。担任は、宮崎二美枝先生という女の先生でした。いつも明るい先生でした。いつも宮崎先生は、授業中に、
「清水君、言ってみてください。」
と僕を指しました。僕は、緊張して、
「あああいいい?」
と何の文字なのか、わからなくなってしまいました。いつも宮崎先生に、
「はい、立ってる。」
と言われてしまいました。学校の授業が終わって家に帰ると、母が、
「言えた、あいうえお言えたの。」」
とちょっと怒ったように、僕に言いました。
「言えない、字が読めないんだよ。」
と僕は言いました。ちなみに、僕の母は、背が小さいけれどもがんばりやさんでした。でも怒ると、恐い母でした。母は、僕のランドセルの中を一年生用の国語の教科書の上巻を持って、僕に渡しました。僕は、
「なに。」
と聞くと、母は、
「練習よ。」
と教科書を開いて、あいうえおのページをさっそく練習しました。僕は、
「何。」
と聞くとは母、
「練習よ。」
と教科書を開いて、あいうえおのページをさっそく練習しました。僕は、
「あいう・・・。」
と言うと、母は、
「これは、あいうえおでしょ。もう一  回。」
と言いました。僕は、
「あ、い、う、え、お。」
と何とか言えました。その後も何回も練習をしました。
「あいうえの?」
とちょっとまちがえて、言ってしまうこともありました。母が、
「ちがうでしょ、あいうえお、あいうえおでしょ。」
と大きい声で言いました。それから一時間たっても、僕は覚えず、とうとう泣いてしまいました。僕は、
「ああ~い、うえお。」
と言うと、母は、僕の頭をなでながら、
「よくがんばったね、やればできるじゃない。」
と言って、やっとあいうえおを覚えました。
とうとう本番だ
 僕は、一時間目国語の時間、宮崎先生が、僕の方を向いて言いました。僕は、
(さされる。きのう泣きながら覚えていったつもりで言えば、だいじょうぶだ。)
と思っていると、宮崎先生が、
「清水君!」
と僕を指しました。僕は、緊張しました。
「あいううえお。」
と言いました。すると宮崎先生が、
「言えたね、やればできるじゃない。」
とほめてくれました。僕はうれしくて自分の家に帰って、すぐ母に、
「ママ、あいうえお言えたよ。あと先生 にほめられちゃった。」
とうれしそうに言いました。母は、
「よかったねー。本当なの、すごーいじ ゃない。」
と僕の頭をなでながら言いました。その後も、僕は、国語の読みが少しづつだけれども、だんだん読む自信が持てて、本当によかったです。

読み合いの授業を大切に

 六年生になると卒業文集を記念文集として発行しているだろう。卒業の何日か前にできあがるので、ゆっくりみんなで読み合うことが出来ないまま、終わってしまう。そこで、あらかじめ何人かの児童の作品はコピーをしておいて、読み合うことにしている。

読み合うことの大切さ

 この文を清水君が読み合うと、自然に拍手が起きた。入学した頃の友達が、このように苦労していたと言うことを初めて、クラスのみんなは知ることになる。母親は、フィリピン生まれなので、英語とカタログ語は達者なのであるが、日本語がやはり苦手なのである。そのお母さんが、日本語の「あいうえお」を清水君と一緒になって、必死に覚えさせようとしている。その苦労は、日本人の母親以上に人一倍大変であったはずである。本文にも書かれているが、母親は大変な努力家で、物事をいつも前向きに考え行動している。

立派になった清水君

 この間のクラス会で、立派になった清水君の顔を眺めながら、やはり小学校1年生の時に苦労した「あいうえお」の字を覚えることを書いた文章を思い出した。この文章は、卒業文集に載っている。みんなで読み合ったときの、みんなの自然に起きた拍手のことも覚えている。その彼が、今付き合っている彼女を連れて来て、嬉しそうにみんなに紹介してくれた。その彼女も、自分のことを明るく自己紹介してくれた。もちろん、会場のみんなから、自然に大きな拍手が起きた。彼女と清水君を中心に全員で集合写真を撮った。君の将来に幸あれだ。

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