田中さんの資料その1
田中さんの資料その1
「 先生から学んだ 作文の書き方・書かせ方」田中定幸
第19回国分一太郎「教育」と「文学」研究会 -没後40年の集い-
報告-3
元長瀞小学校教師
「国分先生から学んだ 作文の書き方・書かせ方」
田中 定幸
(国分一太郎「教育」と「文学」研究会 会員)
長瀞小学校で、「もんぺの子」どもたちを教えていた国分先生は、「椿の花の蜜を吸った
話」(静岡・6年)という作品を繰り返し読みました。同じ農村地帯でくらす子どもの書
いた作品であり、こんな作品を、自分が受け持つこどもたちにも書いてもらいたいと思っ
たのでした。子どもたちの中には、この作文を暗記してしまう子も出てきたそうです。(注
-1)
また、『山びこ学校』(改訂版)の解説では、知性と感性をはたらかせて生活を綴った「母
の死とその後」(江口江一)「ぼくはこう考える」(佐藤藤三郎)らの作品を高く評価しま
した。(注-2)
若い頃から、子どもの書く生活綴方の作品に注目し、どんな綴方を書かせることが子ど
もを「一人前」に成長させることになるのか。その文章表現指導のあり方を追求し続けま
した。
そして、子どもが、自分の思いや考えだれにもわかるように書くことができるためには、
教育全体としてはどんなことを学ばせなければならないのか、どんな力を育てなければな
らないのか。国語教育の綴り方・作文指導においては、「なに」を「どんな組み立て」で、
「どう書かせる」か。書いた作品を「どう読ませるか」、「どんな作品を書かせたらよい
か」、を問いつづけて、国分一太郎の「文章表現形体論」を展開しました。その考えをた
くさんの著作でもって、教育現場で実践していた私たちに示してくれました。
「ぼくたちの実践を、こんなふうに意味づけをしてくれている」、そう思って励まされ「文
集づくり」にも打ち込んできました。
今回の報告では、没後40年ということ、国分先生から学んだ、たくさんのことの中の
ひとつである「文章表現形態論」を、まずは、みなさんとともにふりかえりたいと思いま
す。また、そこから学んだ、「子どもに文章観を持たせる指導」――「文章は『ある日型』
と『いつも型』にわけられる」――の具体的な授業の展開例をお話しします。
さらには、今、子どもたちは「説明文」を書くことを求められています。こうした「『説
明風に書く文章』は、どのような配慮のもとに、どう書かせるか。」――「いつも型」の
文章(説明風)を書くときの指導の展開 ――について話もふれたいと思います。
□第19回国分一太郎「教育」と「文学」研究会
報告-3「国分先生から学んだ、“作文の書き方・書かせ方”」
資料-1
国分一太郎の「文章表現論」の生成
田中 定幸(国分一太郎「教育」と「文学」研究会)
この資料は、国分一太郎の「文章は表現形体論」をふりかえるために、国分一太郎の著
作の中から、引用させていただきました。著作のすべてからの引用はできませんでした。
また、重なりや、引用の部分を少なくするために限定、省略して分かりにくくなっている
ところもありますがご容赦ください。そして、できるだけ原本にあたって、読んでいただ
くことをお願いいたします。
一 はじめに
「子どもが書く作品への着目
1 「教師」のときには ←影響を受けた作品
「椿の花の蜜を吸った話」
尋常6年 芹澤力造
学校から帰ると、弟と相談した。
「今日は天気がいゝいから、木にしづくはたまつてゐまい。それに風もあるから、みんな
露はおちつらから、椿の花の蜜を吸ひに行かうや。」
それから二人で出かけた。けれども、途中で弟は気が変わつてしまつた。
「うら、木に登れィないから、やだ、を取らうやア。」
と言ふ。蜜のほうが甘いと言つてだましても、きかないので、仕方なく弟の言ふ通りにな
つた。だが、帰り途に、ふと後を見ると、ついて来ると思つてゐた弟が居ない。
私は、よしこゝだと思つて、そこに丁度あつた椿の木に登りはじめた。なかなかすべる。
これではたまらないと思つたが、いゝあんばいに、上の方は藤づるがぐるぐるまかつてゐ
たので、それにつかまつて、やつと登ることが出来た。
蜜が沢山ある。私はうれしがつて吸つてゐた。その時、ブーンと音がした。見ると、蜜蜂
が一匹あたまのそばで飛んでゐのだ。
「畜生、蜂が吸はうと思つてゐた蜜をおれが吸つてゐるので、おこりに来たな。」
とひとり言を言つてゐると、今度は、足がむづむづする。見ると蟻だ。おれの足を一生け
んめいにはひ上つて来る。
「また来やがつた。」
と、私は足をぶらッと振つた。みんな、おれのやうに、密を吸ひに来たのだらうと思つた。
木の上は気持ちがいゝ。ひよどりが、ピーピー鳴きながら、枝をつたつておれの方に来
る。一つおどかしてやらうと思つて、そつと手を延して花を一つもぎとつたところが、ぽ
たぽたと、ひやつこい水が、うでの中へすべり込んだ。
「あ、密だ。」
私は、鳥の事を忘れて、あわてゝ、花の尻のところを口にあてゝ、チュチュッとすつた。
すると、ひよろひよろッと口へ入つたのは一匹の蟻だ。
「しまつた。やだやだ。こゝはとてもきたない。」
と言つて、急いで下りようとして、下を見ると、木登のへたな僕は、目がまはりさうで、
おつかない。
これは一そ、木の枝のうらつぽへ伝わつて行つてぶらさがつて下りた方がいゝと思つた。
そこで、こはごは伝つて行くと、枝がまがつてぼきッと折れた。しまつたと叫んだ時は、
私は、ばちやんと、下の川の中におちてゐた。
着物はづぶぬれだ。日に乾かさうと思つても、もう夕方だ。しかたがないから、はんて
んだけぬいで、家へ帰つた。あとで忠雄君に、
「力造君、そんなにづぶぬれになるほど密を吸つたのは、はじめてづら。」
と笑はれた。
この作品は、生活綴方にとりくみはじめた東北の教師たちが、影響をうけた作品だという。
〈こういった「土の綴り方」「村の綴り方」といわれた作品に、「これからのものとして
学べきものがある。〉と国分も考えて、何度も読んであげた。卒業したあと開かれた同窓
会で教え子が、「先生、芹澤力造という子がいたね。椿の蜜を、チュッ、チュと吸ったこ
とを書いた」と繰り返して言う。60才になっても、まだ覚えているほど印象にのこって
いたのである。〈生き物どうしの自然の中での生き生きとした生活〉がもりこまれた内容
と形式をもった作品を手がかりに、東北の子どもたちにもこんな作品を書かせたいと、若
い教師国分一太郎は生活綴方で書く「作品」について考えはじめたのである。
2 「評論家」としては ←評価した作品
『山びこ学校』が改訂されるにあたって、解説がつけられて、その解説は国分一太郎が書
いている。その「4」では、『山びこ学校』の意義について、「おさめられている綴方作
品の特長」と「このような綴方作品を書かせる過程でハッキリさせた教育上の意味」にわ
けて概説している。
そして、この、第一の「綴方作品の特長」という点にふれているところで「文章の形態」
という言葉があらわれてくる。
それぞれ能力のちがう全部の子どもの作品がのせられているために、その子どもの個性
や能力の発達のちがいに応じて、それぞれ、それにふさわしいがあらわれるということを
知ることができることである。ある子は説明風のものをかき、ある子は描写風の書き方を
している。ある子はその両方をまぜて書いている。ある子はありのままの事実をそのまま
に書き、ある子はその事実にもとづいて論理的に思考したことを、きわめてハッキリと書
いているということである。
このように、「その子どもの個性や能力の発達のちがいに応じて」、それぞれ、「それに
ふさわしい文章の形態」が表れてくるとしているが、これは、「題材や内容に応じて、文
章の書き方(形態)が違ってくる」という、作品の特長に目をむけている。また、その後
でも、これを綴方教育の歴史的発展の足どりにてらしてながめれば、「説明風にかく」赤
い鳥以前の時代、「ありのままに、こまごまと描写風にかく」赤い鳥時代、「こまごまと
かくだけでなく、それについての考えをも、文中に入れて書く」生活綴方の時代の文章を、
それぞれ思わせる作品があるということである。
と、綴方の作品の時代的な大きな変化にもふれ、さらには、もっとも特長的なことは、江
口江一「母の死とその後」上野キクエ「病院ぐらし」の一部、共同作「学級日記より」「お
ひかり様」の一部、佐藤藤三郎「ぼくはこう考える」、第一班報告「学校はどのくらいお
金がかかるか」、佐藤藤三郎「すみやき日記」、横戸惣重「私たちが大きくなったとき」、
川合末男「父は何を心配して死んでいったか」、佐藤藤三郎「答辞」等の文章のように、
戦後教育にゆるされた科学的な思考にもとづいて、戦前の生活綴方には見られなかった「事
実にもとづいた高度な論理的思考」の萌芽を示す、知性と感性のまじり合った一種独特の
文体を新しく生み出しているということである。
と、続け、「知性と感性のまじり合った一種独特の文体」ともいえる、新しい「」が、生
まれていることに意義があると述べている。そして、『山びこ学校』の作品が、読む人に
多くの感動をあたえたのは、それぞれの作品が内容にふさわしい「形態」(形体)」で書
かれているからであると解説しているのである。
このことは、『生活綴方ノートⅠ』(1955年5月 新評論社)、で「生活綴方と子どもた
ちの文章表現」といる文章で持たせてふれている。
ここで国分が、こどもの書く文章、あるいは、生活綴方として書く作品が、具体的にはど
のよう文章となるか、その「形態」(文体)にふれている点に注目したい。
そして、これからのち、国分が、子どもの書く文章の「形態」あるいは「形体」につい
て、どのようにそれをとらえ、どう文章表現指導のなかに組み入れていったかを考えるき
っかけが、ここにも表れているのではないだろうか。
そして、この資料は、国分一太郎が「文章表現の形態」(のちには「形体」として述べら
れるが)に着目して、どのような文章表現論・指導方法を展開していったかを国分の著作
から検証する。
二 生活綴方の文章表現への着目
1,生活綴方の書き方には、三つの「型」がある
『生活綴方ノート Ⅱ』では、生活綴方の歴史と意義にふれたあと、〈生活記録を書く場
合の注意〉、これは一般的な文章にあてはまるような書くときの注意を⑴から⒂にわたっ
て書いた後で、〈生活綴方・生活記録の書き方の三つの型のようなものをあげますと、つ
ぎのようなものになるかもしれません。〉とここでは、生活記録の書き方をふくめて「三
つの型」に分けられると述べている
第一の型――
ある時、ある所であった、ある事を、時間の進む順序に書いていく型です。
第二の型――
これは、比較的長い間にわたってあったこと、あること、見ていること、または、いつ
もあること、いつも見て、気づいていること――などを、ややまとめた書き方でかいてい
く型です。ちょっと説明型の文章になるといってもいいかもしれません。
第三の型――
これは、第一型と第二型のチャンポンです。ふくざつなことを生活綴方に書くようにな
ると、たいていのかたのものが、この型の記録になるようです。また、すこし、くふうし
て書くということになっても、この型になります。
第一の型の説明では、これが一番書きやすい型です。たとえば、
*「腹がへったに早く行かんかなあ」といって、私たちはくわをかついだ。
かえりの道は、まだほこりがあつかった。火の見やぐらのところまでいくと……。
というような書き方ではじまる文章や、今日も朝から、風もなく大変よい天気です。こん
な日は、なんだか仕事もしよく、一ぺんにあばれたくなります。
店に出て行くと椎茸がはいったといって、庭にたくさんつんであった。私は「ああ……」
と思わず息をついた――― という書きだしではじまる文章(ここでは冒頭の2文は説明
だが)や
* この前の日曜日のことだった。夕方うすぐらくなって、映画から帰ってくると、
「お手紙よ。北海道の方から」という母の声が六畳の方から聞えてきた。
「北海道の?」
といって、母のいる六畳にいっていくと、というような文章は、だいたいこの第一の型の
記録になります。(略)この型の文章が書けるようになれば、やがて第二、第三の型の生
活綴方作品も書けるようになります。
そして、第二の型について、説明したあとで、ここでもその文例として
* わたしは十九になる娘をはじめ、四人の子を持っておりますが、おなじ自分の子で
あるのにひとりひとりの子の性格が、それぞれちがうことに、いつもびっくりさせられま
す……
* うちの家族はみんなで九人である。それに牛一頭、豚二頭を入れれば十二人家族とい
ってもよい。
それで、朝ひる晩の食事のしたくとなったらたいへんである……
こういう書きだし、書きすすめ方(発想)の文章は、たいてい第二の型の文章であります。
「うちの人たち」「となりの家」「炭のねだん」といったようなことを書く文章ではたい
ていこの第二の型の文章になるものが多いようです。
第三の型の説明では、作品を示して、そのなかに、
(イ) ある時、あるところであった、ある事件をかたっているところ
(ロ) それを物がたっていくうちに必要になってきた、それより過去のこと、それより
後のこと、
いつも経験していること――などを間にはさんでいるところこのふたつがまじりあって
います。
こう述べたあとで、〈特殊な事情をかく間に、一般的なことを入れた〉例として、
……「いつまでもグズグズしていたら、だれももらい手がなくなりますよッ!」と、母は
とうとう最後のコトバを出してしまった。すると姉は、プーッとふくれたような顔をして、
だまって裏口の方へ立ってしまった。わたしたちも、物もいわずに姉のうしろすがたを見
送ったままだった。
姉がプウッとふくれることはいつものくせである。なにかというと、ふくれてしまって、
それがなかなかおさまらない。一回か二回ぐらいは、めしも喰わないでふくれている。…
…。
また、その反対の場合として、〈一般的なことをかいていて、途中に特殊な事実を入れる〉
場合があるとしている。
* 第二番目の兄には、なかなかガンコなところがある。よういなことでは、私たちのき
ょうだいのいうことなど聞き入れない。これは祖父ゆずりだと、私の母はいつもいう。
ついこの間もこういうことがあった。たぶん火曜日の朝だったとおもうが、第一番目の
兄が
「こんどのタネつけん時は、桜井のとこのオス山羊にたのもうか?」
といったら、二番目の兄は、たちまち反対した。「おら、去年と同じように谷川の家がよ
い」
〈生活綴方=生活記録をおとなのものにするには〉という項目の叙述であり、いずれも「お
とな」の書いた作品で語られている。そして、二つあげられたうちの前者の文章は、後に
言われる、全体としては、過去形表現で書かれているなかに、必要に応じて、説明形表現
が部分的に入ったものである。また、後者は、まとめて説明していくなかに、具体例、あ
るいは事実を挿入して書かれたものの説明である。第三の型の文章は、ふたつの場合があ
るということを述べている。
このように、第一型の「ある事を、時間の進む順序に書いていく」ものと、第二の型の、
「長い間にわたったことを、まとめて説明風に書いていく」ものと、第三の型は、「ふく
ざつなことを生活綴方に書くと、一、二の型の文章を交えて書いていく」ものがあるとし
ている。
2 生活綴方には、三種類の書き方がある
「今日の生活綴方とはどんなものか」「ごく初歩の人びとのために」に書いたという『生
活綴方読本』)では、二章〈生活綴方の性格〉の「実感・具体性」の項目で、本の冒頭に
しめした生活綴方の定義のA⑸の――ソノ考エヤ感ジガ出テキタモトデアル外界ノ事物
ノ具体的ナ姿ヤ動キトイッショニ――のところで、〈生活綴方の書き方には〉、
(a)ある日、ある時、ある場所であったできごとを、時間の順序に書いたもの
(b)ひじょうに長い間にわたって、あるいはやや長い間にわたって、いつもあること、
いつも見ていること、いつもしていること、そしていつも考えたり感じたりしていること
を、やや説明風にま
とめて書いたのもの
(c)(a)と(b)を両方いれて書いたもの(したがって時間の順序によらずに書いたも
の)ほぼこの三種類の書き方がある。
と述べて、『生活綴方ノートⅡ』では「三つの型」とのべたが、同じような分け方で、「三
種類」の書き方があるとしている。
3,生活綴方で書かせる文章のは5つある
けれども、同じ『生活綴方読本』の三章〈生活綴方の目的〉の3「観察力・想像力・思
考力の発達」〉の項目で、定義のB⑶〈3 書き手自身ノ観察力・想像力・思考力ヲノバ
シ、頭脳ノ能動性・創造性をシダイニ発達サセ……〉のところで、〈㈡観察力をのばす指
導がよくできるから、ぜひそれをのばそう〉と、見出しを立てて、文体は、5つあるとし
ている。P169~
生活綴方で書かせる文章のにはおよそ次の五つがある。
ある時、ある所で、すでにあったできごと、それについて考えたこと・感じたことを過去
のこととして書きつづる形(した、した文)
右(①)のことを、今はすぎ去ったことだけれども、いまはそれが進行しているよう書き
つづる形(している、している文)
目の前にある事物の姿やうごきから、そこから出てくる考や感じを、その場で書きつづる
形(いましている文、見ながら書いた文)
やや長い間にわたって、継続的に経験し、見聞きし、考や感じたりしていることを説明ふ
うに書きつづる形(ですです文・だ、だ文)
なにごとかを、だれかに向かって、よびかけたり、たのんだり、たずねたりする形で書き
つづる文(手紙形式、してください文)
ここでは〈㈡観察力をのばす指導がよくできるから、ぜひそれをのばそう〉として、5
つの文体をあげているが、そのあとに〈㈢想像力をのばす指導がよくできるから、ぜひそ
れをのばそう。㈣思考力をのばす指導がよくできるから、ぜひそれをのばそう。㈤頭脳の
能動性・創造性を次第に発達させる。〉と続く。
その説明をよむと、生活綴方作で書く文章――ここでは五つの文体――が、観察力をの
ばすだけではなく、想像力・思考力の指導がよくできること。さらには、頭脳の能動性・
創造性を次第に発達させることになると述べているのである。
ここで、のちによく語られる認識する力(=認識諸能力)が育つという観点から、生活綴方
で書かせたい文章として、「5つの文体」をあげている点に注目したい。
実は、この三章〈生活綴方の目的〉では、この3項の「観察力・想像力・思考力の発達」
の前の項、「0過程・話し合いの重視」「1意味の発見・下からの思想感情」「2見方・考え
方・感じ方の指導」ということについて論述してきている。
筆者はそうした論述をふまえて、書くことによって「観察力・想像力・思考力の発達」を
促すことになるといったとき、「三つの型」あるいは、「三種類」の書き方から、さらに、
生活綴方で書く文章の特質から、五つの「文体」があるという考えを導き出したのではな
いだろうかとも推測する。
そして、五つの「文体」をとりあげる前に、「生活綴方を書く過程、他人の作品を読む
過程、その作品をみんなで共同研究する過程」では、その指導方法さえよければ、とくに
このような力が「やしなわれやすい」(P168~169)とひかえめに述べていた。
「主体的な人間、能動的な人間、よく意識する人間、積極的に反応する人間、よく追求す
る人間」に育てるために、子どもたち書かせたい文章として、「五つの文体」があるとい
うことを、ここで、気づき語り出したのではないだろうか。
もう一つここでふれておきたいことは、それぞれの「文体」を形成する「文」の「文末
表現」にちがいについてもふれていることである。ここではそれをまとめて書き出してお
く。
①のように、過去のことかきつづる形の文章のその文末が、「した・した文」と過去形表
現で表されること。②ように、過去のことであっても、現在その場にいるような「発想」
に立って「している・している」という形で書かれること。その場で、目のまえにある事
物の動き、起こっていることを、「いましている・している文」として、現在形で書く③
のような書き方。そして、「説明ふうに書く」ときにも、ていねい体で書くときには「で
す・ます」。ふつう体で書くときには、文末が「だ・である」となることにふれて、「文
体」のちがいによって、文末の表現が違ってくるという指摘も重要である。
さらには、手紙など、実用的な文章、よびかけたり、たのんだり、たずねたりする形で
書きつづる文にも言及して、「手紙形式、してください文」でも、その形式と文末の表現
についてあらたに
ふれている。
4 「物のとらえかた」と「文筆的活動の準備」ために
「表現指導へさらに一歩の工夫を」という論文を1957年11、12月「作文と教育」に、国
分は書いている。この表題の論文は、当時、日本作文の会編『新しい作文の書き方』のた
めに集まってきた作品や、国分自身が編集していた『よい詩よい文』の作品にそえられた
会員の書いた文章に対しての不満もあって書かかれたという。
りっぱに書かれた散文や詩が生まれた背景には、適切な文章表現の指導が行われたはず
なのに、それらの作品について書かれている解説・よびかけ・指導・指導語・評語が「物
の見方・考え方、感じ方」の指導に偏より過ぎているということへの不満であった。
子どもたちへ語りかけることばが、「生活指導」に偏って書かれているという流れに、「物
の見方・考え方、感じ方」の指導ももちろん大事だが「作文の指導」というときには、も
っと、「文章表現指導」の面からも、具体的な実践の姿や方法を明らかにして語っていか
なければならないという、国分一太郎独特の提言である。
(この「作文と教育」に掲載されたものが後に『国語教育の本来像』(1960年5月)の第
二部「生活綴方と生活綴方的教育方法」の二「表現指導へさらに一歩の工夫を」の「5」
で、「さまざまな形の文章を」と小見出しをつけられて収録されている。)
ここでは、「生活綴方で書かせる文章の」として『生活綴方読本』の三章で述べたものを
「さまざまな形の文章」と言い換えて、「さまざまな物のとらえかた」と将来における「文
筆的活動の準備」のために「さまざまな形の文章」を書かせたいとしている。(ゴシック
体は筆者による)
わたしたちは、子どもたちに、さまざまな物のとらえかたをさせるためにも、将来におけ
る文筆的活動の準備のためにも、つぎのような文章を書くことになれさせなければならな
い。
⑴過去にあったことを、そのときの考や感じとともに「……した……した」「しました…
…しました」と書いた文章。
⑵過去にあったことを、そのときの考や感じとともに「……している……している」「…
…しています……しています」と書いた文章。
⑶いま起こっていることを、そのときの考えや感じとともに「……している……している」
「……しています……しています」と書いた文章。
⑷やや長い間にわたって起こっていること、存在していることを、それについての考や感
じとともに、「……である……する」「……のです……します」と説明風に書いた文章。
⑸特定の相手に向けて、何かについて、「……してください」「……ですか」「……しよう
ではないか」と呼びかける形の文章。
このあと、物の「とらえかた」ということで、ものやこと、あるいは体験をとらえて、
そのものやことをより確かに、より深く認識するために書かせたいという目的。また、将
来にわたっての「文筆活動」のためにもと、子どもの今と将来のための文章表現力をつけ
るための両面から、文章の「形」に言及している。その部分を引用すると、
これは、物のとらえかたという点からいえば、⑴は過去に起こったことがら、過去に経
験したことがらについて、いまの立場に立って、ハッキリと想像のしなおしをさせ、それ
について再確認させるため、⑵は過去に経験したことがらについて、自分の身を、もう一
度その時の場所にひきいれて、そのときのことを再想像させるため、⑶はいま目の前にあ
る事物についての観察力をやしなうため、
⑷はものごとを、全体として概括してみる能力を次第にやしなうため、⑸は相手を予想し
て、それに対して、自己の考や感じを、そのままに伝達しようとする態度や意欲をやしな
うためである。
また、これを表現技術の指導という点からみれば、⑴は物事を過去の形で表現する方法、
記録風の文章の書き方になれさせるため、⑵と⑶は現在進行形の文章描写風の文章になれ
させるため、⑷は説明風・評論風の文章になれさせるため、⑸は手紙やその他のように、
相手に直接よびかけるような文章の表現になれさせるためである。
そして、これを全体としていえば、子どもが青年となり、おとなになったとき、いわゆ
る芸術的な文章・学問的な文章、実用的な文章、ないしこれらのうちのどれかに近い文章
を書く場合にも、不要な劣等感・おっくうがり・不自由さを感じさせないためだ。こう説
明することもできる。
ここで注目したいのは、ものの「とらえかた」という面では、ものの見方・考え方・感
じ方という認識のしかたとはちがって、「過去にあったこと」「いま起こっていること」「や
や長い間にわたって起こっていること、存在していること」さらには、「何かについて、
呼びかける」という、大きな「とらえかた」のちがいから、書かせたい文章を見ているこ
とである。
これは子どもたちが書く題材、あるいは選び出す体験、いってもれば自分としてはその
ものこと・出来事あるいは体験にどうかかわっているかをより意識化させて、書くように
させたい大事な視点である。
「過去にあったことを」というのは、一つの出来事として、過去にあった「一つの出来事」
「一回かぎり」のこととしてその事実をとらえさせ、想像のし直しをさせて、そのことの
意味やねうちを考えさせる。ときにはふりかえりもさせる視点である。
「過去にあったことを、そのときの考や感じとともに、「……している……している」「…
…しています……しています」と、書くということは、その場面を再生させ、さらにその
場面をあらためて想像させる。そして、そこではたらかせていた感性やそのときに思った
り考えたりしたことをよびおこさせ、五感や思考をどうはたらかせていたかを、改めて考
えさせてくれる。
「いま起こっていること」を書くということは、いま、まさに感性や思考力を発揮させる
ことをもとめられ、ここでも、「観察力」「表象力」「思考力」などがきたえられることに
なる。
ここまでは、一つの出来事あるいは一つひとつのこととかかわって、それを書くなかで
そだつ「とらえかた」と「認識のしかた」ということが出来る。
けれども、「やや長い間にわたって起こっていること」「存在していること」について
の考や感じを書いた文章では、出来事やものやこととのかかわりという点では、「過去の
こと」「今のこと」をとらえた視点とは大きなちがいがある。「長いあいだ、やや長いあ
いだにわたって起こっていること、存在していることと」いえば、これまでとはちがって、
「一つの出来事」あるいは、「一回かぎりのこと」とはちがって、「くり返して同じよう
な出来事」と、あるいは「体験」がくり返えされる。いつもそういうことがある。何度も
ある。そういうことについての思いや考えを書くことになる。そういう題材、あるいは体
験を書くときにそだつ「物のとらえかた」である。(これが後に出てくる「ある日型」と
「いつも型」のちがいである。)
ここでは、「長いあいだに起こっていること、存在していること」をつながりのあるこ
ととして、あるいは部分としてとらえ、その中にある「共通性」や「ちがい」、「視点」
や「観点」を変えた見方、「経過」や「変化」、自他との関係、個々のものごと、あるい
は全体に対する思いや考えを導き出していかなければならない。ここに、「分析」や「総
合」、あるいは「概括」する力が必要となり、子どもたちは、書くなかで、こうした力を
やしなっていくという考えを導き出しているのである。
そして、⑸では、相手を意識して、書くときには、だれに、何のために、何を、どう伝
えるかを考えることによって、これも、今までとはちがった見方が生まれ、「とらえかた」
のちがいもできるようになり、こうしたときの表現のしかたにも習熟させたいという考え
で、この「形」もここに取り上げているのである。
さまざまな形の文章を書かせる目的は、「観察力・想像力・思考力の発達」といった認識
のしかたを『生活綴方読本』では述べていたが、これは、私のことばであるが「対象への
かかわり方」という「大きくとらえたもの・こと・出来事と自分との関係」をより意識す
る「物のとらえかた」を持たせたるためだとしている点が、ここで指摘された点が注目さ
れる。
表現技術の指導という点では、ここには、題材あるいは、経験のちがい、その「かかわ
りかた」のちがいから、5つの形にあらわれる。
過去にあった「一つの出来事」として書くときには、その文章が「…でした」「…ました」
と過去形が多く使われる、記録風の文章を書き慣れさせることになる。また、その記録風
に書く文章の部分にはめこまれる現在進行形の「…する」「…している」は、描写風の文
章にも慣れさせるため。
長い間続いたり、くり返して起きたりすることを書くときには、そこに構成のちがいな
ども生まれるとともに、文章としては、説明風、評論風になり、その文末の表現も「…で
す」「…ます」となってくる。
さらに、相手に呼びかたり、依頼する文章は、それまでの表現技術活用し、さらに発展さ
せて、ときには概括することにもなっていく。
こうした「さまざまな形」の文章を書かせることが、今大事であるだけでなく、
おとなになったとき、いわゆる芸術的な文章・学問的な文章、実用的な文章、ないしこれ
らのうちのどれかに近い文章を書く場合にも、不要な劣等感・おっくうがり・不自由さを
感じさせないためだ。
こう説明することもできる。として、そうした文章を書くことは、こどもたちの今にとっ
てだいじなことだけでなく、おとなになっても、こうしたとらえかたと文章表現力が役に
立っことを、ここで述べている。
このように、子どもたちに、「さまざまな物のとらえかた」を育てるためにも、そして、
将来における「文筆的活動の準備」のためにも、「さまざまな形の文章」を書かせること
が、大事であるという考えをここで導き出しているのである。
三 生活綴方の基本となる文章表現
1,基本になるものは二つある
この本の「あとがき」には、〈この本には、この二、三年間におとなの文章の書き方、
おとなの生活綴方・記録について、さまざまな雑誌や新聞に書いたものを集めてのせてあ
ります。〉と書かれている。そして、一冊の本にするにあたっては、できるだけ「体系的」
になるよう、並べ方かたにも工夫したという。また、「文章とは何かということ」という
「章」を、新しく書きたすことにし、それを一番前にのせている。
このあたらしく書きたしたなかに、文章というものは〈自己表現からはじまるのが一番〉
だと考え、その文章には、次のものがあると、ここでもさまざまな形の文章があることを
説明している。(P20~22)
⑴ 過去のことを、ある時、ある場所、あるものや自分または他人が「……しました」「し
た」「だった」というように過去形で書く文章
⑵ 長い間にわたって、経験したり、考えたり、感じたりしていることを「……する」「…
…である」「……です」「……と考える」「……と思う」というように、まとめて説明風に
書く文章
⑶過去にあったことを、「……する」「……している」というように現在進行形で書く文
章
⑷現在進行中のことを、その場で、今写生しているのと同じようにして、現在進行形で書
く文章
⑸他人または物に、じかに呼びかけるように「してください」「しようではないか」「…
…でしょうか」と直接よびかけるように書く文章
⑹ひとりごと、自分だけの思索の文章
だいたいこの6つがあると考えられる。が、そのうちなんといっても、基本になるもの
は⑴と⑵であるように思われるから、まず、第一に「過去のことを過去形で書く文章」に
なれるのがよいのではないかと思う。そして、次には、のちにのべるように生活綴方には
⑵の「長い間にわたって経験していることをまとめて説明風に書く文章」もはいるのだか
ら、このような書き方の練習もしてみる必要があろう。そうすれば⑴と⑵をあわせたよう
な表現方法、必要に応じて、ひとりでに上手になるし、
また⑶のような文章も、随所にはめこむことができるようになろう。次の例でもわかるよ
うに、生活綴方の書き方を練習すれば、子どもでも、ひとつの文章のなかで、さまざまな
記述ができるようにな
るのだから……。
今まで述べてきた「文章には5つの形」があるとしてきたが、ここでは「自己表現」と
もいえる文章は6つあり、⑹がさらに加えられている。けれども、それ以上にここでは、
⑴⑵の書き方が、生活綴方で書く文章の「基本」となるとの考え方を明確にして、並べ方
もかえているところに注目したい。
今までは、「現在進行形で書く文章」の後に⑷として示されていた「長い間にわたって経
験していることをまとめて説明風に書く文章」を⑵として、この⑴⑵のどちらもが、生活
綴方で書くときの「基本」になること。さらには、この二つの書き方の習熟が、⑷~⑹の
文章を生み出す大事な基礎となることを、「おとなのための生活綴方」で語っているので
ある。
これはもちろん、子どもの書く生活綴方の文章でも当てはめられていくこととなる。
2 説明風に書くことの大切さ
『国語教育の本来像』でさらに注視したいことは、「説明風に書く」ことの大切さについ
てである。
その、第二部「生活綴方と生活綴方的教育方法」の二章「5 表現指導へさらに一歩の
工夫を」では、「作文と教育」にそえられていた補助見出し――指導語、評語の問題でも
ある――は削られて、次のように小見出しがつけられ、さらに表現指導への工夫がのべら
れていた。「1生活指導偏重」「2自覚的な表現指導」「3きめこまかい表現指導」「4一
語句のつかい方も」。
「1」は、先ほどもふれたように指導語・評語が「物の見方・考え方、感じ方」の指導に
偏より過ぎているという問題を指摘し、「2」から「4」までで、表現するときの「態度
や方法」、「思考や想像へのはたらきかけ」に対する指導語、評語を与えることの大切さ
や、ことばの使用の的確さを示唆することの大事さを語っている。
そして、「5」として、「さまざまな形の文章を」となっているのである。(P214~)
そのあとは、「6それぞれの指導の難易」、「7説明文の新指導」 「8現在形の指導」と
説明を展開して、それぞれの文章がどのようなものか、どのような契機で生まれるか、そ
の難易さなどにもふれている。
そして、「説明文の新指導」では、⑷の、〈やや長い間にわたって起こっていること、
存在していることを、それについての考や感じとともに、「……である……する」「……
のです……します」と説明風に書いた文章〉をとりあげて、〈この型の文章が、子どもの
書く文章のひとつとして、それがほんとうの内容をもち、現実性をもち、創造性をもち、
また、かれらの生き生きとした夢をもったものとして生まれるように〉、新しい指導をす
る必要があると、説明風に書く文章の指導の大切さについてふれている。
具体的な指導にあたっては、ここでも第一には、⑴の形の文章〈過去にあったことを、そ
のときの考や感じとともに「……した……した」「しました……しました」と書いた文章。〉
を、正確にハッキリと書けるように、十分な指導をしなければならないとしている。
そして、第二としては、全員に「わたしの父」とか「私の家」とかの課題を与えて文章を
書かせ、そのなかから作品をえらんで、この書き方は、「あるとき、ある場所であったこ
とを、そのとおりにうつしたもの」とは、どこがちがうかを、ごく自然のうちにわからせ
るようにしたい。事件の展開、時間の進行にしたがって書いたものとは、たいへんちがう
ことをわからせたい。そして、〈このような型の文章も書けるようになる必要のあること
を理解させたい。〉としている。
低学年の子どもたちには、「あの日のおとうと」のことを書いた文章と、「いつものおと
うと」のことを書いた文章を、ならべて読ませて、ふたつの書き方があることを自然のう
ちにわからせていく。
また、この型の文章(概括的・説明的文章)のおもしろくなさを克服させるためには文
章のあいだに、「このあいだもこういうことがありました……」「きのうもこんなことが
あった」と、実例を入れて、人びとによくわかるように書くように教えていくのがよいと
述べている。
そして、〈以上のような各種の型の文章表現になれさせることは、同時に、日本語のさ
まざまなはたらきかたについて、しだいに自覚させていくことになる。つまり、りっぱな
国語教育になるのだと考えられる〉と、国語教育の立場からも、「さまざまな形」の文章
を書くことが大事であるとむすんでいる。
四 表現「形態」と「過程」に着目した指導
1 その指導にあたっては、2つの側面に着目する
岩波講座『現代教育学』は、「今日、混迷する教育の場では、教育実践の科学化が強く
求められている。この講座は、このような現場の要求に応えて、戦後15年の教育学研究
の達成を総括して、子どもの全面発達をはかるための新しい進路を、学校の諸分野にわた
って追求したものである。」(6巻 まえがき)という。全18巻で、そのうちの『6』『7』
に「言語の教育Ⅰ・Ⅱ」が、とりあげられている。
その『6』のまえがきでは、「国語が日本人の社会生活を運転させるところの最も基礎
的な用具であり、国語についての正しい知識と、それの巧みな使用法を身につけることは、
国民生活を健全にするための基本的要請である。」としている。
そして、「現場の教師が教室活動にはいる前に、足もとをしっかりとかためておき、あら
われ出るさまざまな問題を、みずから解決しうるための基礎となりうるものを提供しよう
と試みたつもりである」とも述べられている。
こうした考えのもとに、「Ⅰ言語の本質」からはじまって、「Ⅳ国語教育の内容と方法」
の「3」、「文章表現の指導」に、このあとふれる国分一太郎の「表現形態に即しての指導
内容」の論考が登場する。
この「3文章表現の指導」で、国分はそのなかで、文章表現の指導の究極の目標は、〈ひ
とりひとりの子どもたちに、「はじめ」「なか」「おわり」のあるひとまとまりの文章を思
いのままに書く能力をみにつけるみにつけることだ。〉と述べている。
そして、どんな文章表現の指導が、教育的であると同時に、言語(国語)教育的であるか
を考えて、その「指導」に当たるときの基本的な考え方を展開する。そして、その指導は、
二側面から考えるとして、「教育的」側面と「言語教育的」側面に分けられるとしている。
「言語教育的」側面とは、日本の文字、日本語の単語、文法、部分的文章の(段落、パラ
グラフ)などについての自覚をうながすように心を配った文章表現指導が言語の教育的目
的であること。
また、「教育的」側面では、そこに二つの目的があり、その⑴は、子どもたちの感覚、
知覚、記憶、表象、思考、想像などの働きを奨励し、その働きを活発にする目的をもつこ
と。すなわち「認識諸能力」を育てるという側面がまず上げられること。その⑵としては、
子どもたちの事物への認識、物の見方・考え方・感じ方を、正しくゆたかにするような文
章表現の指導こそ教育的であるとしている。
そして、文章表現指導の内容を決定する要素には次の二つの側面があるとしている。
表現過程に即しての指導内容
表現形態に即しての指導内容
ここでは⑴の、子どもたちが文章を書くまえ、書く過程、書いたあとのそれぞれに即し
て、必要な指導をあげている。これは、これまでに生活綴方教育のなかでも確認されてき
たものであり、ここでは省略する。そして⑵の内容となる要素としては、子どもたちが、
さまざまなことに関して、さまざまな表現意欲を持った場合、どんな文章の書き方
を身につけさせておいたならば、かれらは比較的自由に文章を表現することができるか
という配慮からくるものである。また、これは世の中に見られるごく普通な文章の書き方
の種々相、発想方法について知らせるということでもある。
この点を考慮した場合、わたしたちとしては、およそつぎのような書きかた(発想)に
なれさせるようにしたい。
こう述べて、ここでも「発想」という観点から、さまざまな形の文章の書き方について
ふれている。
(a)過去にあったこと・考えたこと・感じたことを過去形で書く書きかた
(b)過去のこと・現在進行中のことを現在形で書く書きかた
(c)長い間にわたって経験していること・考えていること・感じていることを説明ふう
に書く書きかた
(d)新しく獲得した知識について説明ふうに書く書きかた
(e)自分の考えていること・考えをすすめていることを評論風、思索風、主張する風に
書く書きかた
(f)他人に呼びかけたり、たのむように書く書き方
もしも以上のような書きかた(発想)を身につけさせておけば、子どもたちは、だいた
いどのような文章をも、「はじめ」「なか」「おわり」のあるまとまったものとして書きこ
なすことができる。また、このような書きかたを、いろいろとまぜあわせて、より複雑な、
まとまった文章を書くことができる。
そして、何よりも「文章表現指導の内容と方法」において心がけるべきは、⑴として「表
現過程に即しての指導内容」と、⑵の「表現形態に即しての指導」の2つの側面を結びつ
けて指導をしなければならないところを打ち出しているところである。
そして、「表現過程に即しての指導内容」を横軸とし、「表現形態に即しての指導内容」
を縦軸とし、それぞれの「文章形態」に対するその「指導過程」を示す「文章表現体系案」
を、小学校低・中・小学校高・中学一・中学二年以上の6つの表を示している。
(資料 表 文章表現体系案)
ごらんになってわかるように、(a)の形態の文章での〈取材の指導〉では、
・生活経験のなかで、書きたくてたまらないことを、どしどし書かせる。
・題材を学校生活のこと、家庭生活のこと、社会のこととひろげさせる。
・「うれしかったこと」「くやしかったこと」「はらのたったこと」というように心理の
内面にも取材を向けさせると書かれ、〈構想の指導〉では、
・「はじめ」「なか」「おわり」の意識をさらに強めさせる。
・事件や行動の時間的順序にしたがって書くことを徹底させる。
・中心点をきめる。
・「はじめ」の部分、「なか」の部分を段落にわけさせる。
〈記述の指導〉では、
・よく思いだしながら、うんとくわしく書かせる。すこし平板になってもかまわない。
・会話の入れ方をたくみにさせる。
・文脈がよくとおるように注意させる。
・つなぎコトバに気をつけさせる。
・自分のコトバで書くことをやかましくいう。
〈推こう指導〉では
・マルとテンとカギはついているか
・誤字脱字がないか。
・かなづかいはよいか。
・「だ」「である」体と「です・ます」体がまじっていないか。
そして、〈綴ったあとの指導〉は、二つに分けられて、(物の見方・考え方)では
・ほんとうに書きたくてたまらないことはどこか個性的な見方をほめてあげる。
・部分的一面的な見方について吟味する。
・感情のゆれうごきについて吟味する。
(表現技術)では、
・過去形で文章を書きすすめる方法。
・段落のつけ方について
・いちばん書きたいことをくわしく書くこと。
・概念的な書き方の克服。
・普通体敬体。
と、それぞれの過程での指導事項があげられている。
(c)の「長い間にわたる経験を説明風に書く」ときには、〈取材の指導〉では、
・課題作(例いつも考えていること、困っていること)
・自由作のときも、長い期間の経験から、何かをまとめて説明風に書く習慣をつけさ
せる。
・文例を示して暗示する。として、取材の視点が、はっきり(a)とはちがうことを
示している。そして、
〈構想の指導〉で
・文章に入れることがらをきめさせる。
・その順序を考えて組み立てさせる。
・1,2,3,4と小節に分けて書くことを教える。(小見出しもつけさせる)
〈記述の指導〉では、
・文例を示して「だ・である、です・ます」式の書き方を教えてから書かせる。
・文の末尾に注意しながら書かせる。
となっている。〈推こう指導〉〈綴ったあとの指導〉については、ここでは略する。
それぞれ比べてみ ると、そのちがいがよくわかるはずである。
このように、それぞれの発想で書かれる文章形態の具体的な指導内容を明らかにして、
それを、表現指導過程のどの部分で指導することになるかを、わかりやすい表の形で示し
ている。「形態」を意識して文章を書かせたいと思ったときは参考になる。
そして、ときには、こうした過程をふんで「ひとまとまりの文章」書かせる「一斉指導」
も大事であると、付け加えている。
2 表現形態のちがいに気づかせる指導も
-「過去形表現」と「説明風表現」―
そして、『国語教育の現実像』では、文章表現指導では、基本となる文章が2つあるの
だという考えをここでも述べている。その「Ⅳ」の「文章表現指導の現実」として、その
中に「基本になる文章表現力」というところで「文章表現力をのばすには」という項をた
てて、次のように書き出している。
岩波講座『現代教育学』の「言語と教育」編でも書いたことですが、わたしたちは、子
どもたちに、「はじめ」「なか」「おわり」のある、ひとつのまとまった文章を、だれにも
わかるものとして書く力をつけたいと考えます。そのとき、子どもたちはどんなことにな
れなければならないでしょうか。
こう問いかけて、第一には、題材を選択して、テーマをきめることができなければなら
ないこと。第二には、構想をたてる能力をもたなければならないこと。第三には、たてた
構想にしたがって、文を書きすすめて段落をつけて書いていく記述能力をもたなければな
りません。さらに、第四には、書く途中と書いたあとで、読み直しながら、すいこうする
能力を持たなければなりません。
そして、こういう能力を身につけさせるには、どんな文章を書かかせた方がいちばん適
当でしょうかとさらに問いかけて、つぎのようにこたえています。
わたしの体験では――これはわたしだけの体験ではありますまい――過去に経験したこ
とを、ひとまとまりのものとして、過去形で書く文章を書かかせた方が、いちばんよいと
思います。つまり、ひとりひとりの子が、遠い過去、または「きょうの夕方」までをふく
む近い過去に、見たこと、したこと、聞いたこと、考えたこと、感じたことなどを、「…
…しました」「……言いました」「……した」「……言った」というような発想で、再現す
る練習をつみかさねること、これがいちばん適当だと考えます。
これをやれば、文章表現の基本能力が、ぐんぐんのびるとして、これまで「さまざまな
形」の文章の一つとしてあげていた「過去にあったこと・考えたこと・感じたことを過去
形で書く書きかた」を第一の「基本になる文章」として位置づけている。
どうして基本的なものというのかその理由として、
取材・構想・記述・推こうの一切について、子どもたちにひどいわずらわしさを感じさ
せぬなか、自覚をうながし、その能力をつけ、それを身につける練習をさせやすいもので
あるから、基本的というのです。だから、わたしたちは、このような生活記録的文章、過
去のことを過去形で書いた文章を、子どもたちの文章表現能力をつけていくためのピラミ
ッドの底辺であるとすら考えるのです。p228
こういっても、〈わたしは、生活記録的文章、すなわち過去に経験したことを過去形で
書く文章のみを大事にしているのではありません。先にのべた岩波講座(『現代教育学「言
語と教育Ⅰ」)にも書きましたが(注―ここでもその六つ形態を⑴~⑹として掲載してい
るが重なるのでここでは略す。本文P13を参照)、その六つの形態の文章を書く能力を身
につけさせたい。〉としている。
その中で、〈過去の経験を過去形で書く文章のつぎには、⑵の長い間にわたって経験し、
考え感じていることを、まとめて説明ふうに書く文章を大切にしたいとおもいます。むし
ろ、これを第二の基本能力と考えたいと思います。〉としている。
その理由として、⑴生活記録ふうの過去形の文章を書く練習をしたのちに、これ(筆者
注―⑵のまとめて説明ふうに書く文章)を書かせていけば、ここからは当然、いましがた
書いた⑷⑸⑹(岩波の講座で(d)(e)(f)としたもの。注ここでは⑴から⑹としている)
のような文章への発展がみられ、同時にこれらの文章を〈はじめ、なか、おわりのあるひ
とまとまりの文章〉として、りっぱに書く能力をつけるもとがきづかれるからです。こう
述べて、⑷⑸⑹の文章の基本になる文章表現であるとしている。
また、〈これをなぜ大切にするか〉ということでは
第一は題材を、自分の意見や感情にもとづいて、あたらしいところに見つける力がつけら
れます。
そのとき、ものごとを、抽象化し概括する力がつく種類の題材ととっくむということにな
ります。
第二に構想指導としては、時間的進行の順序にたよらない構想の立てかたの練習になりま
す。いわ
ば整理されたことがらを順次ならべて、「はじめ」「なか」「おわり」をくみたてる種類の
練習となりま
すので、やがて評論的文章や思索的・主張ふうの文章を書くときの構想の立てかたへの橋
わたしと
もなります。
第三に記述の指導としては、過去形の文章のとき以上に、論理をしっかりとおす必要が生
じますの
で、文脈をととのえることのよい練習になります。また、ものごとを抽象化して表現する
ときの記述
のしかたのよい練習になります。ひとつひとつのことがらの説明に即して段落(パラグラ
フ)をつく
り、それを全体としての構想である「はじめ」「なか」「おわり」にくみたてることのよ
い練習ともな
ります。つまり記述しつつ、同時に構想をガッチリとかためていくコツが、よくおぼえら
れていきま
す。
第四に推こうの上では、コソアドコトバなどに注意して、その説明が、だれにもよく
わかる文章に
なっているかどうかいるかどうかを自分で点検するはたあらきをうながすことになりま
す。
こう述べて、「過去のことを過去形で書いた」生活記録的文章をしっかり書かせる力をつ
けた後に、第二の基本形としての「まとめて説明風に書く」書き方を身につけさせること
の大切さをくりかえしている。
そして、それぞれの指導に力をいれるだけでなく、ときには、文章形態の持つちがいに目
をむけさせて、対象へのかかわり方のちがい、題材のちがい、構成や記述のちがいにも目
をむけていくことの大切さをここでは指摘している。
また、同じ本の「ジャンル作文」からの脱皮」P296でも、あまりにも流布しすぎてい
る「ジャンル作文」との差異をはっきりさせるための提案―必要に応じて文章表現をする
場合、どんなスタイル・発想の文章でも自由に書けることへの基礎をつちかうのだ。―と
いう意味で、子どもたちがこうしたさまざまな「表現形態」で文章を書くことの必要性を
重ねて述べている。
五 文章表現「形体論」としての展開
1 児童文の表現諸形体とは
生活綴方の理論的整理、実践のありかたを追求してきた日本作文の会は、その考えを『講
座生活綴方』(百合出版)にまとめている。その第三巻で、国分一太郎は、生活で書く文
章にはさまざまな「型」、「種類」、「文体」「形」「形態」があるといってきたりもしたが、
ここでは、会の言い方にそって「形体」ということばをつかっている。
そして、第Ⅰ章を書いた、今井誉次郎のあとを受けて、
第Ⅰ章でのべたように、生活綴方のしごとでは、
㈠ 過去のことを過去形で書くこと=すべての文章表現の基礎
㈡ 過去のことを現在形(現在進行形)で書くこと=描写の基礎
㈢ 長期間の直接経験を総合して書くこと=説明の基礎
㈣ すでに明らかにされている知識など、間接経験の形で学習したことを概括して書くこ
と=概括の
基礎
の四つを、児童の文章の表現形体のなかの基礎的なものとする。
として、「表現形体」とかかわらせて「文章表現指導の基礎」「文章表現指導の発展」「さ
まざまな能力とその指導態度」について述べて
わたしたちが「表現諸形体」というときは、子どもの「発想」「文体」のありかたを総合
的にとらえ
て言っているからである。したがってわたしたちは、つねに「なにをかくか」「それをど
うとらえるか」
の題材論をしっかりと頭においておかなければならない。そして、つねに「なにを」こそ
が、「どう
いう表現形体でかくか」を決定づけるような方向で、よい指導をしなければならない。
と述べてまとめている。
また、そのことにふれるような形で、日本作文の会の機関誌「作文と教育」に、「なぜ児童
文の表現諸形体に目をつけるか」という論文を書いている。
1
日本作文の会編集『講座・生活綴方』の第三巻は「生活綴方の指導体系Ⅱ」の名のも
とに、児童文
章の表現諸形体をとりあげた。そのなかでもっぱらこれに対する指導の方法をあきらかに
することに
つとめた。(中略)
さて、この巻で、わたしたちは、児童文章の表現諸形体を、つぎのように分け、それ
ぞれの指導に
ついて、かなりくわしくふれている。
○基礎的形体
(1)展開的・過去形表現
(2)総合的・説明形表現
(3)展開的・現在(進行)形表現
(4)総合的・概括形表現
○発展的形体
(5)議論・説得的表現
(6)反省・思索的表現
(7)うったえ・勧誘的表現
このうち(1)の展開的・過去形表現のしかたとは、従来子どもによっていちばんよけい
に書かれ
た。すでに過ぎ去ってしまったことを、時間の経過や事件の進行にそって、「ました」「し
ました」「し
た」「だった」という形で、文章表現をしていく能力・習熟のことだ。これを、わたした
ちはあらゆる
文章表現指導の基礎的なものとして、とくに重視した。この形体の文章の書き方指導によ
ってこそ、
取材・構想・記述・推考などへの意識的な自覚をたかめることができやすいからだ。
(2)の総合的・説明的表現のしかたとは、長い間にわたる直接的経験、やや長い間にわ
たってとらえている事物やそれについて考え感じていることを、まとめて説明風にかく能
力と習熟のことだ。
これには、(イ)ひとつの事物をさまざまな側面から、ある一定の角度からとらえ、そ
れを総合して説明するのと、(ロ)長期間にわたる経験や事象を総合し概括して説明風に
記述するのとがはいる。
わたしたちはこの表現形体を(1)の過去形表現形体とならべて、ひじょうにたいせつ
なものとした。取材・構想・記述の上で(1)とはちがった面への意識的自覚を子どもた
ちに与えることが可能となるからである。
(3)の展開的・現在(進行)形表現のしかたとは、すでに過去のものとなった事件や事
象や心理、また現在進行中のことがらなどを、「しています」「している」「する」と現在
進行風にかく能力と習熟のことだ。これをわたしたちは描写の形への基礎として、やはり
たいせつにした。
(4)の総合的・概括的表現のしかたとは、間接的経験としての学習、さまざまな文化の
享受・鑑賞などによって得たものを概括して書く能力と習熟のことである。したがって、
これはすでにだれかによって概括されていることを、自分の心をとおしてふたたび概括、
要約する能力もはいるわけである。
(中略)
2ここまで書いてくると、読者諸君は、どうして表現諸形体などというものを考えたのか。
表現諸形体とはなにか。表現形体に応ずる指導とはなにか。それをなぜ考えなければいけ
ないのか。こういうことに疑問をさしはさむにちがいない。
そこでまずはじめに児童文章の「表現形体」とはなにかということから考えてみたい。
これについては、講座第三巻でも今井誉次郎が、「児童文は、児童の認識の発達のすじみ
ちとひろがりに即して書かれるもので、児童のことばで、児童の思想・感情が、ありのま
まに表現されていることが特徴である。このような児童文の持つ文章表現形体について、
ここで研究を進めるのである。「表現形体」ということばを使ったのは、おとなの文章の
一般的な文体や、文章形態・文章の分類などと、はっきり区別するためである。つまり、
ここで使う文章表現形体というコトバは、「教育上の用語である」とことわっている。つ
まりおとなの世界でいう「叙事文」「記事文」「説明文」「議論文」「勧誘文」といった
文章の種類わけでもないし、文章形態(ジャンル)の意味でもない。さればといって、お
となの世界の文体論でいわれる「一定の美的理想に適合せる一定の言語構造を具有せる文
章=文体」でもない。
まさしく子どもの立場にたって、その表現意欲と、それを文章として書きはじめ書きす
すめていく発想とその実行とに即して、それを効率高く指導する教師の立場から、大きく
区分けしてできたコトバである。
こころみに考えて見よう。子どもたちが、自然の事物、社会の事物、人間の心理の内部、
文化の事物にふれたとき、それととっくんで、なにかをつかみ、なにかを考え、なにかを
感じたとき、それを自己の内部をとおして、ひとまとまりの文章に表現しようと意欲した
とき、いったい子どもたちは、その欲求・必要に応じて、どんな発想法をえらぶだろうか。
どんな記述の型(タイプ)、様式(スタイル)をえらぶだろうか。その心理の内部、その
表現心理のゆれうごきに即していうなら、きっと次のようになるだろう。たいていのもの
が、ひとりでに題材と表現意欲のありかたにそうて、それぞれつぎのような形をえらぶに
ちがいない。
(1)あのとき、あの場所で、あのことがらに出あって、あるいはああして、こうなっ
たのだ、こうしたのだった、こういう結果になったのだったと、かきはじめ、かき進め、
かき終わりたいにちがいない。(展開的・過去形表現形体とこれを名づける。)
(2)また「いつもあること」、「長い間にわたってあること、見聞きしていること、考
えていること」、「比較的長期にわたって経験し、考え感じていること」などを表現する
ときには、「こうです」「こうなのです」、「こうだ」「ああだ」、「こうするのだ」、「こうな
るのだ」と、これをややまとめて、他人に説明するように書きはじめ、書きすすめ、書き
おわりたいにちがいない。(総合的・説明形表現形体とこれを名づける。)
(3)また、ある文章のなかで、その場面の姿やうごきを、より生き生きと描写したいと
き、また、ある詩のなかで、ひとつの映像(イメージ)を鮮明にひとびとに伝えたいとお
もうときには、「している」「する」「しています」「みえます」と現在進行形でかきたく
なるにちがいない。じじつ子どもたちの文章には、大正中期以来、それができている。わ
たしたちはこれを、それほど重く見る立場にはたたないが、やはり子どもたちが意欲し選
択する表現形体としてとりあげる。(展開的・現在進行形表現形体とこれを名づける)
(4)また、子どもたちが、教科の学習でなにごとかを学んだり、教科外活動や家庭生活
のなかで、テレビ、映画、ラジオ、単行本、雑誌、新聞その他から、ある一定のことを学
んだ場合、そしてこのえたる成果について表現しようとするときには、「それはこうなの
です」「こういうことです」「こうなるのです」「こういうわけだ」「こういう原因でこう
いう結果になるのだ」、「……というものである」、「……という道理である」、こういうこ
とだったのだ」等々と、これをまとめて、概括して書きたくなるにちがいない。頭のなか
で総合し、抽象しつつ、それを文章のかなに概括しようと努力するだろう。(総合的・概
括形表現形体とこれを名づける。)
以上にのべたような表現意欲、発想、表現の実行、その終結のさせ方などが、子どもたち
のかく文
章に、一定の形体を与えるのだ。この形体のいちじるしい区分けをとらえて、わたしたち
は、これを
児童文章の表現諸形体という。そして、この諸形体のうち四つ(先にあげた〈1〉〈2〉
〈3〉〈4〉)を、とくにとりあげて基礎的形体とみなす。
なぜ基礎的形体とするのか。この四つの形体の文ないし文章を、必要に応じて、自在に
かけるようになっているなら、子どもたちは、だいたいにおいてひとまとまりの文章表現
のために、とまどうようなことはないからである。つまり必要に応じて、単独にひとつの
形体の文章をかくこともできるし、また、あるときには、(a)過去形表現形体のなかに
説明形体をまぜたり、現在進行形体をまぜたり
(b)総合的・説明形体のなかに、過去形形体や現在進行形体をまぜたり、(c)現在進
行形体に他の形体をまぜたり、(d)総合的・概括的表現のなかに他の表現形体をまぜた
りして、ひとまとまりの文章にまでしあげることができるからである。(以下略)
2 その指導は、「題材の選択」「表現意欲」の指導から出発する
表現諸形体に応ずる指導
ここでは、それぞれの文章形態を、「……形体」の指導という名うって、どのような文
章をさすのか。またその指導にあたっては、どのような点に留意して書かせていったらよ
いかを書いている。
また、それぞれの文章を積極的・意欲的に書くなかで、その文章の発展ともいえる「形
体」が生まれてくることも示唆している。
1 表現諸形体、その内容
展開的過去形表現形体の指導―これは文章表現指導の基礎として、あくまで重視される。
過去に経験したり、考えたり感じたりしたことを、時間の推移・事件の進行の順序に、「あ
る時、ある場所で、こうだった、ああだった、こうした、こう考えたのだった、ああ感じ
たのだった」と書くこの形体と発想と表現では、題材のとらえ方、構想のたて方、記述す
るときの心的活動にコトバをむすびつけることなどを、たやすく自覚させることができる
からである。このような書き方をした文章を「生活文」などという人がいるが、わたした
ちはそう言わないし、そう考えない。むしろこれを文章表現の基礎として、うんと大事に
していくのである。
総合的説明形表現形体―⑴を十分に書かせ、子どもがそれをこなせるようになったら、
学級の中からひとりでに出てきたこの形体の文章、他校の子どもが書いた模範的なこの形
体の文章の例などをつかって、こういう書き方にもなれなければならないと指導の手を加
えいく。これは前にも説明したことがあるように、長い間にまたはやや長い間にわたって
見聞きし、考え、感じていることを、「こうなのです」「こうします」、「こうするのです」、
「……である」と説明風に書いていく形体である。
それゆえ最初の自覚を与える指導では、⑴の形体の文章と比較させたり、また、ある課題
などを与えて書かせたりするのもよい。たとえば「私のからだ」、「私の大事な持ち物」
のように。
この形体の指導では、⑴とはことなる構想のたて方――時間や事件の推移によらぬ構想、
ここで分析したものを総合していく心のはたらきが訓練される――の指導をしっかりしな
ければならぬ。こういう文章をかかせると、文章の構想は自然とちがってくるので、それ
を再認させ、今後より積極的に心をくばるべきことを教えるのである。そしてこれになれ
させておけば、⑴で書きすすめてきた文章の中途に、必要な説明を部分として入れること
も、らくにできるようになる。このほか、あとでのべる⑷の形体の文章における構想のた
て方への理解ともなるし、やはりあとでのべる発展的形体のうちの「論評・説得の形」の
文章における構想――論理の展開と照応する――への下ごしらえともなる。
展開的現在進行形表現形体――これは描写的な詩や特別な散文以外は、全体としての文
章の形体とはならない。むしろ全文章の部分部分の文章にはいってくる形体といった方が
よい。
いま事物・現象がうごいているように「している」、「風が吹く」、「木がゆれる」、「木
の葉のかげがちらちらうごく」と、現在進行しているように書くのである。これはいわば
描写のためのひとつの基礎指導であって、実際の練習指導としては、自然や街頭などのス
ケッチからはじめてもよい。エンピツとノートをもっていかせて、目の前の事物のうごき
や姿を、「……しています」、「……する」、「……している」と写生させるのである。
またこの種の形体の文章は、なんらかの影響と、子どもの発想の自然な要求から、ひとり
でにあらわれてもくる(五十人の学級なら三、四人がこれを書く)。だから、そういう自
然なあらわれをとりあげて、全クラスの子どもの間に意識させるがよい。すでにできてい
る規範的なものを鑑賞させてもよい。教師があるカンタンな動作をして(すでに過去にな
ってしまった!)を、よく思いおこしながら、共同で黒板の上に、現在進行しているよう
に書く練習をしてもよい。
総合的概括形表現形体の指導――これと⑵とのちがいは、⑵が経験や考や感じを、やや
具体のまま、全体にまとめていくのに比して、総合・概括であるから、その抽象度濃いと
いうことである。したがって書く以前において、よほどの分析・総合・抽象・概括がなさ
れていなければ、この発想はむずかしいことになる。
この形体の文章は、二、三の例をあげれば
◌他教科で学んでよくわかったことをそれと自分の生活との関係において、まとめてか
く、
◌新しく獲得した知識をまとめてかく、
◌長い間の経験を通じて整理したり、本をよんだりしてハッキリできた自分のある考えを
まとめ
てかく、
というようなときに使用されるのである。わたしが今書いている文章なども、この表現
形体に近い。ものごとの本質をつかんでそれをまとめてかくことなどになれば、いっそう
この形体を必要とするのである。
この形体の表現指導では、やはり模範的な文章を鑑賞することからはじめるのが一番よ
い。また、おとなの書いた専門分野に関する文章のなかのわかりやすい部分を、よくよま
せることなどが必要である。はじめから理屈でおしえて、「さあ、こういうのを書いてみ
よ」などといった扱い方をしてはならない。クラスの子どもの作品から出発するときは、
⑵の形体の文章のうちの抽象度のより濃いもの(一般的記述に近くなっているもの)を選
びだしてあつかえばよい。
2 表現諸形体、その方法
この側面の指導にかんしては、さきにあげた〈表現各過程に則する指導(表現意欲・取
材・構想・記述・推考・鑑賞批評など)と、どう関連統一して指導するかということが問
題になる。〉としている。
この点で一番大事なことは、「題材の選択」「表現意欲」の指導とむすびつけるという
ことである。
なぜならばこれは「何を」「どう」書いていくか、かいていくときの「発想」と非常に
関係にふかい
ものだからである。すなわちこれらの諸形体は、はじめに形式・技巧があって存在する
のではなくて、「何を」「どう」かくかの方が先行して、それにふさわしく形式が決定さ
れるのだからである。もともと社会におこなわれている文章の形態「ジャンル」なども、
事物と人間のしこう・感情と表現意欲があって、じっさいにさまざまな形式の文章がかか
れ、ここからジャンルといったものが抽出されたにすぎないのである。したがって、わた
したちは、この指導を題材指導、表現意欲や表現のもモチーフをつくりださせる指導に、
かならず結びつけなければならない。
一方、取扱いということになれば、ある時間は⑵の形体の書き方についての自覚を与え
る指導とし、そのとき「構想のたて方」指導にこれをむすびつける。⑵のような形体の文
章では、それの指導にとむすびつけてでなくては、構想指導は効果をあげられない。
六 まとめ
まえがきに、次のような文章がある。〈「民族」、「芸術」、「」の三章は、こんど新しく書
き加えた。これで、に関する理論的諸問題は、わたくしとしておよそ論じつくしたように
思う。〉と、『生活綴方の今日と未来』を出すにあたって、これまで雑誌等に書いてきた
文章をまとめて、「形体」論を書き加えることによって、「理論的諸問題」は、「およそ論
じつくしたように思う」と書いている。
このあと、国分一太郎を中心として日本作文の会の運動と実践ということでは、「定式
化」「系統案」の問題に重点がおかれて展開される。ここでは、そのことについてふれる
よゆうはないが、そのおくには、「生活綴の文章表現形体論」が土台になっていることは
言うまでもない。
1 「ふたつの文章」を書くことができれば
そして、しばらくたって国分一太郎は、2冊の本を書く。『みんなの綴方教室』(1973年9
月)と『続みんなの綴方教室―子どもとおとなのためにー』(1980年8月)。いずれも、
新評論からの出版である。
国分一太郎の「文章表現形体論」が「熟成」した形で述べられている。
「はじめに」のところで、この本は、〈生活つづりかたについての考えかたと実際の指導
についてのしかたの紹介を予定している〉。〈戦後二十何年かのあいだに、おおくの先生
たちによって研究され、実際に指導され、ゆたかにされ、発展させられたそのなかみのか
ずかずということになる。いわば共同によるその達成を、りっぱな実践家にかわって、で
きるだけまちがいないようにして、私が紹介するのである。〉として、発行の趣旨を述べ
ている。 そして、「まずこのような教室を」と、「いくつかの前提」として、他教科と
の関係、よみ方教育をしっかりやること、文字をしっかりと教えることにふれたあとで、
そのほとんどを、〈ある日ある時ある所であった、あることについてつづらせる 〉〈長
いあいだ、やや長いあいだにわたって、経験し考え感じている具体的なことを、まとめて
説明風につづらせる〉についやしている。
この、それぞれの文章を書かせるときの「文章表現指導の過程」、すなわち、表現の契機
・意欲の指導、取材・題材化の指導、構成・構想の指導、叙述・記述の指導、推考の指導、
鑑賞・批評の指導について、詳しく書いている。いってみれば、このふたつの文章の書き
方を、書かせ方についてのべた本ともいうことができる。
そして、「この巻のおわりでのひとこと」、ここでは次のように国分の考えを書いてい
る。
ここまでで、私は、子どもたちのかく、私たちのいう「ふたつの文章」のかきかたを、
それぞれ適切に指導するための考えかたと、その具体的な指導方法を、こまごまと紹介し
おわった。そして、ここでおもうことは、つぎのようなことである。
もしも、日本の子どもたちが、周囲の事実や生活現実をはなれないところで、
⑴ ある日、ある時、ある所であった、あることを、時間の推移、事件の進行の順序に、
……した、した」「……したのだった」「……しました」「……したのでした」と、説明し
描写してかく方法。
⑵ 長いあいだ、やや長いあいだにわたって、経験し考え感じている具体的なことを、
まとめてに「……するのである」「……するのだ」「……なのだ」「「……するのです」「…
…です」と書きつづる方法。
このふたつの方法を、よく身につけたならば、その意欲により、必要に応じて、たいて
いの文章はほぼ書けるのではないか。私たちの長い経験からいって、どうも、こういえそうな気がするのである。
事実、ここまでの指導が十分であれば、小学校六年生のころには、つぎのような文章もかけるようになる。
ふたつのうち、前の方「ぼくの父」は、「ある日、ある時、あるところであったできご
とを再現していくかきかた」と、「説明の文章」がうまくとけこんでいる。あとの方の「働いている母」は、「説明的なかきかた」に、部分としての過去形表現をくわえたところが、
やはりよくできている。
こう述べて、このあとに「ぼくの父」「働いている母」の作品を、じっくりとよんでい
ただきたいと、とりあげている。
そして、その作品のあとには、次のように、その「発展」についてもふれている。
また、もしこのふたつのかきかたをしっかりと指導するならば、私たちのかしこい子ども
たち、日本の子どもたちは、その内部にひそむ可能性を発揮して、このつぎは、
・過去形でかいてきた経験再現の文章のあいだに、部分的な説明の文章をいれる方法。
・長いあいだにわたることを説明していく文章のある部分に、実例を入れたり、証拠
をしめしたりするために、ある時のこととして過去形の文章をいれたりする方法。
・また必要によっては、現在進行中、継続態の文章表現をはめこんだりする方法。
これらを、きっと発見するにちがいない。現実(客体)と自分(主体)とのかかわりあ
いで、なんらかの文章表現をするときには、ひとりでに、こういう、さまざまな表現方法
をうみださずにはいられないものだからである。つまり「何を」が「どう」をもとめて、
内側から「形式」を発見していくのである。
さらに、子どもたちは、ほかの教科の勉強のすすみぐあいとあいまって、ものごとにつ
いての認識や感情を、一般化したり、概括したりして表現することをも要求し、そのため
に、私たちのいう
・概括的・抽象的な文章のかきかたをも、みずから身につけようと、もがきはじめるにち
がいない。とくに中学生や高校生になれば、そのことを求めるちがいない。
生活綴方が大事にする、子どもの生活意欲、生活知性のなかから生まれてくる「何を」
「どう書くか」その主体性を大事にしていくなかで生まれてくる文章となるような期待も
込められている。
2 より複雑なことを書かせるためには
このあと『続みんなの綴方教室』―実践生活綴方ノートⅢ―を著している。この本は、こ
れまで述べてきた「ふたつの文章」の文章表現の指導の上にたつものであり、これまでに
〈勉強してきたものを生かして、より複雑なことを多様な書きかたでつづっていく文章の
表現指導を身につけていくようにすることであ〉と述べている。そして、その指導内容の
予告を「この本のはじめに」で書いている。ぜひその内容は、本を手にとって読んでいた
だきたい。