子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

第二指導段階について  永易   実

第二指導段階について  永易   実

一 第二指導段階で書かれる文章作品とは

 第一指導段階で書かれる文章作品と、第二指導段階で書かれる文章作品との違いをとらえるために、この段階で書かれる文章作品を読むことから書き始める

 作品例①  運動会  
               山形 四年 叶内 厚子
 春になると、毎年、うんどう会がやってきます。
 わたしは、うんどう会がとてもいやです。わたしは、走 りっくらというと、むねがどきどきになって、しょんべん がでたくなるのです。はしりっくらは、わたしのいちばん きらいなことなのです。だから、うんどう会がくるのは、 だいきらいなことなのです。
 うんどう会だけではありません。いつもの体いくの時で も、べんじょに行ってから、体いくのべんきょうをするの です。
 わたしは、毎年、うんどう会がくるころになると、かあ ちゃんにいうのです。
 「うんどう会のとき、かぜひいたふりして、休むからな。」 などというのです。そうすると、かあちゃんは、いつもこ ういうのです。
「なして、おれのえの厚子は、うんどう会、きらいだっぺ。あんちゃんだって、おばちゃんだって、かあちゃんだって、みんなはしりっくら、はやかったから、うんどう会なんか だいすきだった。なして、厚子ばかり、はしりっくらおそ いんだべ。」
というのです。そうするとわたしは、
(ひょっとするとわたしだって一とうになれるかもしれない。)
と思うこともあるのです。
 わたしは、一年生の時も、二年生の時も、三年生の時も、うんどう会のはしりっくらは、後ろから一とうばかりです。うんどう会ばかりでなく、体いくの時間にリレーをしても、いつも追いこされるか、ぐんとはなされてしまうのです。だから、みんな見ているところではしりっくらをするのは、とてもはずかしいのです。
 わたしの家の近くの友だちにも、わたしみたいに、はしりっくらのおそい人がいればよいのですが、わたしみたいにおそいのはいません。それを思うと泣きたくなってきます。うんどう会のごほうびに、えんぴつやちょうめんをもらわなくてもよいのですが、後ろから一とうになるのをひとにみられるのがはずかしいのです。四とうか五とうくらいになれるのだったらいいけれど、後ろから一とうなので、うんどう会はきらいです。
 でも、もうすぐうんどう会がくるというときになると、友だちといっしょに、はしりっくらのれんしゅうをします。けれども、はやい人は、れんしゅうすればもっとはやくなります。だから、わたしは、後ろから一とうなのです。
 うんどう会のとき、けんぶつにきている小さい子どもたちをみると、
(あの子たちは、走らなくてもいいので、いいな。)
と思います。わたしは、小さい子どもがうらやましくなることがあります。
 うんどう会のとき、とうにはいって、えんぴつやちょうめんをもらい、うれしそうにしている、はしりっくらのはやい人もいるけれど、わたしは、うんどう会はなにもうれしくありません。
 わたしは、どうしてはしりっくらのおそい子どもにうまれてきたのでしょうと、いつも思います。

 この文章では、いくたびかにわたって経験したことから、考えるようになったことを、頭の中でよくまとめて、説明するように書いている。
 しかし、わたしたちが公表した指導段階での第二指導段階で書かせようとする文章作品は、決して、いくたびとなく経験したなかで生まれてくる、考えたり、感じたりしている具体的な事実について、頭の中でよくまとめて、説明ふうに書いていくことだけにアクセントをおくものではない。ここでは、長い間、やや長い間にわたり、幾たびもくり返し見聞し、経験していることについても、頭の中で、よくまとめて説明風に書かせることも考えている。
 こうした文章作品を書き綴らせるのが、第二指導段階の「長い間、やや長い間にわたり、行くたびもくりかえし見聞し経験していること、考えたり感じたりしている具体的な事実について、頭の中でよくまとめて説明風に書いていくような文章の書き方を、すべての子どもに身につけさせていく指導の段階=具体的総合的説明形表現の指導の段階」である。

二 第一指導段階との違い

 ここで書かれる文章は、第一指導段階で書かれる「自然や首魁や人間にまつわる一回限りの過去の経験を再現するように書く」ものとはちがい、「長い間、やや長い間にわたり、いくたびもくり返し見聞し経験していること、考えたり感じたりしている具体的な事実について、頭の中でよくまとめて説明風に書」かれたものである。
 第一指導段階で指導された文章の書き方で、運動会のことを書き綴るのであるならば、ある年の運動会で、見聞きし経験したなかでとらえた事実、それについて考えたこと、感じたことを、そのことがおこった時間の推移と事件の進行の順序に「~した」「~しました。」と、過去形表現を主として書き綴っていくものであった。たとえばそれは、こんな文章になっていく。

作品例②  うんどう会
「厚子、きょうはうんどう会だべ。」
という、かあちゃんの声で目がさめました。
 ふとんから出て、べんとうをこしらえているかあちゃんのよこにすわって、
「きょう、かぜひいたふりして、休むかな。」
といいました。すると、かあちゃんがおどろいたような顔になって、
「なしてかぜひいたふりして休むな。」
とききました。わたしは、
「走りっくらで、後ろから一とうになるのはずかしいから。」
といいました。かあちゃんは、すこしわらいながら、
「かあちゃんだって、あんちゃんだって、走りっくら、はやかったから、厚子だってだいじょうぶだ。」
といってくれました。わたしは、かあちゃんにいわれて、がんばればはやく走れるかもしれないと思いました。
 学校についてからも、走りっくらのことがしんぱいで、むねがどきどきしていました。
 だんだんすすんで、わたしたち三年生の走りっくらになったとき、むねのどきどきがつよくなって、しょんべんがでなくなりました。それでも、ならんでスタートにつきました。山田先生が
「ヨーイ。」
といってからピストルをならしました。わたしは、後ろから一とうになるとはずかしいからがんばって走りました。ゴールについたとき、六年生のしんぱんの人が、わたしのかたに手をやって」
「あんたは六とう」
といいました。六人で走って六とうだから、わたしは後ろから一とうでした。

 この文章はさきに掲げた「作品①」のいくたびかにわたって経験したことから、自分がほかの子どもより、走ることがおそいということをとらえ、そのことについて考えるようになったことを、ひとたびは、意識的に分析し、また統合し直してやや一般化し、まとめて説明するように書き綴った作品とはちがっている。つまり「作品例②」の文章は、三年生の時に経験した一度の運動会のことを、できごとの進行の順序に従って、その事実を再現するように書き綴ったものである。子どもたちは、こうした一回限りの経験をたびかさねることではじめて、わたしはやはりほかの子どもより走るのがおそいのだといった、やや一般的なものやことのとらえかたができるようになってくる。したがって、文章表現の順序も、こうした子どもの認識の発達によりそってなされなければならないことはいうまでもない。

三 この指導段階での指導は

 したがって、この指導段階での指導は、「作品例②」のような文章を書かせる第一指導段階の指導がよく徹底したあとに、はじめておこなうものとして位置づけることが、指導の順次性からいって正しい。それは、さきにも書いたように、、子どもの認識の発達から見ても、このあと回をおってくわしく書くことになるが、表現方法上から見ても、こういってよいのである。
 しかし、教室の子どもたちに文章を書き綴らせる実践をつづけていると、一年生の子どものなかにも、次にあげた「作品例③」のような父母、祖父母を書いたものや、「作品例④」のような自分の大事なものを書いた文章作品が出てくることがある。

作品例③   おとうさん
     一年 ふくおか まさひろ
 ぼくのおとうさんは、こくてつではたらいています。日 よう日は、
「ああつかれた。」
といって、ねてばかりいます。まえのときは、
「こんどは、あそんでやるよ。」
なんていうけど、なかなかあそんでくれません。おとうさんは、いやんなっちゃうんです。でも、たまに、おもちゃや本をかってくれたりするのです。それに、ぼくには、とってもやさしいのです。

作品例④   ぼくのたからもの
         あさくら ともゆき
 ぼくのたからものは、おにいさんからもらったじゅうしまつです。
おにいさんが、学校のかえりにとんできたのをつかまえたものです。
 いつも「ピーピー」とないて、えさをたべています。くらくなってくると、すの中に入ってねむります。いろは、こげちゃと白がまざっていて、めがまるくて、よくとびます。とりの足は、つめがながくてするどいです。
 ぼくは、うれしくて、いつまで見てもあきません。

 わたしたちが公表した「生活綴方教育=正しい作文教育における指導段階の定式」(1982年3月)は、こうした個別的に書かれたものを対象にしたものではない。あくまでも、あらたまった一斉指導としておこなうことを考えて公表したものなのである。したがって、第一指導段階の指導が徹底されない中で、個別に書き綴られてきた、「作品例③」や「作品例④」のようなものについても、「ここで、こんな書き方をしてはいけません。」などととがめるようなこともしないし、「こんな書き方をしているのはりっぱです。」といってほめるようなこともしない。こうした文章作品については、学級全体の子どもたちに、第一指導段階の指導を徹底したあとにあらたまった「一斉指導」としておこなうものとしているのである。
 前回公表した「指導段階の定式」は、一九六五年に公表したものについて、さらに実践と研究を重ね、今日必要な新しい観点をくわえたうえでも、やはり「この指導段階での指導は、第一指導段階の指導がよく徹底したあとに、あらたまった「一斉指導」としておこなう。そしてこの一斉指導としては、第一指導段階の指導と第二指導段階の順序をぜったいに変えないことを確認する。この順次性を無視することは、子どもたちの認識の発達からいっても、表現方法を身につけさせていく順序からいっても、決して適切ではない。」とさらに強い確信の上にたって、言わしめるのである。
 この第二指導段階の指導をしていくとき、いつも問題になることは、第二指導段階の文章の指導に入ったときには、第一指導段階の文章については書かせないのかというということである。決してそうではなく、第一指導段階の指導と平行して、この新しい指導をしていくということなのである。

四 この段階における表現活動の各過程の指導

 さて、いよいよこの指導段階における、それぞれの指導過程について、ここからあとに書くことにする。

(一)取材・題材指導

■ 長い間、やや長い間のことをまとめて書く取材・題材意識を

 ここでの取材・題材指導は、一回限りの経験をその出来事が起こった時間の順序によく思い起こしおこしながら書いていくものとはちがう。長い間、やや長い間にわたり、いくたびも経験していること、考えていること、感じていることの中から、頭の中で、よくまとめて説明しなければならないようなものごとからの取材指導であり、題材(テーマ)を選ばせる指導である。
 ここの指導でも、はじめからねうちのある題材を選び出させ、それを書かせようとしてもなかなか困難である。はじめのうちは、この文章の書き方でぜひ書いてみたいと考えている題材(テーマ)を自由に選び出させ、書かせることから、この文章を書くことに慣れさせていく。第一指導段階の指導で生まれた文章作品と、第二指導段階で生まれた文章作品と比較させながら、そのちがいを理解させていく。あるいはまた、つぎに示すような文章作品を数多く、読み聞かせたり、学級文集に数多く掲載し、読ませていく。

作品例⑤  にわのオカメコオロギ
           東京 四年  吉見 直洋
① ぼくの家のにわにオカメコオロギが住んでいます。ほかにツブレサセコオロギもいますがオカメコオロギのほうが多くいます。
② オカメコオロギは、顔がオカメににていることからこんななまえがついたのだと思います。
③ オカメコオロギのき声は、リッリッときこえます。よくうえ木ばちの下や草のあいだなどでないています。
④ 五月の中ごろから六月にかけて、三ミリから五ミリくらいのよう虫がかえります。色は、かえったばかりのときには、とうめいだそうですが、かえったばかりのは、見たことがなくて、いつも見るのは、はい色です。
⑤ 七月ごろには、八ミリくらいになり、小さいはねが見えてきます。八月ごろには、十二ミリくらいになって、はねがはっきりしてきます。九月ごろには、だいぶぶんが成虫になります。
⑥ うかしたての成虫は、からだが白っぽくてやわらかそうです。そして、時間がたつと、どんどん茶色っぽくなってきます。わかい成虫は長いうしろばねがあり、十日ぐらいするとぬけてなくなります。
⑦ オスとメスのくべつは、オスはしっぽが二本でメスはまん中にさんらんかんがあるので三本です。なくのはオスで、メスはなかないので、はねのつくりもちがっています。
⑧ 草のあいだやかれ葉などの上にキュウリやナスをおいておくと、いつもあなだらけになっています。そして、そのまわりに、ふんがたくさんおちています。
⑨ 十月ごろには、だんだん数がへってきます。オスは、かた足をメスにくわれたりして、かた足がないものや、はらをメスにくわれてひっくりかえっているものもでてきます。十一月になると、メスもたまごをうんで死んでしまいます。
⑩ ぼくの家のにわに住んでいるオカメコオロギは、こうして一年をすごします。

 はじめはわかりよいこんな作品をあたえながら、子どもたちに、この段階の文章を認識させていく。そのあとで、しだいに質の高い作品を読み聞かせたり、文集に掲載して読ませるようにしていく。そのときに選ぶ作品についても、自然や社会や人間、文化の事物・現象のどれにもわたるようにすることから、題材の多面化をねらうようにするとよい。
 こうした指導をくぐり抜けたあとで、題材をより深化させ。個性化させるところにむかわせる。子どもの書くものが、よりねうちのあるものになるように導いていく。

■題材のねうちについての意識を

☆ 題材価値を指導していく一つの観点としては、、子どもたちの表現意欲、主体的な表現の契機から次のようなことに気づかせ、意識的に書くような指導をしていく。
① この頃、いつもこういう事実とぶつかる、こういうことが続いている、こういうものが目につく。だからそれを題材化したというもの。
② この頃、こういうことが本当なのだ、こう切実に思っていることがある。だからそれを題材化したというもの。
③ 前には気づかなかったこと、よく見たり聞いたりもしなかったこと、考えたり思ったりしなかったことにこの頃気 づいた。だからそれを題材化したというもの。
④ この頃いつもあることに心を動かされている。だからそれを題材化した。
⑤ この頃ずっと、理屈に合わないことにであって考えつづけていることがある。それをみんなに説明したくなっている。もっと追求したくなっている。だからそれを題材化したというもの。
⑥ 自然や社会や人間のことについて、今までよりは、深く考えるようになったことがある。だからそれを題材化したというもの。
⑦ このごろ、ずうっと願いをもっていることがある。それを主張したり、他人にうったえたい気持ちになっている。だからそれを題材化したというもの。
⑧ まえまえから、空想したり想像したりしていることがある。だからそれを題材化したというもの。
⑨ 共鳴したり、反発したりしたいことが心の中にたまっている。だからそれを題材化したというもの。
⑩ まえから、誰かに呼びかけたいことが続いている。だからそれを題材化したというもの。

☆ 題材価値を指導する二つめの観点としては、子どもの認 識の発達から見て、次のようなことから指導していくことがある。
① さまざまな現実、ものごとの中の個別的な現象、部分的な事実を、一つ一つ正確につかんでいるもの。
② 現象の似ているところと違うところ、現象と現象との対応・関係などを一つ一つつかんでいるもの。
③ まだ科学的概念とはいえないが、一般的な表象を頭の中に作り出しているもの。
④ 本質のあらわれである現象と、そうでない現象との違いに気づきはじめ、それを明らかに区別してとらえているもの。
⑤ 部分的な真実や美をとらえ、自分でそれを確認し、またそれに感情を揺り動かしているもの。
⑥ 普遍的な真実、本質へ接近しようとするような意欲、そのための意識や追求の念などを示しているもの。
⑦ 普遍的な真実、本質にせまるのには力不足であることを感じて、もっと学習しなければならぬと、意欲をおこしているもの。
⑧ 教科の学習で手に入れた知識・法則・原則などを使って、現実の事物の意味を解明しようとこころみているもの。
⑨ 自分の頭と体を使って行動し実践し、何かがわかったり、喜びを感じたり、あるいは不満や不快を感じ始めているもの。

☆ 題材価値を指導する三つ目の観点としては、他教科の学習で身につけたものや、日常生活の中で身につけたものが文章表現に反映し、文章表現をすることで、いっそう確実に子どものものになっていく、ものをとらえる方法の獲得ということからみていくことがある。そしてそれには、次のようなことがらの指導がある。
① 一つ一つのことがらを正確にこまかく観察する力がはたらいているもの
② 目の前に今はないものを書くときに、頭の中に生き生きと浮かべなおし、文章にかきつけるような表象力がよくはたらいているもの。
③ ものごとについて比較対照をおこない、その似ているところと、違うところを区別し、整理し、まとめ、分類などをする力があらわれているもの
④ ものごとを分解分析したり、関連づけたり、総合したり、判断したり、推論したりする力が現れているもの。
⑤ 原因と結果、条件と作用などの関係をつかみとる力があらわれているもの。
⑥ ものごとを部分的・局部的・特殊的・表面的・形式的・機械的にではなく、全体的・総合的・一般的・普遍的・有機的にとらえていく方向へのびつつある方法の意識が、少しずつでもあらわれているもの。
⑦ ものごとを一般化したり概括したりする方法と、具体化したり具象化したりしたりする方法とが、しだいに身につきかけているもの。それを自在に駆使しているもの。
⑧ 動かぬもの、動かぬように見えるもの、動くもの、変化するもの、動くみたいで実際には動かぬもの、流動するものなどを、それぞれ取り入れたり、それに気づいたり、そのちがいを知り始めたり、そのあいだの関連・関係などに気づいていく力があらわれているもの。

 こうしたことを、子どもが書く具体的な作品にそって指導しながら、ねうちのある題材で書く子どもへと育てていくのである。

(二) 構成=構想の指導

 第二指導段階=「長い間、やや長い間にわたり、いくたびも、くり返し見聞し経験していること、考えたり感じたりしている具体的な事実について、頭の中で、よくまとめて説明風に書かせていく段階」では、この構成=構想の指導が、いちばんかなめである。
 ここでの指導は、第一段階の場合のように、時間の推移や事件の進行の順序に従って、「はじめ」「なか」「おわり」と、ことがらを配列する構成=構想ではない独自な指導をしなければならない。
 たとえば、さきに示した「作品例⑤」の「にわのオカメコオロギ」を書くときには、その前に、この構成=構想のためにこんな思考がなされなければならない。自分の家の庭に、オカメコオロギがたくさんいる。それについて、ずっと見てきた。そのことを、みんなにわかるように説明する文章を書くんだ。そのために、今まで自分が知っているオカメコオロギのことにはどんなことがあるか、それを書き出してみよう。
(イ) 五月の中ごろから六月によう虫がかえる。
(ロ) 七月には小さいはねが見えてくる。
(ハ) 八月ごろには、はねがはっきりしてくる。
(ニ) 九月ごろには、成虫になる。
(ホ) 顔がおかめににている。
(へ) オスとメスにはちがいがある。
(ト) なき声はリッリッとなく。
(チ) 羽化したての成虫はやわらかいが、かたさも色もどんどんかわる。
(リ) 食べ物はナスとキュウリ。
(ヌ) 十月ごろにはオスの数がへってくる。
(ル) 十一月には、メスもたまごをうんで死んでしまう。
(ヲ) どうしてこの作文を書いたか。
(ワ) そして、全体をまとめる。
 こうしたことが必要だなと、書き入れたいことを選び出す。その次には、ら列して選び出したものを分類し、同一性や差異性を考えながら、一つのまとまり(段落・パラグラフ)をこんな風につくる。

 ら列的に選び出した記号 段落の番号 (イ) ④  (ロ)(ハ)(ニ) ⑤   (ホ)②   (へ)⑦   (ト)③   (チ)⑥  (リ)⑧ (ヌ)(ル)⑨   (ヲ) ①   (ワ)⑩ 
 こうしたあとではじめて、文章として順序よく「はじめ・なか・おわり」となるような、次の構成表が作成されてくる。
 段落番号 ら列的に選び出した記号
 はじめ ① (ヲ)
 なか ②(ホ) ③ (ト)  ④(イ) ⑤(ロ)(ハ)(ニ) ⑥ (チ)
    ⑦ (へ)  ⑧ (リ) ⑨ (ヌ)(ル)
 おわり ⑩ (ワ)
 この段階での構成=構想については、こうした指導を一斉指導として、ていねいにしながら、すべての子どもの身につけさせていかなければならない。
 このほかの指導方法としては、実際の作品にそくして、ここまでは、この文章の「はじめ」の部分で、どうしてオカメコオロギのことを書いたかが書かれている。ここからは「なか」の部分、ここは顔について。ここはなき声。ここは・・・。ここからは「おわり」の部分で全体をまとめている。というように、書かれている具体的な文章から、その文章の構成について指導していく方法がある。
 また、全体の文章を段落ごとに、はさみで切り取って、ばらばらにしたものを復元させながら、この段階の文章の構成=構想を意識させていく指導の方法などと、いろいろある。

(三)記述=叙述指導
 第二指導段階で記述される文章は、さきに示した作品例からもわかるように、文末は、
① 人やもののうごきが、まだおわらないことをつたえるときは、
☆冬休みになると、いなかへ行きます。
☆冬休みになるといなかへ行く。
② くりかえしおこるうごきをつたえるときは、
☆北国では、冬ちかくになると、つけものをつけます。
☆北国では、冬ちかくになると、つけものをつける。
といった、つたえる形のすぎさらずになっている文がつかわれる。
 書かれている文章を少しこまかに読んでみると、このほか、文章を叙述していくときには、さまざまな文のきまりにしたがって、書きつづっていることがわかる。だから第二指導段階の文章を書かせることとは別に、つね日ごろから体系的な文法教育をしっかりしておかなければならないことはいうまでもないことである。
 しかし、文法指導イコールつづり方しどうではないこともあり、ここでは、その一つ一つにふれることはしない。このことについては、教科研国語部の「にっぽんごしりーず」や現在、中西淑さんが「作文と教育」に連載中の研究講座「記述指導の研究と実践」から、ふかく学び取ってほしい。
 第二指導段階での記述=叙述指導としては、こんなことをしながら、子どもの力を培っていく。

(1) 読み方教育で、よい説明の文章を読ませること。
 たとえば次のような説明の文章は、子どもによくわかるものである。

■ 草のつゆ
 はれわたった夏のあさ、森にむかってあるいていきますと、のはらや草のうえでダイヤモンドがひかっているのがみられます。ダイヤモンドはどれもみんな、日の光をうけ、黄、赤、青など、さまざまな色にひかりかがやいています。そばへちかよって、それがなんだかよくみると、つゆのたまが三角形をした草の葉にあつまり、日の光にかがやいているのだということがわかります。
 草の葉のうらには、ビロードのようなけがはえています。ですから、水滴は葉のうえをころがるだけで、葉のなかにしみこみはしません。
 草の葉をてあらくおりますと、水滴はすきとおったたまとなってころがりおち、水滴が、茎にそってすべっていくようすをみることはできなくなります。
  (トルストイ トルストイの子どものための本2より

■ 四方
 日ノ出ル方ガ東デ、日ノハイル方ガ西デス。東ヘムイテリョウ手ヲヒロゲルト、右ノ手ノ方ガ南デ、左ノ手ノ方ガ北デス。
 東西南北ヲ四方トイイマス。
■ ぼくのおかあさん    三年 沢田 真一
 ①ぼくのおかあさんは、沢田節世といって、昭和九年に生まれました。今は三十八歳です。
 おかあさんは、すがもで②四人きょうだいの二番目に生まれました。一番目の兄は、金町にいるおじさんで、③二 番目がぼくのおかあさんです。④おかあさんの下には、今 小岩に住んでいるおばさんと、北こしがやに住んでいるお ばさんがいます。(略) 

■ ひとりではたらいた母  五年 高橋 智子
⑤わたしの家は、小さなげんかんを使ってプレス工場をしています。
⑤工場には、大きなバーという機械が一台と、小さなけとばしという機械が一台あるきりです。⑥こんな小さな工場からあがる月の収入は、とても少ないものですから、働く人など、やとうことができず、母も父と同じように働いています。⑦ふたりで働いているからといって、ふたりぶんの仕事をすればいいのかというと、それでは家族四人が 食べていかれなくなることがあるのです。
⑧この仕事は、仕事の少ないときは、まるっきり少なくて、どうして食べていっていいのかわからなくなってしまうことが多いのです。⑨そんな時は、収入の多かった月につみたてておいた銀行のお金をおろしてしまったりするのです。
⑩そうかと思うと、一度にたくさんの仕事がきて、品物をおさめる日までには、どうしてもまにあわなくなると、親会社から、
⑪「しょうがないから、ほかへまわす。」
と言われて、ほかの家にまわされてしまうのです。⑫だから、どうしても、夜ねないで仕事をしたり、食事もとらないで仕事をしたりするといった、無理な仕事をしなければならなくなるのです。
 母は、父と結婚する前にも、  (略)

■ わたしの家の柿の木   四年 栗原 はるみ
⑬わたしの家の庭に、大きな柿の木があります。
 おばあちゃんの話では、おばあちゃんがまだ子どもだったころ、しんせきのおじさんから、なえ木をもらってうえたもので、⑭うえてから六十年ぐらいになるそうです。
⑮柿の木には、しぶ柿とあま柿がありますが、わたしの家のは、あま柿の木です。
⑯あま柿にも、ふゆ柿とか、じろう柿とか、いろいろな種類があるそうですが、わたしの家のは、じろう柿です。
⑰四月になると、柿のえだに、うすみどり色のやわらかい芽がいっぱいつきます。⑱そして、日がたつにつれて、その芽はだんだんふくらんできます。⑲この新しい芽はまえの年にできたえだの先にかならずつきます。
⑳ふくらんだ芽はどんどんのびて、新しいえだになります。⑳①この新しいえだにだけ、はっぱやつぼみがつきます。
⑳②六月ころになると、つぼみは二センチぐらいになって、花がさきます。⑳③柿の花は、よく見ないとはっぱに かくれています。⑳④でも、二かいのベランダにあがってよく見ると、白い小さい、⑳⑤まるでポップコーンのような花を見ることができます。
⑳⑥七月になると、その花がちったあとに、みどり色の小さいまるい実ができます。ときどき、小さいうちから赤くなる実があります。⑳⑦こんな実は大きくならないうちに、かならずおちてしまいます。
⑳⑧おちた実を切ってみると、その中に虫がいることもあります。
⑳⑨十月のなかごろになると、実は、テニスボールより少し大きいくらいになります。四かくっぽくて、まん中が へこんでいて、クッションみたいな形です。⑳⑩その実に色がつきますが、たべるとまだしぶい味がします。
⑳⑪十一月のはじめになると、すっかり赤い色になり、しぶみもとれて、たべられるようになります。
⑳⑫柿の木は、えだがおれやすいので、木にのぼって実をとるときけんです。⑳⑬それで、おとうさんが、長い竹の先をわって作った、柿取り用のさおをつかって、実を一こ一こはさんでおとします。⑳⑭それを、おかあさんや、おねえさん、それにわたしと弟が下でうけとるのです。じょうずにうけとらないと、下におちて実が⑳⑮われてしまうことがあります。
⑳⑯実が赤くなるころからはっぱが茶色くなって、どんどんちりはじめます。⑳⑰そして十二月ころには、ぜんぶちってしまいます。柿の木は冬の間をこうしてすごします。
⑳⑱これがわたしの家の庭にある柿の木です。

☆①⑤⑬のところから、書き出しについて指導していく。
☆②③④⑥⑦⑧⑨⑩⑫⑭⑱⑲21 23 24 27 30 33 34 37のところから、文と文のつづけぐあいの指導をしていく。
☆⑬⑮⑯⑰⑳ 22 26 28 29 31 32 36 38のところから、段落と段落の指導をしていく。
☆⑪からは、この指導段階の文章の会話の入れ方を指導したり、25 からは比喩、35からは聞いたことの叙述の方法 を指導していく。
☆さらには、この指導段階の文章の文末が、「つたえる形のすぎさらず」にになっていることも指導していく。

四 推考指導

 この指導では、この文章を書くために指導してきた、取材・題材指導や、構成=構想の指導や、記述・叙述の指導を頭において、作品を書いた、その書き手本人が、自分で書いたものを読みなおしながら、
①文章の構成=構想についてはこれでよいか。
②第二指導段階の文章として、この書き方でよいのか。
③説明形表現と、過去形表現の混用はないか。
などを吟味し、訂正していく指導をする。
 訂正は消しゴムを使用させず、このあとに示すような記号を用いて、赤のボールペンなどでさせるようにするとよい。それぞれの子どもの推考のあとがよくわかり、そのあとの指導に役立てることができるからである。

訂正記号の種類
 文を削る         文を加える。
 マル テン カギの加え  文の移動
 改行           改行の必要なし
 段落           段落不必要

五 鑑賞批評の指導

 ここでは、①常日頃の生活態度や姿勢 ②認識のしかたや操作のしかた ③文章の組み立て方 ④こまかい書き綴り方⑤題材(テーマ)のとらえ方と、文章のすべてから、鑑賞したり批評しあいながら、次に書く文章の発展につなげていくようにする。具体的な例を最後にあげて、「第二指導段階についての解説」をおわる。

鑑賞例 おばあちゃんのカリンの木は別紙にて

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