子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

第528回 豊島作文の会 9月例会のご案内(2018年)

第528回 豊島作文の会 9月例会のご案内(2018年)

◆日 時 2018年9月2日(日) 午後2時~午後5時
◆場 所 豊島区立駒込地域文化創造館 (第4会議室)
     豊島区駒込2丁目2番2号
    (「JP山手線 駒込駅」(北口)より徒歩2分)     

《提 案》 
『国語科学習の「書くこと」・こう扱いたい、教科書の学習~生活綴方の考えを生かして~』
 ・光村図書「秋の風景」(4年生)の単元での扱い
 ・《「秋の風景」を詩にしよう!》の指導計画案
                        (鈴木 由紀さん)

◎6月例会報告

《提 案》『教師の希望を拓く-ある教師の生き方に学ぶ-』
                        (曽我侑加さん)

《参 加》◇豊島作文の会 榎本豊(司会)、曽我侑加、日色章、田中定幸、片桐弘子、
工藤哲(記録)、鈴木由紀、榎本典子、伊藤早苗 ◇東京作文協議会他 松下義一、
小柳光雄、山口佳子、今井成司、中島礼子、泉 宜宏、小美濃 威 
■曽我さんからは、大学卒業前に書いた卒業論文の抜粋をもとに、研究内容の報告を受けた。
■最初の話は、今の若い教師たちの置かれている過酷な状況。いろいろな事例があげられていたが、次の説明が状況を端的に捉えていて分かりやすい。
≪就職前に描いていた理想像が、着任した途端に脆くも崩れ去るという「理想」と「現実」のギャップに悩まされることは教員に限ったことではないが、教員採用試験に合格するという「夢」を叶えたばかりの若者が、精神疾患にかかり、リタイアを余儀なくされる事態は異常である。個人のパーソナリティの問題にするにはあまりに休職者・離職者が多い≫。
■このような「異常」がまかり通る原因は、本来、教師は、現場でさまざまな経験を積み重ねる中で、いろいろなことを学び、力をつけ、成長していくはずなのが、今の若い教師たちには、その学びや成長が保障されていないからなのではないか、と分析。これを何とかしなければならないというのが、研究の動機のようだ。
■研究の進め方は、「子どもと共に生き、成長してきた教師の歩みをライフヒストリーとして詳細に描き分析」していくというやり方。そして、その分析を通して教師の成長の在り方を検討、求められる教師像を探り出していくこと、これを目標にしている。
■「ライフヒストリー」法というのは、人物研究の一つの方法で、対象者の書いたもの(手紙や日記、個人的な記録物、教師ならば、発行した学級通信、文集等)や当人へのインタビューなどをもとに、その人物の体験を具体的に描き出して分析を行い、求める答えを出していく、そういったやり方らしい。
■ということで選ばれた対象が、松下義一さん。松下さんのこれまでの人生をいくつかのステージ(段階)に分け、そのステージ毎の松下さんの体験の中身等を調査。彼の成長の姿を明らかにしながら、その成長を支えた要因などが探られていく。

■ 松下さんの生い立ちを大きく3つに分けて、分析をしている。
1. 誕生―教師を目指すまで (信念の基礎形成期)
(1) 誕生から中学生として過ごした時期のライフヒストリー  
(2) 高校入学から大学卒業までの期間のライフヒストリー
 *誕生(1949年)から大学卒業(1971年)までの22年間を二つに分けて分析している。
2. 「子ども」との出会い (教育実践の模索と教材発掘期)
(1) 最初に赴任した高砂小学校でのライフヒストリー
(2) 2校目に赴任した御所見小学校でのライフヒストリー
*初任校赴任(1971年)から二校目終了(1988年)まで、17年間の分析。
3. 教育者から、共育者へ (教育実践の創造と追究期)
(1) 中堅期からベテラン期を迎える時期のライフヒストリー
*3校目に赴任(1988年)から、4校目を経て五校目退職(2009年)まで、21年間
を分析している(90年代後半あたりのことだろうか、「現場の実践が育っていかない」、「教員間での意思疎通の難しさ」が問題化し、今の状況に近づき始めているのが分かった)。
■1、2、3のそれぞれの時期は、「1.信念の基礎形成期」、「2.教育実践の模索と教材発掘期」、「3.教育実践の創造と追究期」という位置づけで詳しく分析が続けられているのだが、私は、2の (1)の部分が、面白いと思った。松下さんが初任者として赴任した高砂小学校。ここでの9年間の経験が、その後の松下さんの実践の方向性に大きな影響を与えたのではないかということなので、要点を書き出してみた。
①【保護者】教育実践家を講演に呼んだり、さまざまな自主的なサークルがあったりなどPTA活動が大変活発な学校で、先取的、先進的な保護者の集団から助けられたり、教えられたりする、そのような学校であったこと。 ②【教職員・組合】保護者だけではなかった。進取的で、民主的な教職員集団の存在。放課後に、「投げ込み教材」を持ち寄って教材研究をする。しかもそれは、自主的に設けられた時間なのだという。若い教師たちの自主的な取り組みが尊重され、個性も大事にされる、そのような教師集団がこの学校にはあった(たくさんの同僚たちの中で学び合っていく関係性=「同僚性」があったこと)。
③【民間教育運動】そういった環境の中で、同僚に勧められて生活綴方に出会い、作文のサークルに参加するようになる。日記指導にも取り組むようになる。 
■当然のことだが、なんだ、そうか、私たちは、松下さんと同時代を生きてきたのだなあと改めて思った。考えてみたら、この日、曽我さんの話を聞いていたほとんどの人たちは、2の (1)に描かれているようなことを全部体験してきた人たちばかり。
■この頃はどういう時代だったろうか。―職場に自由があり、活気があった。職員会議は活発な議論の場だったし、運営の仕方も民主的だった。学年会も交流を深める場としてきちんと機能していた。教職員間の親睦もけっこう盛ん。保護者もサバサバしていたろうか。教職員組合も民主的な方針を掲げて、まだがんばっていた。みんな夢を持っていたし、希望を抱きながら仕事に励んでいたように思う(この後、時代が進むにつれて、「学校」は、どんどん自由さがなくなり、夢や希望の育たないところになっていくわけだけれども)。
■ちょっと話が脱線ぎみになってしまった。いずれにしても、情熱、信念、誇りを持って実践を続けた松下さんの姿をライフヒストリーという手法で詳細に描き出していく中で、目標とすべきステキな教師像を導き出すことができたようである。若い先生たちにとっては、何を目指していけばいいのか、「希望」の道が示されたと言っていいだろう。
■全体会で出た声
*報告終了後の全体会は、「なんともうらやましい。自分の人生をこのように分析してもらえた松下さんは幸せ者じゃないか。」という声でスタートした。
◎新人育成教員の時に、若い人たちに「工夫してみたら」とアドバイスをしたら、「国語部の先輩から、工夫はするな、最初の3年は指導書通りにやればいいんだよと言われました。」と返答が返ってきた。自分の実践を工夫するということに、非常に覚悟がいる時代になっている。これでは若い人たちは育っていかない。松下さんが教材発掘に邁進していったといった後半のあたりの話は、若い教師たちにとても参考になるので、別な機会にでも、若い先生たちにぜひ話してもらいたいと思う。
◎初任校の先輩たちの影響は大きいというのはその通りと思う。曽我さんが初任者として学校に入る前に、松下さんと出会う機会を得たということはよかったなあと思う。この出会いから得たもの、今後もぜひ活かしていってほしい。
◎自分が初めて教員になった時も、松下さんが初任者だった時代と同様なものが残っている時代だった。成長していくことが本当に保障されていたし、自由があった。教師の仕事は、自分の人格形成ができる仕事だという話が出ていたが、本当にそういうことが生き生きとできる時代だったように思う。そういう意味では、今の若い先生たちは、非常に厳しい状況の中にいるということが分かった。
◎せっかくの研究成果。これを活かした実践を続けて、その実践を若い先生たちに投げかけていってほしい。若手の曽我先生が呼びかけて若手勉強会をやっていったら、「希望」の輪が広がっていくと思う。
◎子どもを知れば知るほどいい教育ができるという話が出ていたが、全くその通りで、私たちは、子どもを知る(とらえる)ことを大事にしてきた。日記でもとらえる、作文でもとらえる、日々の表情でもとらえる。悩みも親のこともとらえる。そうやって、子ども全体の生活をとらえていかなければいい教育はできないのだと考えて実践を続けてきている。その実践を通して、子どもだけでなく教師自身も、人間としての成長をしていっている。教育は、困難もあるがやりがいのある仕事。若い先生たちには、誇りを持ってよい教師を目ざしてがんばっていってほしい。           (文責:工藤 哲)

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