子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

第53回日本作文の会全国大会・神奈川大会

第53回日本作文の会全国大会・神奈川大会

講座 8/1(日)午前9時~12時

作文教育入門・中学年

身近な問題から出発する「綴り方」教育。
東京都墨田区立緑小学校

こんな子どもに そだてたいので 国分一太郎(七十才の時)

①人間なものだから、こんなことには快を感じ、こんなことには不快感をもつという子ど もに育てる。
②人の心のなかも、できるだけおしはかる子どもに育てる。(行動・動作・表情・コトバなどで)
③自分のこの「考え」や「感じ」は、こういうときに、こんなことから出てきたのだと、しっかり確かめ直す子どもに育てる。(時・ところ・ひと・ことがら・量・質)
④過ぎ去ったことのなかから、だいじなことを思いおこしてみるような子どもを育てる。
⑤長く、やや長く続いていることから、意味を見つけ出す子どもに育てる。(事実と、少 しの一般化)。
⑥目の前に、今あるものやことについて、やや長く目をとめることのある子どもにに育てる。
⑦「からだ」を、うごかして、ものやことについて、ぶっつかることの多い子どもに育て る。
⑧他の教科で学んだことを、実際のことにあてはめてみようと、意欲する子どもに育てる。「まだ、よくわからぬ」ことは「わからない」子どもに育てる。
⑨「あのこと」を書くときめたら、それを「はじめ」「なか」「おわり」のある「ひとま とまりの文章」
⑩事実と事実関係をはっきり説明し、「ようす」「ありさま」を鮮明にするため、こまかく描写することのできる子どもに育てる。
⑪「自分のことば」「借りものでないことば」で説明し、描写することのできる子どもに育てる。
⑫肉親をはじめ友だち近所の人、あるいは見知らぬ人の口にした「話しことば」に良く耳をかたむけて聞く子どもを育てる。
⑬他人が書いたもの(散文・詩)から、何か大事なことを学ぶとの習慣がついた子どもを育てる。
⑭自分が書いたものを大事にとっておく子どもを育てる。

作文教育・綴り方教育として、どういうことを追求してきたか!

☆① 一人一人のこどもたちを人間として人格として育て、発達させていくということは、どういうことであるか。
☆② 祖国の日本語を、作文教育のなかで本当にこどもたちのものにするためにどうしたらいいか。日本語の教育としての作文教育。
☆③ 文章を綴らせるという教育は、どういうものでなければならないかと言うことを追求してきた。
 1981年8月8日  第30回 日本作文教育研究大会(神奈川県) 講演の柱
 このとき国分先生は、前年の年末に胃を五分の四を切り取り、手術をしてから、半年たっ ての記念講演であった。最初は、声も弱々しかったが、次第に熱を帯び一時間半の話を情熱 をもって、話された。 昨年は、佐賀県で開かれ、1300名以上の人が集まった。第五十三回の作文全国大会は、再び神奈川県で行われることになった。

文章を綴ることを大切にしてきて

 わたくしは、教師になって30数年間「子ども達にひとまとまりの文章を書かせること」を、大事な仕事の一つとして今まで歩んできた。ここに一つの詩がある。

川 兵庫県 五年 安田 朗

さら さるる/ぴる/ぽる/どぶる/ぽん ぽちゃん/川は/いろんなことをおしゃ べりしながら/流れていく/なんだか/音が流されるように/顔を横むきにすれば/  どぶん/どぶぶ/荒い音/前を向けば/小さい音だ。/さら さるる/ぴる/ぽる/大きな石をのりこえたり/ぴる/ぽる/横ぎったり/ぴる/ぽる/どぶるぽん ぽちゃん/音は/どこまで流れていくんだろう。
 今から四十年近く前に、川の流れているようすを、このようにみごとに切り取った子どもがいた。この詩が検定教科書に載ったときに、文部省検定官は川の音は、さらさらが基本の形なので、この詩をすべてそのように直すならば、検定合格にするといわれ、教科書に載らずにほかの詩に代えられた。今の教科書への規制も基本的に変わらない。一昨年度より教科書採択方法の改悪により、採択現場の意見が反映されなくなった。この墨田においても、現場の意向が反映されない教科書が選ばれた。光村教科書は、子どもの詩や作文が極端にない。丸谷才一氏の「教科書に子どもの詩など載せるな。」の意向を反映したものだ。事実、詩の教材は、二年間に一度単元が出てくるのみだ。しかも、子どもの詩でなく、大人の書いた詩が載っているだけだ。

早く帰って来いよ お父ちゃん 豊島区池袋第三小 六年 N

夜中の三時頃トイレに起きた。/おしっこをしていたら、何かが聞こえた。/足音だ。/トコトコトコ/「あっ、お父ちゃんだ。」/げんかんあけてやろう。/ガチャン。/あけといたまま寝た。/ふとんの中で、/「お父ちゃん もっと早く帰って来 て、四人でごはん食べよう。」/ 1972年 3月作「太陽の子」146号より
 この詩は、私の最初に担任した子が六年生のときに書いたものだ。高度成長期に入り始めていた頃だ。さっそく一枚文集にして、父親思いの心温まる詩を書いたと彼を、クラスの前でほめた。後に二十歳をすぎた時のクラス会に、私の前にきた彼が「この詩をみんなの前でほめてもらったことが、自分にどんなに勇気がわいたか。」と話してくれた。「しかしあの詩は、うその詩なんだ。」と彼が私にささやいて、その真相を聞き驚いた。彼の両親は、この時点で離婚をしていたのだった。「だが、あの詩を、みんなの前でほめてくれたことが、その後の自分にどんなに励みになったか。あの詩は、ぼくに大きな自信をつけてくれたのだ。」と涙ながらに語ってくれた。教師の一言の重みもじっくり味わった。やがて、彼は国鉄に入り、民営化の嵐に遭い、国鉄を去るか鉄道公安員になるかの選択を私に求めた。彼は国鉄に残り、その後鉄道公安員から警察官に転職し、今では、暴力団担当の刑事になった、今年で46才になります。

さんすう    墨田区立立花小 六年 T 

 四月十六日の水曜日11時頃、学校でさんすうをやりました。ぼくは、さんすうがき らいでやる気がしませんでした。榎本先生が、「あきらめないでやりなさい。」といわれた。でも、そのときは、(めんどくさいな。)とおもったら、みんながべんきょうし ているところをみたら、やるきになりました。一人だけべんきょうをやってないと、は ずかしいからやりました。でも、さんすうの分数をやってるとおもしろかったです。
        一九九七年 四月十六日(水)
 この文を書いたT君は、二年生の時に、母親が家を出て行き、それ以来学校でよく暴れるようになってしまった子だ。五年生の終わりには、手のつけられない状態で担任は、持ち上がるなら休職願いを出すということになり、私がいきなりの六年担任となってTを受け持つことになった。そのTに文章を書くことを教え、やがて書いたものは極力取り上げてクラスの中で文集にして、みんなの前でたくさんほめ励ましていった。一学期は、毎日戦闘状態だったが、やがて二学期頃より少しずつ落ち着きを取り戻していった。ものを見つめ、とらえ直しをしていきながら、Tの心と体は生きる力を少しずつ回復していったにちがいない。そのTも中学で、教師への傷害事件を起こし児童施設に預けられ、そこで一年半近くの生活を送り、今はすっかり落ちついて社会人として働いている。
 たくさんの教え子と巡り会ってきたが、それぞれたくさんの思い出を作って、私のもとを去っていった。

一、今、学校現場は

新自由主義改革→戦争のできる国づくり→社会の二極化
学校は今・・・子どもとのことでないことで「忙しい」。「ゆとり」などない。
自己申告書 ライフプランの研修報告 全教科評価規準の作成
学校選択自由で学校公開と道徳の一斉授業の押しつけ学校説明会などなど・・・。
こどもたちは今・・学校五日制・授業時数削減・勉強の遅れを塾通い
健全な遊びを失い、ゲーム遊び。テレビ付けで、勉強もしない。
毎日が睡眠不足。連休明けの体の疲れ。
教科書が精選された今・・・三割削減 やさしくなったが、物足りない。内容のない単元。読み応えのある文学作品の消滅。本当の、作文・詩が皆無。
「総合的学習の時間」が実施された今こどもたちの変化各自が問題意識を持って、課題の追求。みんなバラバラ。
教師の変化 そのバラバラを、束ねていくので、精一杯。
作文教育は今 教科書にも、単元としてほとんどなし。何かのために書く作文(手紙文・招待文・想像作文など。)
教科書の主流は・・・良心的な教科書会社が採択の現象で、撤退していく。
教科書採択方法の改悪により、国家に忠実な教科書が残る。

二、教育課程審議会前会長の三浦朱門氏が、次のように発言している。

「できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺をあげることばかりに注いできた労力を、できる者を限りなくのばすことに振り向ける。百人に一人で良い、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養ってもらえばいいんです。・・・それが『ゆとり教育』の本当の目  的。エリート教育とは言いにくい時代だから、回りくどく言っただけの話だ」(斉藤貴男『機会均等』文藝春秋四〇~四一ページ)「豊かさの条件」(暉峻俊子)岩波新書より
「人間の遺伝情報が解析され、もって生まれた能力がわかる時代になってきました。これからの教育では、そのことを認めるかどうかが大切になってくる。僕は許容せざるを得ないと思う。自分でどうにもならないものは、そこに神の存在を考えるしかない。その上で、人間のできることをやっていく必要があるんです。ある種の能力の備わっていない者が、いくらやってもねえ。いずれは就学時に遺伝子検査を行い、それぞれの子どもの遺伝子情報に見合った教育をしていく形になりますよ。」 江崎 玲於奈(教育改革国民会議座長)
      「教育基本法改正論批判」(大内裕和)現代書館より
 両者とも露骨な差別主義に基づく優生思想を表明している。一九九0年代の教育改革を推進していたグループの代表による「本音」である。今の学習指導要領は、この精神が生かされている。教科書も、その流れの中で、作られてる。

三、綴ることは、いきなり難しい課題に迫らず、身近なことから取り上げる。

①やさしいことから、むずかしいことへ。
②一回限りのことを、ていねいに見つめとらえること。
③人間・自然・社会(世の中の出来事)という題材を意識化する。
④日記は、書くかまえができ、題材を広げる役目をもつ。

四、どの子にも書く喜びを身につけさせる。

①教師がどのような文章を書かせたいのかを、明らかにする。
②「一回限りの出来事」を、順序通りに思い出して書いていく。
③文章を生き生きと書かせる手だてを、しっかり提起する。(六つの大事なこと。)
◇ 文章を生き生きと書く6つの大事な事を、具体的に教える。
① いつ、どこで、誰と何をしたかがはっきりわかるように書く。
② その時、話した言葉は、会話の形にして「・・・・・・。」 を使って文にする。
③ その時、思ったり、考えたりした事は、(・・・・・・。)を使って文にする。
④ その時の動きや、まわりの様子にも気がついたら書くようにする。
⑤ 良くわからない所(自分はわかっていても、読み手がわかるように)は、説明も入れる。
⑥ 必要な時は、ものの形や色や大きさ、手ざわり、においなども入れて書く。右の六つの大事なことは、黒板に一年間貼っておく。又、子どもたちの日記帳の最初に貼って、見ないでも言えるように暗記させるようにする。
⑦個人指導(日記指導)と全体指導(授業)の二本柱でやっていく。
⑧戦争や平和の問題を、具体的に考える手だてを作る。
教師の心に残ったことを、伝える。考え、とらえてきたことをみんなのものに。
テレビのニュースや新聞の記事や「子どもニュース」などの鑑賞。

五、作品をどのように、分析して、みんなのものにしていくか。

① 「何」を書かせてきたか。
共通の題材で
自分で書きたい題材で
テーマも与えて
めずらしい題材を
②「どんな組み立て」で書いていたか
 したことの順で書いてきたか。
③「どう書くか」「どう読み直すか」
 積極的にどう書くかを学ばせていく。
 作文を書くときの六つの大事なこと。
④「どう読むか」
 教材科する作品を選ぶ。
 感想を書く。
 書き方の良いところを見つける。
 表現が生まれた理由、根拠を考える。

六、実践をふり返る。

① どの作品も書いたものは、値打ちがあるが、作文としてまとめていくためには、
「何を」(題材)「どう書かせていくか」(記述)が大切になってくる。
作品1中学年の作文年間計画(はじける芽107号)
作品2「木へんに秋は何と読むの」(はじける芽90号)
作品3「文房具セットをあててくれたお母さん」(はじける芽30号)
② 題材は、人間・自然・社会の広がりの中から、主題意識を持って考えさせる。この三つの分野に偏りがないように、時々指導を加える。
 作品4えらびとらせることの大事さ「おつかいのこと」(はじける芽108号)
 作品5「危機一髪を見た」(はじける芽116号)
③ 日記などに、値打ちのある題材を取り上げてきたら、必ず取り上げて、みんなのものにしていく。赤ペンにより、さらに書き足しをしたり、継続して取材させ、できれば、再び綴らせるようにし向ける。
作品6「さくらんぼの実を食べた」(はじける芽109号)
作品7「イラク対アメリカの戦争に意見がある」(はじける芽117号)
④ 指導題目を立てて、一斉指導をする時は、表現意欲喚起になるような作品を読んだり、教師からの働きかけをする。指導題目を立てたら、少なくても、一週間、多い時は、一ヶ月程度の題材集めの時間とする。
作品8「広島の被爆者福地義直さんの体験」(はじける芽113号)
作品9「再び福地さんのお話をうかがう」(はじける芽123)⑤ その間に、題目にあった作品を読み聞かせたり、読みあったりして、題材への意識を高める。
作品10「戦争にかんするビデオを見て」(はじける芽114号)
⑥ 記述に関しては、作品を具体的に読み合い、一文一文に沿って、ていねいに思いおこしをして書いているところを、読みあうようにする。その時に、六つの大事なことを意識して、読み合う。
作品11「平和な世界へ」(はじける芽125号)
⑦ 新聞の記事などを読み、感想を書き、世の中の出来事に関心を持つ。
作品12「新聞の投書欄に書くつもりになって」(はじける芽126号)
⑧「詩のノート」を持ち、最初は、リズムのある詩を視写させ、やがて自分の一番身近の人間に注目させる。
作品13「人間への注目」(はじける芽110号)
季節感を感じる詩を鑑賞しょう。
作品14「梅雨から夏へ」(はじける芽91号)
⑨ 作品をどのように分析するか。どのように授業をするか。
作品15「きゅうり魚という魚」(はじける芽57号)
作品16「お母さんとぼくで秋をさがしに行ったこと」(はじける芽51号)

七、おわりに

 あと二年を残し、都教委の異動要綱の改悪により、転勤を余儀なくさせられた。幸い区内の学校に転勤でき、そこで同じように「作文教育」を始めている。最後の二年間であるが、五年生の担任になった。どこに行っても、子供たちの目は、いつも澄んでおり、まぶしく光り輝いている。恵まれた職場で、すてきな仲間に新たに出会えることができた。残りの二年間を、人間解放の作文教育に情熱を捧げるつもりである。

今こそ平和教育を大事に取り上げよう。

 自分のクラスの中で実践する分には、まだまだ可能なことなので、今回も、取り組んでみた。「教え子を、再び戦場に送るな!」の合い言葉でもって、我々の先輩は、優れた実践を様々に取り組んできた。「有事法制」が通り、今度は「教育基本法」が危ないと言われている。これが改悪されたら、あとは「日本国憲法」改悪へひた走るであろう。そういう時代だからこそ、世の中の動きを、しっかり見つめとらえさせることが大事である。

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