子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

豊島作文の会 1月例会の報告(2017年)

豊島作文の会 1月例会の報告(2017年)

◇12月例会は、榎本の提案だった。格差社会の中で生きる子どもたちと向き合っている今、昔も厳しい暮らしをしている子どもたちは、やはりいた。その子どもたちとどのように向き合ってきたのかの実践報告であった。やはり、どの子にも表現する喜びを身につけさせるためには、何を書いても担任の先生は、その文章をきちんと受け止めてくれるという信頼関係が最も大切である。昨今、プライバシーのことがやかましく言われ、家庭の問題には、立ち入るなと言う風潮がある。もちろん本人の承諾もあるが、最終的には、それをはき出させることによって、自分の内面の気持をすっきりさせる。書くことによって、認識を深め、集団でその子の気持ちをくみ取り、受け止めるようなクラス集団であることが大切になってくる。過日、片桐さんから、丁寧なお手紙をいただいた。

片桐さんの手紙

「格差社会が一層進む社会の中で、その影響を大きく受けるのは、ぎりぎりに暮らす家庭であり、その中で最も弱い子どもたちである。それはまた家庭の中だけでなく、学校・学級という集団の中にも起こる。そのような問題を敏感にとらえて、子どもたちの心に沈んでいる課題-意識したくない、避けたいーに立ち向かわせて書かせ読み合った作文実践の提案だった。学級崩壊は原因が様々あるが、子どもたちは、色々な行動をし、先生の反応を試している。子どもたちの不満をぶつける一番の相手だからだ。その先生が無視したり、取り上げてくれなければ、一層のこと荒れていく。先生が本気で対応し、子どもの変化が少しでも見えると、まわりの子どもは敏感に受け止める。そのような内容を書いた「T君が変わった」。絶対に促されなければ(先生に指導されなければ)書くことには至らなかっただろう作品「養護施設にいた日」「私は負けない」「中国から日本に来た」等々。子どもたちはつらいことを思い出しながらも懸命に書いたに違いない。
 書くと言うことは、思い出して綴るだけでなく、綴りながらそれまでは、心の中にはなかったような思いや決心を作り上げていく。オーバーだが、これからの生き方につながる思いさえも組み立てていく。そこに触れたくないこと、曖昧にしておく方が楽だが乗り越えていく意味がある。それは、誰かが火を付けて、気づかせてくれないとなかなかできない。その気づかせてくれた人、先生が榎本さんである。書き切った彼等は辛かっただろうが、これからの人生の中でも、自分を見つめる大事な節目になったに違いない。もう1つ書き切る内容をきっと、受け止めてくれる安心感が、あるから書ける、書くのだと思う。先生と子どもの信頼関係があることによる。また、聞いたり、読ませてもらったりする子どもたち。「あまり聞きたくなかった」(作品)その通りだと思う。聞く側に立っていて、いじめたり冷たく見ていたり、自分の中に似た体験があったりすれば、一層のこと「聞きたくない」。だが、本当は真実を知りたいものだし、知りたいと思える子どもに育てていかねばならない。
 学校で子どもたちに向き合える期間は、その子の人生の中のわずかなものである。見えない問題、少し出てきた問題、一生つきまとう課題など担任が対応できるものはわずかだと思う。それでも、その時点で精一杯その子がかかえる問題に向き合ってやらねばならない。
 今の社会は、格差社会が益々広がり深くなる中で、子どもたちの背負う苦しみ、そこから逃げたくなる思い、事実を見つめない暮らしがもっともっと大きくなりそうだ。(教育も荷担しているように思われる)飛躍しすぎるかも知れないが、丁寧に、自分を見つめ、生活を見つめ、社会を見つめ、思い、考えていくことを基本にしている作文教育の必要を一層大事に思う。」

感謝

 当日時間の関係で、あまり深まらなかったので、わざわざこのように手紙に書いて下さった片桐さんに心より感謝します。作文教育の神髄が盛り込まれているので、本人の承諾なしで載せてさせて頂いた。

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional