子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

10月20日(土)今日のコラム5

10月20日(土)今日のコラム5

みんなで語ろう 私の先生

 主婦 坂下千津子(千葉県 67)
 道徳の評価をどうするかとの記事を読み、私の子ども時代はなんて恵まれていたかと思いました。
 小学1、2年時の担任は優しい女の先生でした。衣食住が十分ではなかった時代、滋賀の田舎の小学校の冬の一日は、子どもたちが石炭を運び、先生がストーブに火をつけることから始まりました。
 ある朝、いつも裸足で寒そうにしている男の子に先生が靴下を買ってきて、ストーブのそばではかせてあげました。私たちは2人の周りに集まり、男の子のうれしそうな顔を眺め一緒に喜びました。2018年10月20日(土) 朝日新聞 投書欄「声」

道徳は教科になじまない

「修身は旧制の学校の教科の一つでした。天皇に対する忠誠心の教育を中心に孝行・柔順・勤勉などの徳目の教育でした。1880年(明治13年)より後、大変重視され、第二次世界大戦に敗北してから後廃止され、道徳教育に変わりました。」ネット解説
1958年の学習指導要領の改悪によって、「道徳」という時間が週1時間設定された。しかし、教科でないので、その時間は、割合自由に教師の創意工夫で行われた。私などは、「作文」の時間にして、日記に書かれた「生き方」「関わり」に関する文章が必ず書かれていたので、それをプリントしてみんなで読みあったりする時間であった。評価の対象でないから、その都度、みんなで考え、子どもたちが自分でその文章の考え方などを学んだ。
 しかし、教科となると、評価しなければならない。日記指導などする時間的な余裕もない教師は、「副読本」の絵に描いた餅のような文章をみんなで読み会うようになってしまう。まさに「徳目主義」で、初めから結論のわかっていることを読み合い、教師が喜びそうな答えを言う子どもが「いい子ども」と言うことになりそうだ。

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