子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

2018年度北に向かいし枝なりき

2018年度北に向かいし枝なりき

子どもたち”の生活をつかんで
物いう人間になりたい
国分 一太郎
理論ガワカルコトガウレシイ。
理論ガワカルコトハワカル。ソレハヨイ。
人ノ理論グライハセメテワカル男ニナリタイ。
理ロンガワカラナイトキガアル。ケレドモ、生活ヲ知ッテイレバ、指導ニクルイハナイ。
生活ヲ知ッテイナイト、理論ハアッサリ言エル。
生活ヲ知ッテイナクナルト、理論ハ口カラスラスラト走リ出ル。
理論ガ口カラスラスラ走リ出ルコトハヨイ。
ソノ理論ガ自分ノ耳カラハイッテイッテ、血行ニナリ、呼吸系トオルノナラ、マダマダヨイ。
文学スルト理論ハ多彩ナ着物ヲキル。ソシテイチズニモナル。ソレハヨイ。
文学スルコトニハ異議ハナイ。
ケレドモ文学スルニハ本ガイル。
ソノ本ハ金ニヨッテアガナワレテイル。
ソノ金ガナイト“理論”ハ、ヒトマズハイカラデナクナル。
“理論、肉体トイッショニアレ”トイウ“本義”ガココカラ出発スル。
セメテ生活ヲギッシリニギリ、ツカミ、カカエテイタラ、
私ノ行ク手は明リョウダ。
理論ニマケナイ現実モアル。ソレダ。
アルドコロデハナイ。
“生活デモノガ言エタラ理ロンナド言エナクッタッテヨイ”
ソウスレバ、オレノ唇ダッテ、ケイレンスルコトナシニスミ、オレノ万年筆ニ、インキハ、トキドキツメカエルダケデ、タクサンニナル。
ソシテ、コドモノ綴方ナドハ、マタ読メルヨウニナロウゾ!
イイカ、一太郎ヨ。
生活デ、モノガ言エタラ、
サッパリサビシクナイ。
墓前にて、理論研究会会員の片桐ひろさんが読む。
第14回国分一太郎「教育」と「文学」研究会報告

□没後33年、第14回国分一太郎「教育」と「文学」研究会は、国分一太郎こぶしの会・長瀞小学校想画を語る会の共催のもと、東根市・東根市教育委員会・東根市芸術文化協会・東根市音楽連盟・東根文学会・長瀞地区区長協議会・長瀞郷土史研究会・山形新聞・山形放放送などの後援いただき、今年も国分一太郎が1930年に教師生活を歩み始めた地元で、7月21日、22日に開催しました。
たくさんの方々のご支援と参加者によって充実した会となりました。心より御礼申し上げます。
日程 2018年7月21日(土)~7月22日(日)
《第一日目》7月21日 午後1時30分~4時
さくらんぼタントクルセンター
・主催者あいさつ
田中 定幸(国分一太郎「教育」と「文学」研究会会長)
小野 正敬(長瀞小学校想画を語る会会長)
・来賓のご挨拶(敬称略)
元木 正史
(東根市教育委員会教育長)
《第二日目》7月22日 午前9時~午後3時
さくらんぼタントクルセンター
◆分科会
報告① 9:00~10:30  
『画文集 昭和の記憶』・綴方作品の生まれた背景を探る
~長瀞小での国分一太郎と児童詩教育の実践から~
        田中 定幸(本会 会員)

報告② 10:40~12:10   
『画文集 昭和の記憶』編集にかかわって
小野 正敬(長瀞小学校想画を語る会 会長)
~昼食・休憩~

記念講演 13:00~14:30

「生活綴り方再考」
― 国分一太郎の果たした役割に触れながら ―
横須賀 薫(よこすか かおる)
宮城教育大学・十文字学園女子大学 名誉教授

全体会 14時45分~15時    

□分科会報告  共同研究者より
(安部貴洋 梅津恒夫)
□感想発表 参加者より
曽我侑加 寺木紹子 
□終わりの言葉 国分 真一(会員)
■来賓・元木正史東根市教育長のご挨拶
 挨拶いただいた元木様にお願いして、ここにそのお話を掲載させていただきました。
(朗読の会 幻耶)
 詩文の朗読を聞きながら、想画の作品をスクリーンで鑑賞しました。
□ビデオ「長瀞の想画」
(北村山視聴覚教育センター)
墓参 17:00~17:30 詩朗読・片桐弘子 
交流会 18:30~21:00  青松館 
■来賓・元木正史東根市教育長のご挨拶
挨拶いただいた元木様にお願いして、ここにそのお話を掲載させていただきました。
 猛暑が続いております。西日本の豪雨災害で被災された皆様に心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます。
本日は、第14回国分一太郎「教育」と「文学」研究会が、このように盛大に開催されますことを、まずもってお祝い申し上げます。
また、児童文学者、教育実践家として活躍された国分一太郎先生の実践を研究するとともに、広く顕彰するためにご尽力いただいております関係者の皆様に、改めて感謝を申し上げます。
東根市教育委員会では、平成11年にご遺族から寄贈いただきました先生のご遺品の整理作業に取り組んで参ったところですが、未発表の12編の短編を『国分一太郎 児童文学集』として、この2月に刊行いたしました。ふるさと東根に寄せた先生の思いを、多くの市民に読んでいただきたいと考え、市内各公民館や小中学校の図書館に配置したところです。貴重な資料をご寄贈くださいましたご遺族と整理にあたられた山田先生、編集の労をお取りいただいた東根文学会の皆様に、この場をお借りしまして厚く御礼申し上げます。
また、前回この研究会でも話題になりました『画文集 昭和の記憶』が、関係者のご努力と、クラウドファンディングに賛同くださった多くの方々のご厚意により、昨年秋に刊行されました。皆様ご存知の通り、本市指定の有形文化財であります「長瀞小学校の想画」と綴り方が一緒になり、当時の生活とその中で生きた子どもたちの感動が伝わってくる貴重な一冊となりました。
また、今日もこの後にご披露の予定のようですが、画文集に掲載された想画の映像と詩の朗読が、市内の様々なイベントで披露されています。また、国分先生の詩による合唱曲や歌曲もコンサートで度々披露されるなど、市民をはじめ多くの方々に先生方の業績をお伝えする貴重な機会が増えたと感じております。この大きなきっかけになったのが、画文集の発刊です。
長瀞小学校想画を語る会の代表で、画文集刊行会の小野会長をはじめ会員の皆様に、敬意と感謝を申し上げます。
さて、皆様もご承知の通り、本市では香り高い文化の街づくりを目指し、平成28年11月に、公益文化施設「まなびあテラス」をオープンいたしました。開館後2年をまたず、来館者が50万人を越え、市民の学ぼうという意欲、芸術・文化に対する関心の高さを強く感じております。
 また、現在リノベーション工事を進めている「東の杜」は、来年4月にオープンの予定です。新たに生まれ変わる施設は、和の佇まいを残した趣のある雰囲気を生かし、交流施設と展示施設から構成されています。展示では、これまで常設展示をしていた国分一太郎先生の資料に加え、長瀞小学校の想画にもふれていただくような内容にしたいと準備をしております。オープン後は是非皆様にお越しいただき、鑑賞に止まらず、講演会や研修会などにもご利用いただければ幸いです。
 結びになりますが、ふるさと東根をこよなく愛し、子どもたちの今と未来を第一に考え、行動し続けた国分一太郎先生の業績を研究し再評価することは、今日の学校教育のみならず、家庭や地域の在り方を考える上でも、大変意義深いことと考えます。この2日間が、猛暑を超えた熱い研究会になりますよう、また、本研究会の益々のご発展と会員の皆様のご活躍を祈念いたしまして、お祝いのあいさつといたします。本日は誠におめでとうございます。

「画文集」の発行を祝いつつ、さらなる飛躍を!

田中 定幸(国分一太郎「教育」と「文学」研究会会長)
命に関わる非常事態ともいわれる酷暑の中、遠方の熊本からおこしくださったかたもいらっしゃいます。お集りいただいた皆様に、心より感謝を申し上げます。また、豪雨等の災害で被災されたご家族の方々には、心よりお悔やみを申し上げさせていただきます。
ご承知のように国分一太郎先生が亡くなったのが1985年です。その後、こぶしの会の皆さんを中心に、国分先生を偲ぶ「こぶし忌」を18回、そして、展示室のオープンの会をはさんで、国分一太郎「教育」と「文学」研究会として会を重ねて、14回目となりました。
 今年も、ご来賓の元木教育長をはじめ、長瀞地区会長結城五郎さんなど、たくさんの方々をお迎えして、研究会が開かれることを、この場をお借りして、御礼を申し上げさせていただきます。また、みなさんとともに、そのことを喜びたいと思います。
昨年のこの会では、鈴木実先生に、「長瀞小学校の「想画」と「綴方」―佐藤文利と国分一太郎を辿りながら―と題してご講演をいただきながら「画文集」発行への協力を訴えたものでした。そして、クラウドハンハンディングも成功して、『画文集 昭和の記憶』として発行されました。
私も刊行にかかわって国分一太郎が発行した文集、「もんぺ」や「もんぺの弟」等の文集を改めて読ませてもらいました。また、「長瀞小学校の想画」が紹介されている、栗岡英乃助の『想画の起源』にも目を通しました。亡くなられた寒河江文雄さんが報告してくださった資料「国分一太郎の想画教育」(生活画の先駆) ~綴り方と図画の一体化~ や「想画だより」のいくつかを読み直してみました。
 そして、改めて、昭和8年前後におこなわれた長瀞小学校の「想画」と「綴方」を通しての学校の「組織的な取り組み」が、また、「教育実践」が、すばらしいものであること。それが子どもたちのかいた作品と一緒に、今でも残っていることに、衝撃を受けました。
「想画」も「綴方」も、子どもたちの暮らしている生活のなかの、喜怒哀楽を表現させることから出発する。それも自分の描きたい方法で、方言を含めた自分の言葉で表現する。
どちらも「かいて表現する」、そのときは、あらためて生活をみなおす。これまで学んだことや調べたこともつけくわえながら、考える。思いを確かめる。それを、どんな「方法」で、どんな「技術」をつかって描いてよいかを考える、時には友だちと一緒に「協働」する。そして、「表現」する。「表現」されたのをみんなで鑑賞する。
 この研究の一端が「復刻 生活画の起源」(昭和8年の発表会資料)としても残っていますが、「想画」と「綴方」がその特色を発揮する中で、お互いに補い合って展開された教育の成果が、だれもが、見えるものとしてまとめられたのがこの「画文集」だったのです。
発行の意義を、皆さんと共に喜びたいと思います。そして、想画を文化財に指定をといった寒河江文雄さん、それを世界の文化財にと研究会で語った鈴木みのるさん。『画文集』が、発行された今は、「想画」と「綴方」のひびきあい、コレボレーションで、世界の文化遺産になるようにと願っております。
 また、この春、東根市教育委員会からも『国分一太郎児童文学集』が発行されていることは、ご承知のことと思います。教育委員会が、個人の本を出版することは画期的なことだと思います。今は教育現場では「教科道徳」が問題になっていますが、「道徳の時間に読んでほしい」とまでは言いませんが、ふるさとの、少し昔の子どもたちの物語が12篇入っております。きっと、子どもの心にひびいて、心を育ててくれるでしょう。これまでの国分一太郎の作品とともに、子どもが読む機会をつくっていただけたらと思います。
さらに、来春には、国分一太郎資料展示室が、「想画」の展示も含めて、リニューアルされると伺っております。
研究会としても、御礼を申し上げるとともに、さらに国分一太郎の足跡、当時の実践を明らかにしながら、今と未来を生きる子どもたちのために、受け継いでほしいことを、具体化していきたいと思っております。
 この後の研究会のなかみについては、お渡しした「日程表」をみながら、是非、ご都合のよいところにご参加ください。
なお、本日の会の終了後に、国分一太郎の墓参も計画しています。ご希望の方はどうぞ係りの者に声をかけてください。
2日間、どうぞよろしくお願いいたします。

「生活綴方」再考

 ―国分一太郎の果たした役割に触れながらー
講師 横須賀 薫
次のような項目と「生活綴方再考」のための年表を示して、講演をしていただきました。あわせって、横須賀先生の近著『教育実践の昭和』(春風社)を読むことをおすすめします。
講演の課題
1.「生活綴方」の原点をどこに置くか。
 ①芦田恵之助の「随意選題」綴方の提唱(鶴見俊輔)
 ②鈴木三重吉の『赤い鳥』刊行
 ③小砂丘忠義らの『綴方生活』刊行(中内敏夫)
 ④東北の綴方教師の運動の中から(横須賀薫)
2.「生活綴方」の教育的意義はどこにあるか
 ①文章表現指導の改革
 ②教育における「生活」の重視
 ③こどもの社会意識の変革
 ④教師の意識変革
3.戦後「生活綴方」運動の成果をどうみるか
 ①日本作文の会の62年度運動方針をどう評価する
  か
 ②「教授学」建設運動はなぜ挫折したか
4.国分一太郎が戦後教職に復帰していたら
 ①復帰していたことによるプラスとマイナス
 ②復帰しなかったことによるプラスとマイナス

〈分科会について〉
 分科会では、二つの報告がありましたが、報告①『画文集』「綴方が生まれた背景を探る田中定幸(国分一太郎「教育」と「文学」研究会)については共同研究者の安倍貴洋さんが、まとめの会で講評した文章をお寄せくださいましたので、それを掲載します。
また②分科会の小野正敬さんの報告については、レジメが今後の研究のてがかりになることから、それを掲載させていただくことにしました。
①分科会
『画文集』「綴方が生まれた背景を探る」について
共同研究者 安部貴洋
(山形県立米沢栄養大学)
 本報告は、『画文集 昭和の記憶』に掲載された綴方作品がどのようにして生まれたのか、その背景を探ることを目的としている。報告内容は、「国分一太郎の生活綴方に影響を与えたもの」、「国分が影響を与えたもの」から構成されている。国分の綴方に影響を与えたものとして青年教師国分を育てた長瀞小、佐藤文利をはじめとする優れた同僚、生涯の友となった東海林隆、「想画」教育、長瀞小の子どもたち、村山俊太郎と「教労事件」、北方教育同人、技能科教育経営発表会等が取り上げられている。そして、国分が周囲に与えた影響として『もんぺ』『もんぺの弟』に関して丁寧な説明がなされた。
 本報告から学ばせられることは多いが、以下の三点が特に重要であるように思われる。
まず、資料としての価値である。報告資料は、42頁からなる。さらに、これまであまり論じられることのなかった技能科教育経営発表会、そして国分の文集を丁寧にまとめている。
次に、考察視点のおもしろさである。すでに記したように本報告では「国分一太郎が、「外界の事物に働きかけられた」こと」と「国分一太郎が、「外界の事物に働きかけた」こと」との二つの視点から考察を行っている。
最後に、想画との関連である。国分と想画との関係に関してはこれまでも言及されることはあったが具体的な内容に踏み込んだものはほとんどなかったように思われる。これらの点において本報告は重要なものと思われる。
 ただ、次の二点に関してもう少し話を聞きたかった。
まず、綴方と想画との具体的な関係である。報告Ⅰ4頁に「生活のどの場面を絵に入れるのか、絵の構図というものと綴方構図とを関連づけていった」(国分の文章からの引用) とあるが、具体的にどのように関連づけられていったのか。国分の綴方に対して『綴方生活』、野村芳兵衛、北方性教育運動、佐々木昂らの影響は指摘されるところであるが、想画の影響が指摘されることはなかったように思われる。もしかすると想画の構図が国分の綴方の固有性と呼ぶべき特徴を生み出しているのかもしれない。
もう一点は、継承の問題である。他の報告、講演にも関係しているが、今後どのように継承していくかが疑問として残されている。これらの点に関して今後の報告がなされることを期待したい。(山形県立米沢栄養大学)
「画文集・昭和の記憶」編集にかかわって
小野 正敬(長瀞小学校想画を語る会)
 
◇自己紹介【知らなかったこと】
 ・長瀞一揆と言われた騒動
・想画教育と綴方教育でその名を轟かした
こんな村で育った。
◇【見てください。語ってください】をスローガンに、
 ・手元に置いて、眺めそして語ってみる。今、少子高齢化や核家族化が進み、生活や家族の有り様が変わる中、この想画や生活綴方文集は何を語ってくれるのか。家族の有り様が見えてくる。
◇【しかし、子供達に非行は無かった】(真木)
当時の長瀞は長瀞小学校は
・日本の国は開国してわずか60~70年、富国強兵と勇たち、もがく中、農村は冷害型の農作物の不作が続く、不景気、不況にみまわれ、娘の身売り、欠食児童が出るなど、村は疲弊していく。
・学校では、学校給食、学用品販売、お下がりの奨励、女子の校服制定など、教職員一丸となって児童生徒の教育にあたる。
・国の「自力厚生」「農村厚生」を学校教育の中に汲
 み入れるも、地主制度のもとでは経済効果も発揮できなかった。
◇【鈴木渡校長自ら出版されたばかりの「新教育に立脚せる図画手工指導に実際」霜田静志著を購入し学校に寄贈する。】
 ・表現能力を高めるため「図画」「綴方」「体育」「理科」の教育に力を入れる。教職員の一致協力、力を合せて取り組む。
・当時の学校「尋常高等小学校」(今の中学2年生まで)、児童生徒数700名~800名、男組、女組、合わせて15学級。国分一太郎先生学級(もんぺの弟)64名、佐藤文利先生は「図画」教育専科指導か?
・大正14年に真木恒雄、昭和2年に佐藤文利、後藤誠一郎、東海林隆を迎え入れ、昭和5年に国分一太郎が入り、教職員は充実する。
◇【全国を風靡した、長瀞の生活に根を下ろした想画教育】
 ・佐藤文利、昭和2年26歳で赴任する。学校を美術館にするとの意気込みであった。展覧会に出品し、子供達を評し、励ました。 
・題材は生活の中から見つける。一つの事をよく見て、詳しく、何を描いたか分かるように。
・昭和7年77点出品しすべて入選した。作品の質において有名になった。
・子供達の喜んだ世界の名画の鑑賞
・「美を知ることは、醜を知ること、教育の根本は 智よりも徳・人格にあり」
◇【書くことによって人間をつくっていく】(東海林)
 ・国分一太郎、昭和5年19歳で赴任する。綴方教育を実践した。
・子供達に生活を綴らせた。家族、仕事、遊び、など一つの事を詳しく書かせた。気持ちの出ている作品を褒めた。
・「一に身体、二に仕事、三に勉強、四に遊び」教え
子は今でも実践。
・昭和12年市川市の病院に入院するまでの8年間で16冊の文集を作る。
・長瀞小に赴任して驚いた、そして、子供達から教えられた。「子供達が働いている姿を空(ソラ)で描いてた。」
・戦後山形県の生活記録運動は長瀞から始まっている。「くわの美」(37年)
◇【山形県の公開研究会「技能科教育経営研究会」大成功】
 ・先生たちは互いに学び合い切磋琢磨し子供達を育てた。
 ・「この頃、やろだ、おもしゃえ絵、描くな」と地域
 の人に信頼された。
 ・ここで、想画教育と綴方教育は互いに響きあった。子供達は、学ぶ楽しさ生きる喜びを育んでいた。
◇【長瀞の教育百年史に記述されたこと】
 「長瀞の想画教育は佐藤文利先生が中心になり、全職員一致協力して指導にあたり、さらに国分一太郎先生が赴任して綴方教育を加え、本校の図画教育と作文教育は全国的に名をはせた本校教育史上特筆すべき時代といえる。」と、昭和48年長瀞小学校百周年記念として編まれた教育百年史に記述されている。
◇【地域の文化財を未来につなぐかりがねっ子】
  今、長瀞小学校の6年生が、俳句の「読み札」を「想画」にし灯ろうを作っている。どんな灯ろうになるか楽しみだ。8月13日から3日間、二の堀灯篭祭りでお堀に浮かべる。どうぞ足を運んでほしい。
・DVD平成19年、6年生の「想画」の授業の様子を視聴ください。
◇終わりに
 この「画文集・昭和の記憶」の刊行にあたっては、あまりにも多くの方との出会いがあった。皆、すばらしい出会いであった。これは私の宝物になった。
 それかこの「画文集・昭和の記憶」をどう生かすか。もう、市では東の杜に展示室を準備中である。

第13回 国分一太郎「教育」と「文学」研究会に参加して学んだこと

曽我 侑加(豊島作文の会)
 山形への参加は、今回3度目となりますが、ここに来て改めて、私は国分先生について、全然知らなかったと気づきました。お目にかかったことがなく、幻の存在となっていた国分先生でしたので、田中先生のお話は大変興味深くお聞きしました。画文集が生まれた背景として、国分先生がどんな学校で、どんな人と働き、どんな子ども達と過ごしていたのか、そしてそれがどのような時代だったのか…それらがみえてきたからです。
まず、国分先生が初任で長瀞小学校に赴任したことに大きな意味があったのではないかと感じました。想画教育をはじめ、「表現」について熱心な教育が行われていたという環境が国分先生の想いを後押しし、綴方教育の実践を豊かにしていったことがよく分かりました。また、東海林先生という同僚の存在も知り、一緒にチョークの粉をおしろいにした、というおちゃめな一面をのぞかせるエピソー ドは、国分先生も若い男の先生だったんだなぁと、少し身近に感じました。
 子ども達との出逢いに関しても、驚きがありました。強烈な個性を持つ劣等生だった、とありますが、師範学校で学んだ技術を活かすどころか、5の段の九九から一緒に学習し始めたり、ひらがなカードを作っていたりと、学力が高いと言えるような状況ではなかったということです。詩や作文の教育で様々な実践をされてきた国分先生ですが、それは決して簡単ではなかったこと、でも一方でそんな子どもの姿を目の前に、「生活をつかむ」ことの大切さや必要性を身を持って実感されていたのではないか、と感じました。
このようにして実践を積み重ねていく国分先生ですが、5・6年生を持たせられないという状況となります。長瀞小で花開いた豊かな教育実践を応援してくれない管理職。このときからじりじりと戦争へ向かう準備が始まり、様々な圧力がかかってきているのだと思いました。
 こんな風に、当時どんなことに影響したり、されたりしながら生きてこられたのか、ということがリアルに見えてきたことがとても興味深かったです。私自身も、大学の卒業論文で一人の教師のライフヒストリーを研究しました。一人を見ていくだけで、その人が生きた時代の色々なことが見えてきます。どんなところで働き、どんな人と出逢い、どんなことに影響されて、どんな実践が生まれていったのか…それを知ることがとてもおもしろいです。
今の子どもたちにとっても、もちろん、生活をつかむことはとても大切です。長瀞小学校では、今も身の回りの生活の様子や風景を絵に表し、想画教育の取り組みが行われているそうです。とても素敵な実践だと思いました。国分先生の時代に花開いた綴方・想画教育。今も息を絶やすことなく、再びその教育的価値が注目されるときが来ていると思います。生活をつかむことの大切さを、教育における表現の大切さを、私は教師として意識し続けていたいと感じることのできた研究会でした。ありがとうございました。

ぜひ、来年も歌唱指導を!

工藤 哲(綴方理論研究会)
◇今年の研究会は
 今年も、7月21日(土)、22日(日)の山形の研究会(第14回 国分一太郎「教育」と「文学」研究会)が盛況理に終了した。
 今年の研究会は、昨年発行された『画文集 昭和の記録』が大きな核となった研究会だったと思う。刊行された画文集を見て、読んで、みんな目をみはり、感動した。昭和初期の長瀞小学校の生徒たちが描いた、たくさんの絵(想画)と文章(詩、散文)を目の当たりにすることができたからだ。なんという素晴らしい教育が行われていたことか。なんという素晴らしい教師たちがいたことか。そういう驚きと感動を誰もが覚えたにちがいない。今年の研究会は、その驚きと感動が共有された研究会だったのではないか。田中定幸さんの報告『綴方が生まれた背景』も、小野正敬さんの報告『「画文集」編集にかかわって』もそう。横須賀 薫さんの記念講演『生活綴方再考―国分一太郎の果たした役割に触れながら―』もそう。長瀞小学校で行われていた教育と教師たちの素晴らしさ、国分一太郎の実践の素晴らしさが語られていたといっていいと思う。
 私の所属している綴方理論研究会では、この画文集の分析をきっかけに、『技能科教育 研究の一端』(昭和8年9月 長瀞尋常高等小学校発行の研究紀要 -復刻『生活画の起源』-)を勉強し始めている。当時の長瀞の様子、長瀞の教育を調べていくにはこの資料は第一級のものといっていい。当研究会のメンバーの中には、長瀞小学校でこのような教育が行われるようになったのは何故なのかということで、長瀞地区の歴史を調べ始めているメンバーもいる。いずれ彼の報告が出て来ると思う。私個人も、多数の想画、そして国分一太郎の文集がどのような経緯で長瀞小学校に残されていったのかに興味がある。残す決断をした人々がいるのだ。教え子や教師や地域の人たちなど、いろいろな人々の介在があって、これらの財産が残されていったこと。これはぜひ明らかにしていかなければならないことだと思う。
◇研究会で、一番心に残ったことは 
 私は、第一日目のプログラムの前半に行われる「国分一太郎の詩による歌唱」、斎藤文四郎さんと渡邉さん(時々、別な方の参加もある)の歌をきくのを毎年の楽しみにしている。お二人は、独唱の前に、歌にまつわるいろいろなことを話してくださるのだが、この語りを聞くのも楽しみの一つ。歌と語りがあることでこのプログラム、貴重な楽しい時間になっていると思う。
今回は、文四郎さんの語りと独唱、渡邉さんの語りと独唱、そして、最後の曲。お二人での「最上川」の二重唱。大きな拍手で終了となった。
 ところが終わりの拍手の中から「村田さん、アンコールを」という声があり、思わぬ展開へと進んでいった。司会の村田さんの「アンコールという声が出ていますがどうしますか」という発言に続いて、また「アンコールをお願いします」という声があり、このあと55秒間が経過する(この間、文四郎さん、渡邉さん、円さんが相談中?)。そして今度ははっきりと、<アンコールと言いましたが、実は君ひとの子の師であればの歌唱指導をお願いしたいのです>と田中さんの声。
このあとすぐに円さんの伴奏が流れ出し、渡邉さんによる歌唱指導が始まった。普段ピアノ演奏の指導をされているからだろう、渡邉さん、教え方が上手だ。適度なところで区切りながら、歌唱指導を続けていく。まさか自分が声を出すとは思ってもいなかったことなのだが、指導に合わせてうたっていくうちに何ということか目に涙がわき出してきて、声が上ずってきた。記録用のICレコーダーで聞き直してみた。ありきたりの表現だが感涙にむせんだみたいな声を発している。息をのみこんだりもしている。そうしながら私はうたっていた。
 私は感動で耐え切れなくなってなきながらうたっていたのだ。
国分一太郎の「君ひとの子の師であれば」、この詩は素晴らしい詩なんですよ、と最初の独唱の前に渡邉さんは語っていた。その理由がよく分かった。詩の朗読とは違う力が「うたう」ことにはあるようだ。歌唱指導を受けながら自分がうたってみたからこそやっと、渡邉さんと同じように、この詩の素晴らしさに気がつくことができたのだと思う。
週に三回、陶板浴に車で片道45分かけて通っている。車中ひとりなので、誰はばかることなく歌唱指導の録音をききながら、『君ひとの子の師であれば』を大声でうたって楽しんでいる。
 歌唱指導をやってもらえて本当によかった。来年もぜひ行っていただけるといいなと思っている。あとできればピアノ伴奏の須藤 円さんからもお話がきければうれしいなと思う。
羽柴さんの詩の朗読も楽しみにしている一つなのだが、今回は取り上げた「想画」と「綴方」の数があまりにも多すぎだった。あのようにたくさん取り上げるようになったのには、何か特別なわけがあったのだろうが、長い時間の朗読で、羽柴さんもおつらかったのではないかと思った。               
□研究会開催にあたって、地元国分一太郎・こぶしの会の方々から、国分一太郎や「想画」についての貴重な資料が配られました。今後の研究にも役立つと思い、ここに目録を記録しておきます。
関心のある方は、事務局へご連絡ください。実費でお送りできるものもあります。
・「北の花かげ」―東海林隆の友情― 吉田達雄
(「地下水 34」山形農民文学懇話会 1991年1月)
・「地域とのつながり世界一の児童に」 ~地域の文化財を未来につなぐかりがねっ子~ 長瀞小学校校長 片桐章子
・「国分一太郎先生の資料寄贈について」奥山 昭男〈平成30(2018)年7月21日作成〉
・「画文集昭和の記憶」によせられた感想の一部(祝賀会プログラムより 村田民雄)
・「想画」と「綴方」の相互照射 錦 啓(味読 郷土の本)2018年2月28日山形新聞掲載 
・復刻のコピイ版「復刻 生活画の起源」(長瀞小学校)
・研究用コピイ版 国分一太郎著「北に向かいし枝なりき」(第一部(第二部)〈「教師の友」に連載〉
「私信 かたくりの花 32号」2018.7.25
      よこすか かおる

国分一太郎と斎藤喜博

久しぶりに「綴方教師」たちと2泊3日を共に過ごし、さまざまなことを思い出し、また考えさせられた。
「国分一太郎『教育』と『文学』研究会」に招かれて、山形県東根市で開催された研究会で、「生活綴方再考―国分一太郎の果たした役割に触れながら」を講演した。
7月21日~22日のことで、22日夕からは一泊で、開催に尽力した中心メンバ-の慰労会があり、これにも加えてもらった。
この研究会は、国分没(1985年)後に始まった偲ぶ会(こぶし忌)が2003年の第18回を最後に閉じたのを受けて、2006年に発足した研究会で、「国分一太郎の業績についての研究を」主目的にすると会則に謳っている。今年の集会が第14回になるということだった。
 私は03年の第18回こぶし忌で、「昭和教育実践史における国分一太郎」を講演したのだったが、それが集まりの最後になったとは今回知ることになった。
私はこの国分と斎藤喜博、東井義雄の3人を昭和の教育実践を代表する存在と考えていて、それを主題に「教育実践の昭和」という論文を書き、現在はそれをそのまま題名にした単行書を春風社から2016年に刊行した。
 この3人には単に同世代というだけでなく、生涯において共通点が多い。私はそれを次の10項目に整理している。
① 全くの同世代であること。国分と斎藤の生年月日は1週間の違いでしかない。②地方農村に生まれ、育ったこと。国分が山形、斎藤が群馬、東井は兵庫の農村である。③生家の家業が農業ではなかったこと。国分が理髪業、斎藤が竹細工職人、東井の生家はお寺。
④全く同じ学校歴であること。3人とも在地の師範学校に学び卒業した。⑤地方農村の小学校教師が出発点であること。⑥戦前にすでに注目される実践記録を刊行していること。⑦戦後に実践運動のリーダーや影響ある実践家として活躍していること。⑧国語教育を核として実践を開拓したこと。⑨文学面でも活躍していること。国分は児童文学者としてたくさんの作品を世に送り、斎藤はアララギ派の歌人として著名であり、東井は宗教家としての色彩濃い文筆家として知られる。⑩教育学、教育研究に重要なインパクトを与えていること。
 いささか10項目まで頑張って挙げたというきらいがなくもないと反省もするが、これをもって昭和という激しい変転を描いた時代を生き抜いた教育実践家を描くことができたと自負しているのである。
 そしてこのような共通点を持ちつつ、国分が生活綴方という実践方式を開拓し、斎藤が授業を核とする学校づくりの実績を世に示し、東井が宗教的教養をバックに教師人間の生き方を領導したように、それぞれが特異の業績を挙げたのだった。
その中でも国分と斎藤は共に手を携えた時期を経て、1960年代になるとその共通性よりも相違の方を際立たせるようになり、表面的には論争というかたちはとったりはしなかったが対立し、協力・連携を拒否するようになるのだった。そしてそれは実践家や研究者に多大な影響を与えることになった。
私は国分の仕事についての研究から入り、やがて斎藤の仕事への協働にのめりこんだのだったが、今では本来私は両者を繋ぐ役割を担うべき立場だったのだと云う思いとそうできなかったことへの悔いをもつようになっている。招きを受けたからではあるが、今回の講演を引き受けたのもその思いからだった。
今回研究集会に参加し、村山地方の山の一軒宿の湯につかり、国分さんゆかりの蕎麦屋で歓待を受けたりすると、その悔いはさらに強くなるのだった。
 講演してくれた横須賀薫さんの「私信 かたくりの花」を転載させていただきました。この後、購読ご希望の方は、kaoru-yoko@oboe.ocn.ne.jpに、E-meilで申し込んでください。
原稿をお寄せください

『国分一太郎「教育」と「文学」研究』

紀要(第8号)原稿募集 ―
会報「北に向かいし枝なりき」の発送に合わせて、紀要7号をお送りします。
さらに「前を行く」ということで、「紀要8号」の原稿の投稿を会員・会友のみなさまにお願いします。「研究論文」だけでなく、「会員の窓」、あるいは後輩へのアドバイスというようなことなど、冊子を通しての「交流」の場にもしたいと考えております。また、日々の実践にとりくまれている方々の記録を発表できる機会ともしたいと思います。
どうぞお気軽に投稿してくださいますようお願い申し上げます。

1 受付期間  2019(平成31)年5月30日(消印有効)
2 内容    「研究論文」「資料紹介」「小説」「実践の記録」「書評」「随筆」「短歌」
3 送付場所  〒332―0023 埼玉県川口市飯塚1-12-53
 国分一太郎「教育」と「文学」研究会(事務局) 榎本 豊(宛)電話 FAX 048-256-1559
4 送付部数  打ち出し原稿3部と、メールでお送りください。メールのあて先は、  sadayuki@mrh.biglobe.ne.jpです。
5 掲載費用  無料
6 書式    400字原稿用紙 約40枚分
1ページ当たりの字数・行数は次の通りです。
(1)横書き 23字×46行×2段×8ページ(1ページ2116字)
(2)縦書き 33字×30行×2段×8ページ(1ページ1980字)
・書式は「研究論文」の場合です。詳細は問い合わせて下さい。
7 発行予定  2019(平成31)年7月
8 付記   (1)引用文献、参考文献は原稿末尾に「注」で明記してください。図表は本文の中に含めて計算し、本文の中に該当箇所を明示してください。
(2)原稿末尾に所属を( )内に表
示し、行をかえて原稿発送年月日を
明記してください。
(3)原稿は返却いたしませんので、
ひかえを保存しておいてください。
(4)掲載させていただいた方には、1部贈呈いたします。
*研究紀要1~6号を、600円(送料込み)で頒布しております。ご希望の方は、事務局までご連絡下さい。
■『国分一太郎児童文学集』発刊のお知らせ
国分一太郎先生の未発表の作品を整理・編集した『国分一太郎児童文学集』(東根文学会編・東根市教育委員会)が発刊されました。(A4判・表紙並製)
 遠い昔の農村の子どもたちの生活が題材になっていますが、だからこそ今の子どもたちにもよんで聞かせたい短編小説が12篇掲載されています。
「発刊に寄せて」と、教育長の元木正史氏のことばからはじまっています。
これまでの国分一太郎・こぶしの会や地元の方々、また、本会の会員の皆様のささえがあって、この本が、生まれました。国分一太郎を顕彰する意味で、東根市で発行されたことは意味のあることだと思っています。 以下の作品が収録されています。
雌雄異株…7
東京の女の人…18
ドダルの馬…23
散ってもいい コウゾの葉…32
お母さんの話…37
一銭銅貨…44
続・株式会社…54
汽車見に…66
貨物自動車…77
「上手なおつかい」石油と醤油…131
たまご…145
ムダ花…150    解説(吉田達雄)…
 限定版で、市販されていません。研究会での在庫は残り少なくなっています。ご希望の方は事務局ご連絡ください。会として先着順に受け付け、発送します。
 頒価2,000円+送料180円+振込手数料70円になります。
第8回豊田正子記念フォーラム
『綴方教室』の作家・豊田正子さんが亡くなって7年がたちます。豊田正子とその作品を普及・研究・顕彰する取り組みとして、教師・大木顯一郎が在籍し、豊田正子が通学した葛飾区・本田小学校の正面にある立石図書館で、没後8年の記念フォーラムを開催します。今回はプロの朗読による豊田正子作品の朗読や、私たちの研究成果を報告します。会場では、木鶏社と岩波書店のご協力を得て豊田正子作品セレクション「抄録・綴方教室」の第1集~第5集を販売します。ふるってご参加ください。

■会報作成・国分一太郎「教育」と「文学」研究会・事務局
 写真提供・小山 守
◆2018年12月9日(日) 午後1時~(予定) 
◇場所 東京都・葛飾区・立石図書館2階
(京成立石駅・徒歩5分)
入場無料
◆主催 豊田正子を愛する会
(電話03-3692-1537上野)
◇協力 葛飾区四つ木一丁目中町会

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