4号
はじける芽4号
豊かさの中の貧しさ
むかしと ちがってきましたね
国分一太郎
にわとりのとさか色の
スカンポのほがいっておりました。
「だあれも、かんではくれませんね。
わたしをしりにしいて、
ポッキ!とかをたべておりますよ。」
技もたわわの
カキの木が、いっておりました。
「こんなに熟柿をつくってやっているのに、
のぼってもくれませんよ。
根もとのところで
なんとかチョコを くっておりますよ。」
いがからはじきだされた、
クリの実がいっておりました。
「ポケットにいれてはくれませんね。
ぼくをふみふみ、
クッキーとかをかじっていきましたよ。」
〈国分一太郎文集『子どもたちへ』新評論)
高度経済成長も頂点に達した70年代の中葉頃、物があまりにも豊かになりすぎ、使い捨ての美徳が叫ばれ始めた。当然、大人の世界から子どもの世界へも、それは広がった。
便利さの中にくらす子ども達の体が、しだいににぶくなり、不器用になった。子ども本来の体はしなやかでみずみずしく生き生きとしているものだ。その宝ものが、しだいに失われていくことと重なる形で、甘いおいしいおかしが増え、子ども達の舌の感覚も問時にマヒしていった。
五官のひとつ舌の感覚
「ちちははのくにのことば」(晶文社)の「甘さ」の項を読むと、その体験にもとづいて、様々の甘さのあったことを、私達に教えてくれる。
「オドリコソウ」のあまさは「ツーと吸うと、あまい蜜が舌のうえにしずかにとどくあまさ」。「桑の実」のあまさは「大味なあまさ」、「カボチャ」は「のろのろとした、まぬけたあまさ」、「生粟」は「ひきしまったあまみ」、「ゆで栗」は、「水っぽいあまさ」、「青くびダイコン」は「しみでる水分のこころよいあまみ」、「しなの柿」のあまみは「原始的なあまさ」。
私達には、国分さんほど、感性するどく、この甘さを分析できないが、小さい頃の思い出をたどると、確かに色々な甘さに接してきた。林の中の枯れ草の中からさがした椎の実のあまさは、生栗のひきしまった味につながっていた。つつじの花や、名も知れぬ花をとって、昆虫がこの蜜をすいにくるのかと納得した。
三年前、「青くびダイコンの詩」という国分さんの長編詩の鑑賞の授業をした折に、「青くびダイコン」のあまさをみんなで読み味わった。何人かの子が、家に帰って、その通りに、育くびの所をかじってきて、学校で報告してくれた。「先生、あの詩を期待して、がぶりとやったけど、ちっともあまくなかったよ。」「ちょっとぴりぴりとしたにがみばかりだった。」という声が、異口同音にかえっきて、がっかりした。私も味わってみたのだが、あまみは少しは味わえたが、おいしいという味は、舌には伝わらなかった。大人も含めて、自然のあまさから遠ざかり、砂糖入りの甘いおかしや甘味料入りのジュースに飲み慣れてしまった舌には、伝わりづらくなってしまったようだ。その挽、だいこんおろしをし、しらすをかけ、酒を欽みながらつまんだ味には、おいしいあまみがあり、まだ舌の方は、感覚はマヒしてないと、ほろ酔い気分でほっとしたものだった.
「70年代、石油づけ文明と消費文化は、子どもたちの衣食住の姿を変え、子どもたちの脚をよわくし、子どもたちの皮膚感覚・色彩感覚・味覚・嗅覚を急速に変化させていった。それに施設化農業は、どの野菜も草花も年中あるものにしてしまい、季節感とともなう美意識すらがにぶいものとなった。農業の機械化、大量生産化は、子どもたちのまわりから、ウシや馬やプタやニワトリをいなくしてしまい、子どの達は、そういう生きものが生まれ育っていく姿を、まのあたりに見ることができなくなった。」
「自然このすばらしき教育者」創林社・国分一太郎)
1987年7月3日発行
季節感を育てる難しさ
季節感がなくなり、大人も含めて感覚が鈍くなってしまった。それは、この本にも書いてあるが、70年代の高度成長時代に日本列島改造論が叫ばれた。自然がどんどん壊され、四日市ぜん息や水俣病などの公害が日本各地の工業地帯で起きてきた。農業人口が急激に減り、人口が大都市に集中していった。過疎過密などと言う言葉が浮上してきた。子供達には、旬の野菜や魚を食べることを勧めたが、旬の食べ物かどうかを確認するのがむずかしくなった。
2011.11.5