6号
はじける芽6号
自然このすばらしき教育者
ゆうやけ 鳥取県日野上小 一年 こにし よしこ
きにょう
ゆうやけでした
なを あらいました。
かわの中も ゆうやけでした
なを あらえば
ゆうやけが
がさがさめげるので
わたしは
そろっと あらいました。
なを うごかさんやあに
あらいました。
1958年作
きにょう…きのう めげる…こわれる そろっと…そっと
うごかさんやあに…うごかさないように
どの学年を持っても、この詩を子ども達と一緒に鑑賞する教材の一つにしている。それは、綴方教育で大事にしている自然・社会・人間を題材にした中の、自黙を対象としたもので、これほどみごとに表現したものは、数少ないからである。
O何に心がゆれ動いて、この詩を書いたのか。
O作者はどんな所に住んでいる子か。それは、どこでわかるか。
O作者が、もっとも感動し、行動している所は、どこの行か。
Oこの詩と同じように、自然に感動するものはないか、五惑を働かせてみよう。
Oできたら、この詩を暗誦し、自分もこの詩のようにリズムのある詩を書いてみよう。
だいたい、このようなことを柱にして、子ども達と話し合う。東京では開きなれない方言の説明を、直接書いておかないと、そのことでも論議になっておもしろい時もある。
字を覚え書けるようになる大切さ
「ゆうやけ」ときくと、すぐ思い出すのが、解放学校用教科書『にんげん』のまっさきのページをかざった、高知の北代色さんの手紙文である。
タやけがうつくしい
わたしはうちがびんぼうであったのでがつこうへいっておりません。
だからじをぜんぜんしりませんでした。
いましきじがつきゅうでベんきょうして、かなはだいたいおぼえました。
いままで、おいしゃへいってもうけつけでなまえをかいてもらっていましたが、ためしにじぶんでかいてためしてみました。
かんごふさんが北代さんとよんでくれたので、大へんうれしかった。
タやけを見てもあまりうつくしいとは思わなかったけれど、じをおぼえてほんとうにうつくしいと思うようになりました。みちをあるいておってもかんばんにきをつけていてならったじを見つけると大へんうれしく思います。
すうじもおぼえたのでスーパーやもくよういちへゆくのもたのしみになりました。
またりよかんへ行ってもへやのぼんごうをおぼえたので、はじ
もかかなくなりました。これからはがんばってもっともっとベんきょうをしたいです。
十年ながいきをしたいと思います。
四十八年二月二十八日
森田ますこさま 北代 色
七十歳近くになって、識字学級で文字をならいはじめた部落の人が書いた文章である。字を覚えて、夕焼けの美しさに感動するようになった。「みちをあるいておってもかんばんにきをつけて…」と書いてある。「もの」や「こと」をしっかり見つめとらえ直しをするようになったのである。これからは、もっと勉強がしたくなり、長生きもしたいと結ぶ文にした北代さん。人間として精一杯生きていこうと、字を覚えたことを、自分の生きがいにもしているのである。
認識と表現の統一
「もの」や「こと」を知るには、字を知り、言葉を知り、それを一文にしてみる。さらに一文一文を重ねて、しだいにひとまとまりの文にしあげる。こにしさんの文は、感動したことを、あった順に、一文一文重ねた詩である。北代さんの文は、話し言葉(日常のおしゃべり・会話〉がふつうにできても、字を知り、単語を知り、一文を綴ることができなければ、感動すらできないことを示している。文章まで綴れる〈表現する)ようになった喜びを手紙にしたのである。作文教育の基本が、二つの例文の中に凝縮されている。
1987年9月18日
方言の大切さ
高度経済成長が始まる前の日本には、「ゆうやけ」の詩にあるような自然が、至る所に見られた。川の中で、食べ物を洗える所は、都会ではもう見られない。鳥取方言が、この詩をさらに見事に包み込んでいる。新卒2年目の頃、この詩を知った。職場に鳥取出身の同僚の女教師がおられたので、声を出して読んでくださった。その時の柔和な顔が印象的だった。方言の所を柔らかに発音していたのを覚えている。その先生とは、今でも年賀状のやりとりをしている。私が25歳でその方は、45歳だった。あれから40年が過ぎ去った。もう85歳を超されている方だ。
2011.11.13