子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

11月24日(日) 還暦を迎える教え子

11月24日(日) 還暦を迎える教え子

新任最初の学校

 新卒ではじめて勤務したところが、豊島区立池袋第三小学校だった。そこで、4年生の担任になった。3クラスだった。その学年は、低学年でクラス替えが多く、4年からは、クラス替えなしで6年生まで持ち上がることが暗黙の了解になっていた。この3年間の子どもたちとの交流は、何でも自由に出来る学年だった。当時から転退出の多いクラスだった。45人前後の子どもたちが、教室ぎっしりいた。私も自由な身だったので、子どもたちとは、たくさんあそんで楽しんだ。まだ、土曜日が休みでなかったので、午後に一度家に帰ってから、また学校に来させて、校庭でスポーツを楽しんだ。そのあとは、担任していた榊原敏江さんの家がお風呂屋さんだったので、風呂屋に行って楽しんだ。おふろから出ると、近くの肉屋で、コロッケなどを子どもたちにおごったりした。

夏休み、冬休みも

 夏休み、春休みなどは、子どもたちを我が家に招いて、近所の別所沼などに行って楽しんだ。ボートに乗ったり、近くの遊園地で遊んだ。何人かの子供は、我が家に泊まりに来た子供も数人いた。近くにお墓などがあったので、お化けの話をしたあとに、肝試しなども楽しんだ。母が、常盤小学校の担任で、同じ6年生を担任していたので、交流会を持ったりした。卒業した後の夏には、何人かの子どもたちに呼びかけて、千葉や茨城の海に宿泊して楽しんだ。

還暦を迎えた子どもたち

 この子どもたちが、来年還暦を迎えるので、クラス会をしたいと幹事の白鳥くんや岡本くんから連絡があった。相談したいので、池袋の寿司屋(2組の厚木くん経営)に来てほしいというので、そこまで言って相談を受けた。たしか、1年前に、このクラスは同窓会を開いたばかりなのに、1年経ってこんどはクラス会、早すぎないかと思ったが、還暦という節目なので、ぜひやりたいとのことであった。3ヶ月前くらいに日時が決まった。11月23日(土)の勤労感謝の日に決まった。ラインという便利なものがあるので、そこに「太陽の子」というタイトルを決めて、出席者の交流が始まった。1ヶ月前から、場所も決まったので、出席者がはっきりしてきた。最終的には、男子10名、女子7名というメンバーに落ち着いた。いつも出席するメンバーが、何人か欠席だった。逆に50年ぶりくらいに高山典子さんが、名古屋から出てくることもうれしかった。また、ここしばらく来られなかった鷹箸さんが久しぶりに宇都宮からさん参加してくれた。また、山梨県に住んで、しばらく来られなかった榊原さんも、参加と連絡があった。やはり、しばらくぶりのメンバーが参加となると、うれしいものである。一方まったく連絡が取れないメンバーも何人かいる。

東部デパートの15階

 集合は、午後6時から、池袋東武デパートの15階の中華料理店だった。大きな丸テーブルが2つ置かれており、2カ所に分かれて着席した。あらかじめ、くじを引いての着席だった。飲み物が来る前に、幹事の白鳥くんからご指名があり、「最初にしゃべって欲しい。」という。いきなりの言われたが、料理などが来る前の前座だと思い、立ってあいさつを始めた。1年前の同窓会から1年ぶりの集まりだが、こんなに集まったのは、幹事の皆さんのおかげですとあいさつした。

恒例の近況報告 

 飲み物、料理などが届き乾杯でしばらく各テーブルの話で盛り上がった。1時間くらいたち、近況報告に入った。いつものことだが、「ひとこと小学校時代の思い出に触れて欲しい。」 と要望した。皆さんそれぞれ、現在の近況を語りながら、昔の思い出にも触れてくれた。その中で、中村さんの思い出は、印象的だった。3年生くらいまでは、あまり友だちもいなく、いつも独りぼっちだったという話だった。しかし、井上くんが、「ぼくと決闘しよう。」といきなり挑戦してきた。その挑戦は、けんかでなく、一緒に遊んで、楽しかったという思い出だった。自分が、消極的だったのに、かん君のおかげで友だちとも一緒に楽しめることを覚えさせてくれた。かん君には、そのような関係を作ってくれて、感謝してますと言うことであった。何か聞いていて、とても爽やかに感じた。かん君の顔を見ると、そんなことがあったのという顔をしていた。でも、この話を聞いて、うれしかったに違いない。孫が何人かいて、そのお世話で大変ですという子もいた。山崎さんは、昨年息子さんを交通事故で亡くされ悲しい体験だったに違いない。でも、この会を盛り上げるために、一生懸命に近況報告の司会を買って出て下さった。山崎さん有り難う。一通り話が終わり、1次会はお開きになった。
 そのあと、幹事さんの配慮で、カラオケ店に移動した。そこでも、歌ばかりでなく、しゃべりたい人は、しゃべる時間だった。私は、持ってきた「作文名人への道」という高学年・中学年の2冊の本のことをしゃべらせてもらった。教科書から、「作文」という字が消えて、20年経ちます。子どもたちの文章表現力はどんどん低下してきており、大学生になってもまともな文章が書けなくなっている。そういう危機感から、今回このような本を出版することになったという話だった。ぜひ、読んだら感想を送ってほしいとお願いして、話を結んだ。途中にシンガポールの生須さんから電話がかかってきた。その後は、1970年代に流行った歌が次々と出てきた。先生も歌ってほしいと言われ、渋々森進一の「襟裳岬」を歌った。途中から、誰だか知らないが、音程の狂った歌声が聞こえてきて、歌いずらかった。その歌をいい機会にして、明日の朝は早いのを理由に帰らせてもらうことにした。簡単なあいさつをして、その場所を離れた。皆さん1年後にも再会しましょう。また、新しい、久しぶりのメンバーを掘り起こして下さい。

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