子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

17号

はじける芽17号

ころんじゃいけないの

………………「一,二ワッショイこうら。」
という声がしました。私は、はすぐ、
(あっ、この声は機動隊だ。)
と思いました。アパート公開園の前に来て、一人の機動隊が砂でころんでしまいました。そうしたら、先生みたいな人が、
「こら、ころぶんじゃね。たてこのやろう。」
と言いました。ころんだ人が立とうとしたら、先生みたいな人がけりました。やっと立ったら先生みたいな人が、
「さあ、おいつけ、速く歩け。」
と言いました。先生みたいな人は、ころんだ人のおしりを棒でおもいっきりぶちました。私は、
(なにこの人、これでも大人。)
と思いました。鶴田さんと私が、
「それで人間だあ。かわいそうね、だいの大人があ。」
と言いました。鶴田さんが、
「こけてもいいじゃんね。じゃあ自分がこけたらおもしろいだろうね。」
と言いました。私もそう思いました。遠藤さんが、
「また来るから待ってよう。」
と言ったので、待っていました。
 機動隊が、また来ました。私は、
「みんな来たよ。」
と言ったら、みんないっせいに向うを見ました。
 先生みたいな人が、
「とまれ-。」
と言いました。そうしたら、また変な棒でみんなをぶっていました。先生みたいな人は、
「これじゃあ、歩いているのと同じだろう。もうすぐだ、走れこのやろう。」
と言いました。私と鶴田さんと花松さんと遠藤さんで、
「本当、やあね。」
と言いました。後から来た人は、またぶっとばされていました。鶴田さんが、
「もうこんなの見たくない。気持ち悪いよ。」
と言っていました。私は、そこにいたけいさつ官に、
「ころんじゃ、いけないの。」
と言ったら、その人は、
「そりゃあ、あぶないなあ。」
と言いました。
「すべって、ころんでぶつちゃうの。」
と言ったら、その人は、
「そりゃいけないことだね。」
と言いました。私は、
「さっきの機動隊の人、ぶったんだよ。」
と言いました。その人は
「そりゃあ、しょうがないんだよ。ぼくだって、みんなけいけんするんだから。」
といいました。
(あの、ぶった先生みたいな人も、こんなふうにぶつとばされていたんだなあ。)
と思いました。
 十月の初めの班日記に、別頭まり子さんが書いてきた。柳島小のすぐ裏に、機動隊の宿舎があり、毎朝日の丸をあげ君ケ代を歌って訓練している。近くに錦糸公園もあるので、そこまで行って婦って来る時に、子ども達の眼にとまる所で、このような荒々しい練習をしている。ものものしいあの機動隊の姿が、学校の付近に日常的に見られる。
 子ども遠の数人も、この訓練の様子を見て、複雑な思いにかられたのだ。大の大人が、訓練とは言え、きたならしい言葉をはかれ、暴力をされながらたえている若き機動隊員に、同情しているのだ。したがって、やむにやまれず警察官(結局この人も、機動隊員である)に訴えたのだ。
 暴力を否定していたが、仲間が訓練で行っていることを言われて、暴力もしょうがないと納得させようとしている。

事実を見てやがてこの子達には

 子ども達の眼で、しっかり訓練の現実を順序通り見ておくことを大切にしたい。この民主国家と言われる世の中で、機動隊の存在を知っておく。彼らの仕事が主にどんなことをするのかは、やがて六年生の政治学習で触れなければなるまい。
 ここでもっとも大事にしたいのは、子供の眼からそぼくに、疑問を持って見ぬいている事実の重みである。こんな訓練は、何のためにしているのだろうか,この時点では、子ども達には、はっきりつかめない。
 しかし、テレピの映像などに同じ服装をして、原発反対や様々のデモ行進を鎮圧している機動隊の姿をみることも、やがてあるだろう。
 その時には、国民の幸せを願う行動を規制し、弾圧しているのが、あの時の機動隊なのだということを、子ども達にわかるようにさせたい。民主的な動きをおさえているのは、誰なのかということも、きちんと見ぬく子どもに育てなければならない。 
 そのためにも、事実を事実として、きちんととらえる力量をつけさせることが大事ではないだろうか。
1989年12月13日

実際担任してみると

 私が柳島小に転勤してから、警察官の官舎が作られた。家族寮の宿舎であった。当時私は、高学年を担任していたが、その保護者が来て厳しくなるかなと、職場の人たちと話していた。実際にその子供達を担任することになったのだが、保護者会も積極的に参加し、担任に対してはいつも信頼て接してくださった。母親の中には、元女性警察官だった人が結構いらっしゃった。その子供達を、3年生から、6年生まで担任した。途中一度クラス替えがあった。4年間担任した子も半数いた。当時から日記指導を大事にしていたが、子どもの文章の後に、家の人にも書いてもらうことをやっていた。いつも、熱心に文章を添え書きしてくれたのも、その親たちであった。
2011.11.28

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