子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

2月6日(土) 新聞記事から

2月6日(土) 新聞記事から

  朝日新聞の記事の中で、社説や投書欄のページと同じところに、コラムが載っている。その中で、「多事争論」というコーナーがなかなか面白い。その中で、高橋純子さんという方の文章は、特に秀でている。

多事奏論

記事バラ売り時代 悩み抜く、「スカッと」なくとも 高橋純子

2021年1月6日 5時00分
 2カ月ほど前、ある女性読者(60)のご自宅を訪ねた。年に数回、私が書いた記事への長文の批判を、その記事の文体に似せて自筆でつづり、ファクスで送ってくれる。保守を自認されているその筆は辛辣(しんらつ)だが、しっかり読み込んだ上で書かれていることがわかる。どんな人なんだろう?
 ――あの、どうして朝日新聞を購読してくださってるんですか?
 「『敵』がこの国をどう変えたいと考えているかを勉強するためです。近所のうどん屋さんでたまに産経新聞を読むと『あ~生き返った!』と思うけど、私は息抜きに新聞読んでるんじゃないから」
 毎朝、赤ペンで線を引きながら読み、引っかかった箇所にコメントを書き込んでいく。真っ赤っかになった記事の筆者には「伝えなきゃいけない」と思うから、赤いコメントをつなげて下書きをし、それをさらに清書する。3時間はかかるという。
 「書くことで、自分が何を保守したいのか、自分をより深く知ることができるのよね。ただ私も暇ではないから、『今日はそういう記事にあたりませんように』と祈るような気持ちで新聞をめくってます」
*3時間かけても「なにか」言いたくなる記事を届けられたのなら記者冥利(みょうり)に尽きる……なんて思っていた折、先月15日付朝刊、慶応大学教授にして本社パブリックエディターでもある山本龍彦さんの論考を読んだ。政権を挑発・揶揄(やゆ)するようなコラムが朝日新聞に載り、「スカッとした」と熱烈に支持する読者が少なくないことに驚いたとある。これって私のことだよね? スカッと狙いで記事書いたことないけど……なんて自問を重ねていても始まらない。ちゃんと話を聞きたいと取材をお願いした。
 人影まばらな大学のキャンパス、談話室の机には、マーカーが引かれた私の記事のコピーなど大量の資料が広げられていた。
 ――私は講演などで「スカッとした!で終わらせないで」とお願いしています。挑発や揶揄は、権力、とりわけ「一強」に対峙(たいじ)する際の貴重な武器だと思います。権力を斬るというよりは主権者を鼓舞し、あきらめに流されないようにするための武器です。この国の主権者はもっと怒っていい。もっと自信を持ってほしい――話題をいくつも脳内に詰め込んできたのだが、山本さんの方から「私の論考が、権力と対峙する記者を萎縮させる効果をもつとしたら本意ではありません」と語り出され、聞き役に回る。自身の論考に対し読者から、「トーンポリシング(口調の取り締まり)」であり、結果的に記者の口をふさぐのでは?との指摘があったことを気にされていた。
 手書きのリポート用紙4、5枚を繰り、参考文献を示しながら思考の軌跡を解説してくれる。「ネットでの記事の閲覧数に至上の価値をおくビジネスモデルに新聞社が取り込まれてしまったらジャーナリズムは終わります」。同感です。なんだ、問題意識は一緒じゃないですかと笑い合った。
*「高橋さんは体制側の物語を揺さぶりたいんでしょう? その意図はよくわかります」と山本さん。「しかし、紙面で多くの記事の一つとして読まれるのではなく、デジタル上で記事がバラ売りされる時代にあっては、他の記事とのバランスが考慮されにくい。結果、感情への訴求力が強くなり、分断の着火点として消費されかねません。また、一つの記事が新聞全体を代表するような印象を与え、良くも悪くもその他の事実報道の受け取り方に影響する。揶揄や挑発など思考をショートカットする表現は用いるべきではないと思います」。なるほど。バラ売りのことは私の頭になかった。さて、どうするべきか。難しい。悩ましい。時間をかけて考え、考え抜きたいと思う。読者のみなさんもぜひご一緒に。
というわけで今年も、書く。新年あけましておめでとうございます。(編集委員)

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