子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

27号

はじける芽27号

中学年作文年間計画ー今年度の参考資料ー

何をどのように綴らせていくか

指導題目(子どもに綴らせたいテーマ。誰もがそのことにかかわれば書けるもの。)

4月5月
◆○年生になって、担任発表した日のできごとを家に帰って家族の者とよくおししゃべりしたことをじっくり思い出し、出来事のあった順に「…でした。」「…ました。」と過ぎ去った言い方で生き生きと書いてみよう。
◆○年生になって、ある日あるときの1回限りのことで、自分がしたり見たりしたことの中で、はっと気づいたことで1番心の中に強く残っていることをよく思い出して生き生きと書いてみよう。
6月7月
◆学校生活をしている中で、友達や先生とのかかわりの中で心がドキドキする位うれしかったり、悲しかったり、くやしかったりしたことをよく思い出して、その時しゃべったことは会話の「…」をたくさん使って思いきり正直にどんどん書いてみよう。
9月10月
◆夏休みの40日間の暮らしの中で、ふだん経験できないような心に強く残った出来事を、まわりの様子などもよく思い出してていねいに書いてみよう。 
(夏休み中、日記など課題にする時は、あらかじめこのことを話し、できたら事前にそのような話や作品などを読んで聞かせる。)
◆公園や街頭など、さまざまなところで、ふと出会ったことから、今までの経験したこともないめずらしいことに積極的に興味を示したような題材をえらんで書いてみよう。
11月12月
◆ 季節の移り変わりによって、生活のしぶりも変わっていく事実を敏感にとらえたことを題材にえらんで、ていねいに書いてみよう。自分はわかっていても読み手がわかるように、説明も入れて書いてみよう。
◆ 肉親の者が病気になったり、けがをしたりして家族の人達がそのことにいつもいつも気を使って生活していることをじっくり観察して、相手の会話やしぐさなどもよく思い引出してていねいに書こう。(弟か妹が母親のおなかに出来たり生まれたり、あるいは年よりや壮年、青年、同年代のものなどが命を失ったようなことがあったら、必ずそれを題材としてとりりあげ書かせる。本人の意志を大切にしながら、右の題目の中で取り上げる。)
1月
◆祖父母、父母から伝えられた遊びをすることからよろこびをえたような題材をえらんで書いてみよう。
(お正月に遊んだ、すごろく・カルタ・百人一首・たこあげ・こままわしお手玉など一つの遊びを取り上げること。)
2月3月
◆年長者から聞いた話で、意味があると考えたことを題材にえらんで書こう。
(3月10日の東京大空襲に向けて、年長者(特に祖父母)の者がまわりにいたら、戦争中のくらしなどが聞けたら取材するように、半年前位から話しておく。
三年「おこりじぞう」四年「一つの花」の教科書の文学作品の単元でも、平和教育のつながりとしてとらえる。)

指導過程について

 右の題目は、子どもに書かせたい題目の1つの例だ。題目にもよるが、取材から構想・記述・推考(推敲)・鑑賞まで10~20時間かけて行う。したがって、2ヶ月に1回くらいのわりか、学期に1回くらいの割で書かせる。そのためには、時間割の中に週2時間は、作文の時間を設けておく。

日記指導について

 上の題目は、教師の側から書かせたい項目だが、子ども達が自主的に書いてくる場も与えておく。これは日記指導が一番大事になってくる。毎日全員のを見るのが大へんなら、一日五人ずつ、一週間に一回は提出させるとか色々できる。
 日記指導は、子ども達がどんな事に心を動かしているかわかることと、子ども自身にいつでも書くかまえを持たぜることに役立つので、できたらやらせたい。高学年で忙しくなったら、班日記のように、5~6人のグループで書かせていくと、教師の負担も少なくて効果は大だ。

誌のノートについて

 教科書の単元に詩の鑑賞のページがあり、その後に子ども達に書かせることがある。これだけでは、詩への創作意欲は欠けてしまう。四月に全員に詩のノートを作らせる。最初は、リズムと感動のある詩を一週間に一回の割りで清書させる。夏休みが終わった頃より、テーマを与えたりして書かせていく。
赤ペン指導
 日記や詩のノートなど、日常時に提出されるものは、短かくても良いから心のこもったばげましの赤ペンを入れる。
 子ども達は、それをはげみに怠欲的に心をこめて文章表現力を高めていく。

系統的指導の大切さ

 13年ぶりの3年生の担任となり、中学年の作文教育の柱となるような年間計画を作ってみた。この年令は、1番エネルギッシュに何でも挑戦してくれる。他の教科でもそうであろうが、作文を書かせてもそれが言える。
 この中学年時代に作文の基本の書き方をしっかり身につけておくと、高学年になっても文章が抵抗なくほとんどの子が書けるようになる。
 中学年時代に作文をあまり書かなかった子が、高学年になっていたら、この年間計画をかなり参考に出来るのではないだろうか。私がそういう高学年を持ったら、この指導題目を8割以上参考にしてやるだろう。
 これは、私の自慢ではなく、作文という単元は、系統的に書かずに1年間過ごした子の力は、5年生になっても3年生と同じ力だと言うことだ。
 今、ひとまとまりの文章がちゃんと書けなくなっている子が増えている。上の学年に行けばいくほど作文嫌いになっている子が多い。その原因は、作文というと、何かの行事があった後に書く行事作文で1年間過ごしてきたか、教科書単元が出てきたから書くというやり方で過ごしてきたかのどちらかである。
 来年度より低学年社会か、理科が廃止され生活科が登場する。理社4時間が、生活科3時間になる。余った1時間が作文単元の増加で国語科にまわる。その増えた作文をどのように扱うのかも大切になってくる。文部省の側は、生活科の「ごっこ遊び」の体験学習を作文にさせようとするねらいもあるようだ。
 子ども自らが、日常なにげなく生活している中で、値打ちのあるものを見つけ出し、それをひとまとまりの文にする。そのことが、子供達のものの見方・考え方を自主的に育てていくことにつながる。
 体験学習を作文するようになれば、やらせ作文となるであろう。書きたくもないことを、ただ書くようになれば、作文嫌いもここで増えていくに違いない。
 低学年・中学年時代は、しどうだいもくでわかるように、1かいかぎりのできごとをじっくりおもいだして、「…でした。」「…だった。」「…ました。」と言うように過ぎ去った言い方で、ひとまとまりの文章が書けるようすることだ。
 この書き方をしっかり身につけておけば、説明的文章や概括論文の文体もしっかり身につくのだ。なお、クラスの実態によってこの題目は組み替え、この通り実施しなくてもよい。参考にしていただけたら、ありがたい。
1991年4月18日

あれから21年たって

 状況は、もっと厳しくなっている。教科書単元から、作文単元がなくなってきている。そのため、子供らは、毎日の日常に起こる出来事の中で、心に強く残ったことを表現する場がなくなってきていることだ。文学作品や説明文の単元学習を終えた後に、その関連として書くように仕向けられている。つまり、題材が初めから決められていて、自分から選ぶ題材ではないのだ。作文で最も大切なことは、「何を」の題材を自分で選んでくることが、最も大切になってくる。
 子どもが自主的に選ぶ最も身近のやり方は、「日記」を持って、その日にあったことを書き、提出する方法である。それを教師がていねいに読み「赤ペン」を入れて返していく。子供達は、担任の先生が、自分が真心込めて書いた作品をどのように読んでくれたかを期待しながら、日記帳をのぞく。たくさんの励ましがあれば、ますますやる気を起こす。みんなの前で読んでほめられれば、なおさらである。しかし、最近、日記指導をする教師がだんだん減ってきてしまったことである。事実、昨年の3月まで勤務していた職場では、ほんのわずかの人が時たま書かせていた。それでは、子どもの表現意欲はなくなり、記述も上達しない。そこで、私は、1週間に1時間作文の時間を全学年で担当させていただいた。その代わり、日記を全員に持たせて欲しいとお願いして、担任と一緒に日記を読んだ。出来れば、担任主導でお願いした。しかし、忙しい高学年になると、ほとんど私が読んで、担任に返していた。その際に、この作品は、ぜひ読んで、その子を励まして欲しいと頼んだりした。その後、その教師が続けているかどうかまでは確かめていない。今や、教師は職員室でパソコンと毎日にらめっこで、子どもの日記などには、目が行かないのが実情ではないだろうか。子どもと教師の触れあいが、ここでも崩壊させられている。
2012.2.23

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