子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

28号

はじける芽28号

 1週間に2回程度の日記の提出を義務づけている。5月の作文のテーマは、
「3年生になり、友達・家族・先生などと体をよく働かせたことで心に強く残ったことを生き生きと書く」
 日記の中にも、取材つもりで日々の生活の中で心に残ったことを書いておくようにとうながしていた。こんなに強く残ったかなしい出来事を、きちんと日記に書いてきたことを大事にしたい。さっそく全員の前でこの文を読みあげた。ふだんは元気な鎌仲君も、このときばかりは神妙な顔で聞いていた。
 動物を飼うことの楽しさ・悲しさをたった2週間ですべて味わってしまった。この小さな命との触れあいによって、本人の鎌仲君は貴重な体験をした。生命に生き死にの巡り合いが少なくなってきた今の子供達だ。この作品を読み合って多くの感想や意見を、クラスの子は発言してくれた。

ぼくの家で飼っていた生まれたばかりの子猫が死んじゃったこと

   5月12日(日)の日記より 墨田区立柳島小 3年 男子
 ぼくの家でかっていた子猫は、4月27日にひろってきました。4月中は、すごく元気だったけど、5月になってからは、あまりミルクも、4月よりのまないし、くしゃみもするようになりました。ぼくは、子猫の名まえを、「レオ」ときめました。
 夕方6時ごろに、くら前どおりのおうだんほどうをわたって、てまえの土屋動物病院という病院に、母とぼくとでダンボールの中にいるレオをつれて行きました。母が、さいふからしんさつけんを出しました。ぼくたちは、2番目でした。1番目の人は犬をつれて、よぼうちゅうしゃをやる犬でした。その犬はかわいかったけど、ぼくにとっては、レオの方が、かわいいです。レオは、せが14センチでたいじゅうが10日で170グラムでした。ぼくたちのばんがきました。そしたら母が、
「どのくらいで目があくんですか。」
と先生にききました。先生は、
「もうすぐあきますよ。もうあけますか。」
とこたえてくれました。母が
「はい。」
といいました。先生が、ほそいガラスぼうをもってきて、レオの目にすじを作って、少しずつあけてくれました。レオは、すごく、
「ニャーニャー。」
と言ってあばれました。やっと終わって、ねこ用ミルクをかって帰りました。
 5月11日、昨日、土曜日、よるごはんを食べて、ぼくは母に、
「お母さん、レオしなないよね。」
といったら、母は、
「わからない、今日よる見とくね。」
とこたえてくれました。九時ごろ、ぼくは、はをみがいてねました。その時、ぼくは、かみさまにおいのりしてねました。
 そして、3時5分ごろぼくがおきたら、母は夜ずうっとねないで見てくれていました。ぼくは、ふとんにはいっていました。
(しんじゃったのかなあ。)
と思いました。母にきいてみました。母が
「十分くらいくるしんでた。」
といいました。ぼくは、
「しんじゃったの。」
て言ったら、母は、
「うん。」
と言いました。ぼくはないてしまいました。それをきいていた姉もないてしまいました。ぼくは、
(天国でも幸せにくらしているといいな。)
と思いました。

生活態度・姿勢(認識のし方・操作)

○常へいぜいの生活のしぶり

○その時々の体や心の動かし方・行動

○捨て猫を拾って飼うやさしい家族。
○猫がミルクを飲まなくなったり、くしゃみをするようになったと、よくめんどうを見ている。
○親子3人で、猫を病院へ連れて行くことは、みんなで心配している。
●お医者さんはなれていて、ガラス棒でこすって目を開けている。
●お母さんと、お医者さんのやりとりをよく耳を働かせて聞き、目を働かせて観察している。
●レオの泣き声やあばれ方をよく観察している。
●レオのようすをよく見ていることがわかる。
●お母さんは、心配しないような答え方をしている。
●夜中の3時に起きたと言うことは、ずっと心配していてうとうとしていたことがわかる。
●直感的に推理している。
●ここでもすぐに死んだと言わずに、苦しんでいたと説明。
●とうとう本当のことを、お母さんは言う。
●本人もお姉さんも泣いてしまう。お母さんも本当につらかったにちがいない。

表現の方法・技術

○文章の組み立て方。

●細かい書きつづり方。

●題の書き方が具体的である。
●4月27日に拾ってきて、何日間かは元気であったことがわかる。
●5月になって元気がなくなる。
●子猫の名前をレオとつけた。
○いつの日の夕方6時頃なのか?
●動物病院の場所がわかりやすいように書けている
●段ボールの中に入れてつれていったことがわかる。
●病院の中のようすがわかる。
●レオの大きさが数字で書いている。
●医者に診せて、やりとりが会話を使っていきいきと書けている。
●まだ目が開かないほどの子猫。
○猫を拾ってきてから15日たった日のことであることがわかる。
●レオの元気がなくなってきたことがわかるような会話。
●夜中の3時過ぎに起きたことがわかる。
●お母さんは、おそくまでレオのめんどうを見ていたことがわかる。
●心配なその時の気持ちを(…。)を使う。
●10分くらい苦しんでいたことがわかる。
●1番気になっていたことを、はっきり聞いたことを会話で書く。
●寝ながら泣いたのかな。お母さんにしがみついて泣いたのかな。
●お姉さんも、夜中に目を覚ましていて、泣いてしまった。
●自分の心の中のことを正直に書く。
 子どもの書いた日記のあとに、保護者の方々にもなるべく文を書いてもらっている。この文のあとに、お母さんは、小さな字でびっしり、捨て猫を拾ってきてからのいきさつから、死を迎えるまでのことを親の立場で書いてくださった。「ごみ箱の中に、ナイロン袋に入れられた生ゴミのように捨てられたものを、子どもと一緒に拾ってきました。」と文の一部に書いてあった。「マンションでは、生き物は飼えないが、元気になるまで命だけは助けよう。」という思いで飼いだしてくれたのだ。すてきの子どもとお母さんのメッセージだ。
1991年6月27日

命を大事にする教育

 この文章を書いた鎌仲君は、高学年になると転校してしまった。何年か経ってから、戻ってきたように記憶している。あれから21年経ったのだから、彼も、30才前後になっているはずだ。立派に成長して社会人になっているに違いない。この体験は、彼の心の中にしっかりと息づいているに違いない。学校では体験させることの出来ない命を大切にする教育を受けた。生き物を飼うことの大切さは、このような悲しい出来事にも必ずあうという宿命を抱えている。このことを通じて、クラスの子供達もたくさんのことを学び合った。まさに生活綴り方の醍醐味である。こんな学習を、1年に1度は、全員で取り組ませたいものだ。この学習を積めば、友達同士の関わりも自然に強くなり、命を大切にする心が自然に身についていく。
2012.2.29(水)

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