子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

3月8日(日) 送られてきたDVD

3月8日(日) 送られてきたDVD

 私の友人鈴木健治さんから、度々貴重な情報が郵送されてくる。今回は、「みたびの海峡」という今から15年前の1995年制作の映画である。戦争中に、朝鮮人を日本に連れて来て、日本の炭鉱などの過酷なところで、奴隷のように働かせて、多くの朝鮮人を苦しめた。日本が戦争で負けるまで、このことは続いた。だから朝鮮人の人々にとっては、1945年8月15日は、朝鮮が日本の軍国主義、植民地支配から解放された独立記念日で、毎年この日をお祝いしている。彼の手紙を読むと、山ともや旅友の繋がりで、たくさんの情報が入ってくるそうだ。その関係で、この映画にたどり着いたそうだ。

未解決問題

 未だに「慰安婦問題」などが、完全に朝鮮の人々の心の中に、残っている。過酷な労働を強いられた朝鮮人。だから、日本の三菱や三井などの当時の大企業が、当時の韓国人労働者やその遺族から、裁判を起こされている。日本政府は、1965年の「日韓条約」で解決しているとして、それらの訴えに従うなとしている。頭の中では、日本は、1910年から35年間、朝鮮を植民地支配によって、ひどいことをしてきたと、わかっているつもりだが、そういう人もこういう映画を見ることによって、その認識をもっと深めた方がいいと改めて感じた。

すでに故人の人も

 この映画に出てくる人は、何人かは、すでに亡くなっている。主役の三國連太郎やその子供の役になる林隆三もこの世の人ではない。特にたこ部屋と称する炭鉱で働く朝鮮人の宿舎の場面や働く過酷な炭鉱の坑道の中で、監督責任者の振るまいが酷い。人間扱いをせず、犬猫のように扱い、何人かの人たちは、亡くなっている。その中の主役の一人(若き日の三國連太郎役)が、脱走を計画し命がけで成功する。その後の人生をずっと追跡していく物語である。脱走に成功し、日本の飯場で、働いている戦争未亡人の年若い女性(南野陽子)と恋に落ちやがておなかに子供が出来、日本が戦争に負け、韓国に帰ることを決断する。韓国に帰っても、日本人の女性と結婚したと、実家の人たちからも快く思われない。すぐに実家を出て、知り合いの家に小さな家を提供される。ある日仕事から帰ると、妻と子供は家にはいなかった。すぐに日本へ帰ったのだろうと港へ駆けつけるが、時すでに遅し、出会うことは出来なかった。まだ韓国とは国交が回復していない時代だ。回復し、何十年か経ち、日本へ出向くことになる。妻と何十年かぶりに会うことが願いだったが、時すでに遅し、妻は数年前に亡くなっていた。その子供(林隆三)は、成長し高校の教師になっていた。自分の子供と何十年かぶりに会うことになる。亡くなった妻が、生きているときはずっと旦那さんのことを、思っていたということを子供から知らされて、涙ぐむ。その日は、そのまま自分の宿に戻る。宿舎による、電話がかかる。息子からだった。明日の夜に我が家に遊びに来てほしいという電話だった。息子の子供の一人は、ハングル語を学んでいるという。その孫からも、「明日まってるよ。」とハングル後で挨拶される。次の日の朝、息子に手紙を書き、それを宿の人に託す。

心は決まっていた

 そんな折に、昔自分たちを苦しめた労務管理をしていた男が、市長選を闘っている場面に出会う。やがて、その男は、市長に当選する。その男と連絡を取り、あるところで出会うことになる。そこは、かって炭鉱のあったところで、近くにはぼた山が見える。その近くに、犬猫のように扱われ、故郷に帰らず亡くなった人々の墓もある。その墓の前で、2人は向かい合う。この続きは、DVDを見てのお楽しみ。123分間、一挙見てしまった。最後に映画の制作に関わった人たちの名前などが出てきた。張本勲さんがトップの場面に出てきて、制作協力者と書かれていた。監督は、神山征二郎さんだった。原作は帚木蓬生(ははきぎほうせい)だった。見終わって時計を見たら、昼の1時を回っていた。

ご覧になりたい方は、ご連絡ください。DVDをお貸しします。

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