子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

4月24日(火」)同窓会は盛り上がった

4月24日(火」)同窓会は盛り上がった

 大学を卒業し、初めての職場が、決まった。豊島区立池袋第三小学校。背広にネクタイを締めて、希望に燃えて、学校の門をくぐった。年は、23才であった。4年生の担任になった。隣の2組は、大須賀敬子先生で、27才だった。3組は、丹羽陶吾先生で、優しい学年主任さんだった。年は、43才だった。丹羽先生は、植物を育てるのが好きで、お花の育て方をたくさん教わった。「榎本先生お若いから、まだそれほど関心ないかも知れないけど、植物を育てるのはいいよ。」と言われた。時々、丹羽先生のご自宅まで行き、植物を植えるのを手伝ったりした。おかげで、この年令になって、四季折々の花を大事に育てるようになった。特にゴールデンウイークを過ぎた頃になると、必ず朝顔の種を植える。真夏の暑い盛りに、朝顔の花を見るのが日課になった。オーシャンブルーと言って、日中の暑い盛りにもしぼまない青紫の朝顔を見たことありませんか。普通の朝顔が、突然変異で出来たものです。あと、ルコー朝顔と言って、小さな朝顔もここ10年以上毎年育てている。真っ赤な色をしている。オーシャンブルーもルコー朝顔もインターネットで調べると、すぐ写真入りで出てくる。特にこの朝顔は、生命力が強く、10月の終わりごろまで咲いている。

驚いたこと

 私は、この学校で、教育実践の様々なやり方を学んだ。
 同学年に、日本作文の会の会員だった大須賀敬子さんがおられて、その先生から、作文教育の大切さを教えていただいた。一枚文集の作り方、日記の書かせ方、すべて教わった。その後の人生に大きな影響を受けた。
 そこの職場は、9割以上の人たちが組合員だった。週に1回職員会議が開かれた。会の終わりごろになると、井上憲治先生が、黒板に「職場会を開きます」と書いていた。職員会議が終わると、席を立つ人は、校長、教頭と幾人かの人が、出ていった。やがて、その会が、組合の会議であることが自然にわかった。職員会議で、堂々と発言をする先生方が、ほとんど組合員の方だったのだ

その時の教え子の同窓会

 その時の最初の教え子が、4月22日(日)同窓会を開いてくれた。全部で、39人が集まってくれた。23才の青年教師と、10才の子どもたちが、何年かぶりにクラス会は開いていた。来年は、還暦を迎える年になった。しかし、3クラス合同のクラス会は、5年とか7年に1度開いていた。今回は、10年ぶりかも知れない。みんないい叔父さん、叔母さんになっていた。
 今回は、土屋祥子先生と中島一成先生も参加してくれた。前回出席の鈴木宏達先生は、もうこの世の人ではない。それぞれ、思い出を語り合った。そのあとに、池三の歴史を写真と音楽を流しながら、素敵なプロのアナウンサーの説明が流れた。その歴史のなかに、我々と子ども達の写真が思い出の行事とともに流れた。1ばん驚いたことは、6年生の時の音楽会での子どもたちの合唱と、その時の写真とともに流れた。編集は、2組の石垣君が作ったらしい。みんな感心して、見ていた。3時間近くの会であったが、あっという間に過ぎてしまった。2次会は、カラオケだった。しばらくは、おしゃべりが続いたが、そのあとは、各自の好きな歌が流れた。
 39人の子どもたちが、参加してくれていた。あの頃、保護者の方も30代から40代であった。何人かの人に「お母さんお元気?」とたずねると、老人ホームに入っていますとか、亡くなりましたという言葉が返ってきた。3次会もあったようだが、そこで、中嶋さんと一緒に別れた。

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