子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

4月5日(日) 週刊文春の記事

4月5日(日) 週刊文春の記事

森友問題 (「週刊文春」2020年3月26日号)抜粋

 佐川理財局長(パワハラ官僚)の強硬な国会対応がこれほど社会問題を招き、それに指示NO、を誰も言わない理財局の体質は、コンプライアンスなど全くない。
 これが財務官僚王国最後は下部がしっぽを切られる。なんて世の中だ。手がふるえる。恐い 命 大切な命 終止符
〇〇さんへ
 本当にありがとう ゴメンなさい 恐いよ 心身ともに滅入りました。義母さんへ ゴメンなさい 大好きなお母さん

あまり週刊誌は買わないが

 これは、2年前の3月7日、近畿財務局職員・赤木俊夫氏(54)が自ら命を絶った遺書である。安倍昭恵夫人が関与する小学校への国有地格安払い下げが国会で問題となる中、起きた文書改ざん事件。まじめな公務員は、なぜ公文書を改ざんし、そして死を選ばなければならなかったのか。「財務省が真実に反する虚偽の答弁を貫いている」「最後は下部がしっぽを切られる。」A4で7枚の痛切な「手記」やメモには、その経緯が克明に綴られていた。「隠蔽の安倍政権」の真実がついに明らかにー。(以上相沢冬樹)

元NHK記者相沢冬樹

 この文章を書いたのは、「大阪日日聞記者」相沢冬樹さんだ。森友問題が大阪市議の情報請求をきっかけに、いち早くこの問題を調べ始めたのは、朝日新聞だった。それとほぼ同時にNHK記者時代の相沢さんだった。綿密な取材をして、関西地方で初めて放映された。他の民間放送は、毎日のように取り上げていた。後れをとったが、やっと全国放映されるようになった。しかしながら、全国放送には、すぐには取り上げられた時は、肝腎の言葉が削除され放送された。「森友学園の名誉校長は、安倍昭恵」と言う箇所が、消えて放送された。それをしたのは、東京にいる上司だった。しかしながら、かなり鋭い取材に基づいたものでも、全国放映には骨抜きされて、かかるようになってきた。

記者魂

 NHKの執行部の中に、安倍政権と近しい人がいて、その人の発言権が強かったという。やがて、大阪支社にいたときに、人事異動の時期に呼ばれて、現場の記者から外されることになった。その話を聞き、「もうここにいては、現場の仕事は出来ない。」と心に決めて、NHKをやめる決意をする。そのあたりの事情は、「安倍官邸」対NHK 森友事件をスクープした私がやめた理由(文藝春秋社)に詳しい。

赤木敏夫さんの手記

 彼の自宅のパソコンには「手記」と題した詳細な文書が残されていた。相沢さんが、この「手記」を目にしたのは、赤木さんがなくなって半年あまり経った11月27日のことだった。亡くなった当初は、遺書があるということが噂になっていたが、かん口令が敷かれて、誰も知ることが出来なかった。大阪梅田の喫茶店で、相沢さんは、亡くなった相沢さんの奥さんと初めて会うことになった。そのきっかけは、NHKで森友事件を取材していた相沢さんが、記者を外され、NHKをやめることをどこかの記事で知り、会いたいとメールが入ったと言うことである。

驚きの手記

 相沢さんの奥様の昌子(仮名)さんは、会うといきなりかばんから数枚の紙を出し「これ見たいですよね?」と、俊夫さんの「手記」を差し出した。だまって読んでくと、重大な事実がたくさん書かれていた。相沢さんは、すぐにこの文章をコピーとらせて欲しいとたのむと、すぐに「だめです。」と返事。「写真は?メモは?」「どれもだめです。目で見て覚えて下さい。」と言う返事。最後に昌子さんは、「手記」をしまうと「これは記事にしないで下さいね。相沢さんに裏切られたら私は死にます。」と言い残して去った。

命を絶つのをやめる

 大部経ってから、この時のことを昌子さんは、相沢さんに「手記」を渡してそのまま夫の後を追うつもりだったそうだ。ところが興奮する相沢さんの様子を見て、「手記」を託すのをやめ、同時に命を絶つのもやめた。相沢さんは、「安倍官邸」対NHK 森友事件をスクープした私がやめた理由(文藝春秋社)というほんを文藝春秋社から出す直前で、発売日に合わせて12月13日発売の週刊文春記事を書くことになっていた。その時に赤木さんの「手記」の話を文春編集部の人に話すと、編集部は色めき立った。それから、1年4ヶ月。今年の3月7日を迎え、俊夫さんの3回忌の法要が無事終わった。この間、財務省と近畿財務局は、昌子さんに誠意のない態度をくりかえした。昌子さんの気持ちも大きく変化した。俊夫さんの「手記」の公開を決意するに至った。以下赤木さんの遺書。 「私は、昨年(平成29年)2月から7月までの半年間、これまで経験したことがないほど入れナ事案を担当し、(中略)強度なストレスが蓄積し、心身に支障が生じ、平成29年7月から病気休暇(休職)に至りました。これまで経験したことがない異例な事案とは、今も世間を賑わせている「森友学園への国有地売却問題」です。今も事案を長期化・複雑化させているのは、財務省が国会などで真実に案する虚偽の答弁を貫いていることが最大の原因でありますし、この対応に心身ともに痛み苦しんでいます。」

きっかけは大阪市議の情報請求

 ここで書かれている「森友学園への国有地売却問題」が明るみに出たのは3年前の17年2月8日。この国有地だけ売却価格が明らかにされないことを不審に地元・大阪府豊中市の木村真一市議が、情報公開を求め裁判を起こしたのがきっかけだった。この国有地には森友学園の新設小学校が建つ予定で、その名誉校長には、安倍晋三首相の妻、昭恵さんが就任していた。翌日、朝日新聞がこの問題を大きく報じたことで国会で火が付いた。野党の追及に財務省は、鑑定価格9億円あまりの土地を8億円以上も値引きして売却していた事実を明かした。ターニングポイントとなったのは2月17日だ。国会で、昭恵夫人の国有地取引などへの関与を追及され、「私や妻が関係していると言うことになれば、間違いなく総理大臣も国会議員も辞めると言うことは、はっきり申し上げたい。まったく関係ない」7日後の24日には、財務省の佐川宣寿理財局長が国会で「交渉記録はない」「売買契約締結を持って事案は終了。速やかに破棄した」などと答弁。実際には、国有地取引の経緯を記した改ざん前の公文書には「安倍昭恵首相夫人」の名前がくりかえし記されていた。その2日後、これら公文書の改ざんが始まった。「手記」はその状況をリアルに記していた。下に書かれた文章は、赤木さんが残した亡くなる前に書かれた「手記」である

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