子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

5月14日(月)生い立ち・ソフトバレーの監督

5月14日(月)生い立ち・ソフトバレーの監督

ソフトバレーボ-ルの監督を受けて

 娘千香が、小学校4年生の時に、町会の小学校女子ソフトバレーに所属していた。ボールは、普通のバレーボールより、柔らかいボールで行う。試合は、4人制である。コートの広さは、バトミントンのコートを使う。試合のあるときは、妻と一緒に応援に出かけた。試合があるときに、応援に行く程度であった。ところが、娘が「お父さん来年から、監督が辞めちゃうので、誰もいなくなってしまうんだ。お父さんやってくれない。」ということで、2年間だけ引き受けることにした。千香が6年生の時には、6年生が4人もいたので、強いチームになり、優勝することが出来た。これでおしまいだと考えていたのだが、代わりのものがいなく、ずるずると今に至るまで続いている。その娘も、今年29才になるので、10歳の時から監督を引き受けているので、この4月で、19年目になる。幸いコ-チ人が充実し、3人の人が加わってくれている。毎週日曜日の8時から10時半まで画練習時間になる。1年に2回、大きな大会がある。その試合が近くになる、1ヶ月前になると、土曜日も練習日にあてている。土曜日の始まりは、8時半からで終わりは、10時半である。正直、朝はゆっくりして寝ていたいと思うことが、時々あるが、朝は6時に起き準備している。透析患者になってしまったので、一緒に練習は、本格的には出来ない。特に、左手の手首のところは、シャントと言って、動脈と静脈をつなげた手術をしているので、レシーブのボールが受けられない。特にアンダーレシーブは、しんどい。日頃の練習のときには、コーチ陣に任せている。1週間に1度、子どもたちと会えることは、元気をもらえる。保護者の方々も、一生懸命、お手伝いに来ていただいているので、もう少し続けようと考えている。

娘千香は、中学では、バスケットとボールクラブへ

 小学校では、ソフトバレーで練習に励んだ千香は、中学に行くとバスケットボールクラブに入った。私が、大学までバスケットをしていたので、出来たら、バレーよりバスケットの方に行ってほしかった。中学3年間、バスケットにエネルギーを傾けた。2年生になると、レギュラーになり、対外試合があると妻と一緒に応援に出かけた。中学の指導者は、熱心に指導してくれて、土曜日も、日曜日も練習に明け暮れていた。中学の教師は、働き過ぎだなあといつも感謝しつつ、複雑だった。同じ学年の子どもが、10人いて、レギュラーは大変だった。それでも、5人のメンバーに選ばれて、親としても試合の観戦にも力が入った。高校に入学後も、バスケットに力を入れて、3年間弱音も吐かず、練習に励んだ。対外試合には、いつも妻と一緒に観戦に行った。おかげで、いい思い出が作れた。

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional