子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

作品2. 年賀はがきを読みながら

年賀はがきの思い出

年賀はがきを読みながら 
 1月22日(火)
                 画像の説明     

 今年も年賀はがきがたくさん届いた。毎年200枚近くの葉書をやり取りしている。その半分近くのものは、教え子からのものである。31年間教師をしていると、このくらい来てもおかしくないだろう。葉書を読みながら、「あの子は、結婚したのか。」「あの子は、子供のお母さんになったのか。」「大学に合格して、浪人生活から解放されたんだ。」葉書を読みながら、それぞれの思い出の子供達の顔が浮かんで来る。その時、浮かんでくる顔は、みんな小学校時代の担任していた時の顔が浮かんで来るからふしぎである。毎年の事だが、現在担任している子供からのものが1番多い。今年も、ほとんどの子供達から、心をこめた物がたくさん届いた。どっちみち冬休みを過ぎれば、また会えるのにわざわざ出してくれるので、ていねいに返事は出している。その次に多く来るのが、最初に担任した子供達からのものである。31年前に10才だったから、今年は41才になるはずである。16人の子供達と再会する事ができた。    
 5年ほど前にクラス会を開いた時、皆いい叔父(おじ)さん、叔母(おば)さんになっていた。
     1通の手紙
 いつもそれぞれの葉書を読みながら、心に染み入る文章に出会える。教師をやっていて1番教師冥利(みょうり)につきるのは、卒業してからも、この様に出会えると言うことではないだろうか。しかも、1枚1枚の葉書でそれぞれの思い出を鮮明に思い出せるから有り難いのである。その中に1通の葉書が届いたが、これを書いた子供とは印象に残った事があった。その子は、僕が24才の時の教え子である。つまり最初の教え子からのものであった。その子との出会いは、4年生の3学期だけの大変短い期間であったのだが、大変強く心に残っている子供であった。その子は女の子でSさんと言う名前にしておこう。転入していた時に、どことなくおどおどしているところの見られる子であった。後で色々分かった事だが、父親が酒乱で暴力をふるうので、怖(こわ)くてにげてきたと言うことが分かった。前の学校にも、父親が捜(さが)しに来ても、行き先を教えないでほしいと連絡してきたと言うのであった。母1人子1人と言う事で、母親の境遇を聞いていくうちに、気の毒に思う気持ちが強くなってきた。クラスの子供達は、すぐにSさんを仲間にいれて、自然におどおどしたところが消えていった。子供との楽しみがほとんどない中で、今まで生きてきたと言う事を母親から聞いて、この子が少しでも生きていく喜びを味合わせて上げたいと心から感じた。そこで、その子だけ日曜日に、遊園地に連れていったり、映画に連れて言った事を覚えている。母親が、池袋の駅に迎えにきて、満面の笑みを浮かべながら、頭を下げたのを今でも良く覚えている。5年生になる時に、事情があって引っ越さざるを得なくなってしまった。たった4年の3学期と言う短い出会いであった。せっかく慣れてきたのに、Sさんも母親も残念そうに転校していった。
 転校はしたが、その後手紙がきたり、電話がきたりと色々と交流は続いた。しばらく連絡が途絶えたが、Sさんが、23才頃になった時に、「結婚をするので、式に参加してほしい。」と言う電話を受けた。栃木県の式場であったが、僕は喜んで参加した。
     今年も年賀はがきが届く
 転校してから、29年の月日が流れ去ったが、Sさんから今年もはがきが届いた。「昨年は、体を少しこわしあまり良い年ではありませんでした。先生とは、あれから1度もお会いしていませんが、今年はぜひ実現したいです。では、お元気で。」と言うような内容の文が書かれてあった。
 1年に1度の交流であるが、この様に1枚1枚には、たくさんの思い出が秘められている。
     もう1通の手紙
 Sさんが転入てきた学校は、豊島区立池袋第三小学校といって、池袋駅から歩いて7分位のところにある。僕は、そこに7年ほど勤め、墨田区立小梅小学校に転勤してきた。そこで、最初に担任した子供の1人のE君と言う子供から、3月7日あけておいてくださいと言う年賀であった。E君を担任したのが、24年前の11才の時であるから、結婚式の招待状であろうと言う事はだいたい予想できた。昨日14日に家に帰ったら、その招待状が届いていた。中を開けてみると、「当日ひとことごあいさつをよろしくお願いします。」と言うたんざくのピンクの紙に書かれていた。
 結婚式に呼ばれてひとことあいさつと言う時は、小学校の時に本人が書いた作文をいつも読むことにしている。あと1ケ月の間にどんな作文にするか選ばなければならない。
     ここまでは、四年前の日記である
 あれから四年が過ぎ去ってちょうど一年前の頃であった。突然夜に電話があり、Sさんのお母さんからであった。ぼくの声を聞くとお母さんは急に涙声になって、娘が亡くなりましたという電話であった。病名は癌と言うことであった。なんと慰めの言葉も出せずに、しばし沈黙をしてしまった。

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