子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

作品4. バスケットボールに燃えていた頃

バスケットボールに燃えていた頃

 2001.6・15(金)                  
 僕は、埼玉県の浦和に長い事住んでいた。中学校も家から歩いて十分位の所に通っていた。クラブ活動は、バスケットクラブに入った。途中でバレークラブに入ったりしたが、高校になってふたたびバスケに入った。二年生の途中まで心も体も、ボールを追って過ごした。やがて、一年間の浪人生活の後、大学に何とか合格できた、四年間なにか一生懸命になれるものはないかと考え、結局バスケットに入ることに決めた。大学が我が家のすぐそばにあったりしたので、通うのは、いつも歩きか自転車のどちらかであった。休講(きゅうこう)と言って、授業がお休みの時は、家に帰って一休みをしにいく事もあった。一九六五年入学であるから、今から三十六年前の話になる。クラブは、授業の終わった後、午後四時すぎから、七時位までの三時間近く、毎日練習した。練習内容は、準備体操から入り、パス・ドリブル・シュートの三つの内容を組み合わせた物を色々織(お)り混ぜてやった。コーチは特にいなく、時々卒業した、先輩が見にきてくれた。 部員は、十五人位いた。運動部は、上下の関係がやかましいところで、言葉使いやあいさつをうるさく言われた。練習が一番厳しかったのは、夏の合宿であった。暑い夏にやるので、涼しい群馬県や栃木県の方へ出掛けた。合宿代は結構お金がかかるので、アルバイトでかせいだ。デパートの中元の配達は、大変だったが結構なお金になった。
 合宿は、一週間くらいだったが、朝から夕方までボールをおい続ける。三日か四日くらいたつと、足が棒のようになって、筋肉がつかれてきて、体を動かすのも気力でやる。練習中は、いつも声を出してやるので、一日の練習が終わるとのどもからからになる。夜は、ミーテイングと言ってその日の反省をする。
 とにかく練習もきつく、練習前と後では、体重が三~四キロくらい減る。汗が相当出ると言うことだ。この練習を、四年間毎日やったお陰で、体力的には、大きな自信になった。 どんなに厳しい練習も、このときのことを思い出すと、いつも乗り越えられる。練習後の水が、本当においしかったのも忘れられない思い出である。
 あれから、体重もずいぶん増え、筋肉もふやけておなかも出て、ちょっと悲しい体になってしまった。学生の時の体重より、ちょうど十キロ増えたことになる。
            

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