子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

作品6.ラジオとテレビの思い出

ラジオとテレビの思い出    

6月1日(金)         
 僕らの年令の世代の人達は、テレビよりラジオからの情報が最初であった。もっとも、テレビなどと言うものは、自分達の生活の中にはなかった。いまだに、新聞の「テレビばん」を見る時、「ラジオばん」と言うことの方が、なじみ深い言葉になっている。ラジオも今のように、声がはっきり聞こえるのでなく、はっきり聞き取りにくいものであった。どこの家にも、ラジオがあり、子供も大人も楽しみな番組はいくつかあった。僕は、祖母の影響(えいきょう)もあって、落語や漫才を聞いたり、浪曲などを聞いていたりしていた。あの頃、お金を使わない娯楽(ごらく)と言ったら、夕食後家族でラジオを聞くのが一番であった。また、じょうずで個性のある落語家がけっこう出てきた。円生、桂文楽、金馬、桂枝太郎、馬生、柳家小さん、鈴令舎馬風、志ん生などと言う名人がたくさんいてそれぞれ、良い出し物を聞くことができた。まだ、あの有名な林家三平などが出てくる前の時代である。そのほか、今かすかに覚えているのが「一丁目一番地」「お笑い三人組」「三つの歌」「話の泉」をNHKでやっていた。民放では、「素人(しろうと)寄席」を牧野周一と言う司会者がやっていた。また、「赤胴鈴之助」に吉永小百合が出てきて、それ以来ずっとあこがれていた。

テレビの思い出

 やがて、テレビのことが少しずつ話題になったりしてきた。でも、どこの家にもテレビの姿はなかった。それは、街頭テレビと言って、駅の近くの人が一番に集まる広場に、一台だけそなえつけられていて、それを、大勢の人達が見ていた。おそらく、千人から二千人の人々が、一台のテレビに向かって、夜暗くなってから、見にいっていたのである。それは、日本国中の人々が、そんなふうにして見ていたのである。僕も、大勢の人々の中に入って、そのテレビの画面を吸いつくようにしていて見ていた一人であった。

あこがれの人「力道山(りきどうざん)」

 夜の街頭テレビで一番印象に残っているのは、プロレスである。太平洋戦争に敗れ、日本中の人々が、心も体もズタズタにされていた時に、力道山が「空手チョップ」で外国人レスラーを徹底(てってい)的にやっつけてくれるのである。シャープ兄弟、ダラシン、オルテガ、キングコング、プリモカルネラ、などと言うレスラーを次々に倒していくのである。その頃活躍した日本人レスラーとしては、遠藤幸吉、豊登、東富士などが出てくる。ついこの間亡くなった馬場や、まだ現役のアントニオ猪木が有名になるずっと前のことである。やがて、金持ちの家にテレビが一台入るようになってくる。そうすると、僕たち小学生は、何人かの友達を誘(さそ)って、夕方になると、「テレビ見せてください。」と言って、一時間くらいおじゃまするようになった。土曜の夜九時頃から、TBSで「ひまな氏飛び出す」と言う三十分番組をやっていて、ちょっとした推理番組なので当時人気番組であった。それは、二週間で解決する「前編・後編」番組なので、毎週かかさないで見ないと、すじが分からなくなってしまうのである。その内の人も、親切に僕ら子供達を、家に上がらせて見せてくれたのである。

自分の内にもテレビが

 やがて、どこの内にもテレビが入るようになり、自分の家でゆっくり見られるのが、「豊かさ」の一つであった。小学生の頃は、買えずに確か、中学二年生頃に、買ってもらった記憶がある。その頃は、テレビにふたがついていて、かんのんびらきと言って、左右に開くのであった。また、映画を見るみたく電気を消して回りを暗くして、全員がテレビに向かって姿勢を正して見るのであった。相撲(すもう)の方も、テレビ中継されるようになって、人気もさらに出てきた。千代の山・鏡里・吉場山・栃錦の4横綱がいた頃である。栃若時代の前である。あの頃の番組では、「私の秘密」と「ジェスチャー」と言うのが視聴率三十パーセト前後をしめる超(ちょう)人気番組であった。「私の秘密」は司会の高橋恵三アナウンサーの語りがうまかったことと、ゲストで出てくる人が最後に「思い出の人」と、久し振りに会う所が劇的な幕切れで終わるのであった。「ジェスチャー」の方は、水の江滝子と柳家金五楼のキャップテンが中心になり、ゲスト四人ずつ招いての争いになる。ことに、柳家金吾楼は、抜群(ばつぐん)の演技でみんな大笑いして見ていたのである。トニー谷と言う人もソロバン芸で人気があった。

東京オリンピックでピークに

 一九六四年、オリンピックが東京で行われた。どこの家もオリンピックを見るために、テレビを買い求めた。日本中がオリンピックで浮かれていた時に、僕はテレビなど見ずに、毎日暗い日々を過ごしていた。それは、大学受験にすべて落ち、予備校に通いながら一年後の合格を夢見ていたのであった。 ラジオとテレビは、ぼくの生活といろいろな形で関わってきた。今でも、ラジオも時々聴いている。朝の満員電車の中では、ラジオを聴きながら、通勤してくる。テレビは、報道番組を中心に見ている。日曜日は、「新婚さんいらっしゃい」を楽しみにしている。

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