子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

平井明

平井明さんの講演をお聞きして

「人間の尊厳を大切に生きる」

ー 一人の部落出身教師として学んだこと ー

 4年前の2007.5.7、八広小で平井先生の講演会
があると聞き、そこに出かけた。「人間の尊厳を大
切に生きる」ー一人の部落出身教師として学んだこ
とーと言うテーマで話された。その感想を人権推進
委員長の鈴木健治さんから依頼されて書いたもので
ある。終わった後は、平井先生を囲んで、ご苦労さ
ん会を開いた。平井先生は、一滴の酒も飲まなくな
って、我々の話を楽しく聞いてくださった。

久しぶりのお話

 たしか25年近く前に、同和教育の講演会の折り
に、お話を伺って以来です。髪の毛も黒々として、
白髪などなかった頃の若かりし頃のことだった(失礼)。
その時もそうだったが、ご自分が被差別部落に生ま
れたことを名乗りながらの教育実践のお話しだった。
その時、島崎藤村の「破戒」の瀬川丑松のことを思
い浮かべていた。
 今年は、島崎藤村の初の書き下ろし小説である
『破戒』が出版されて100年になる。『破戒』に
ついては「主人公・瀬川丑松は父親からの『部落を
隠せ』との戒めと、理不尽な差別と闘う猪子蓮太郎
に惹かれ、悩み葛藤する。
 100年たって、私たちの周りから被差別部落に
対する差別はなくならないどころか、さらに悪質・
陰険な差別が増え続けている。ご自分の家に毎日の
ように差別手紙が届き、仲人をした家にも同じよう
な手紙が届いたという証拠のハガキを見て、改めて、
怒りを覚えた。その話の中から、概念砕きと言う言
葉が語られ、うれしくなった。

概念砕き

 この言葉を考え出した人は、国分一太郎である。
戦前山形で小学校の教師をするが、志半ばにして
「治安維持法違反」で教師を辞めざろうを得なかっ
た。戦後は、教師にもどらず、民主教育の先頭に立
って、日本全国の教師に「勇気と励まし」を与えた
人だった。その国分は、戦前に「生活つづり方」教
育を実践し、貧しい東北地方の山形の子どもたちに、
 日常に起きる様々な生活の事実を掘り起こして、
それを文章に綴らせた。その優れた教育実践が、
「新しい綴り方教室」(1951年)として結実す
る。そこで書かれた子どもたちの詩や作文を、鋭く
分析し当時の心ある日本の教師に訴えた。そこで語
られ訴えたことが、まさに「概念砕き」であった。
その後の多くの書物に、理論と実践を書き続けた人
であった。教師に成り立ての頃、その本を一気に読
み、我が行く道をはっきりと決めさせていただいた。
何の取り柄もなかった自分に、子どもから学ぶ精神
を国分の数多くの足跡から学びとらせてもらったも
のとして、「概念砕き」の大切さは、身に染みてな
つかしく、且つ大事な視点である。

なぜ大事なのか

 学級崩壊が、今かなり広がってきている。その原
因がどこから来ているかは、様々に分析されている。
一番の理由は、教師が忙しくて、子どもと向き合え
なくなってきていることに原因があると、私は確信
している。4月の新学期は、子どもも教師も「胸膨
らませて」スタートが切られる。どの子も、様々な
悩みや不安も抱えて、それぞれ新学期を迎えている。
そのようなときに「教師のひとこと」が大きな励ま
しや自信につながる。「生きる力」を、教師が考え
ている以上に、一人一人の子どもたちにつけること
ができる。
 しかし、この時期あまりにも教師が忙しく、子ど
もの顔と向き合えないまま、毎日が過ぎ去ってしま
う。昔も新学期は、忙しかったが、ここ6~7年の
忙しさは、異常すぎる。勤務時間が延長され、4時
に帰れたのが5時までになる。それでも仕事は終わ
らず、6時、7時は当たり前で、中には9時10時
まで残っている職場が東京の中にかなり広がってき
ている。それが、全国に広がっているのが現在の状
況ではないだろうか。教師が疲れ切って、子どもと
ゆっくり向き合って心揺り動かす話が出来るだろう
か。

学級崩壊6年の担任

 10年前に、持ち手のいない6年を担任した。そ
こに5~6人の子どもたちが、授業中教室から出て
いった。その中でも一人の子は、その中心人物であ
り、みんなを従えていた。私は、その子と2週間も
たたないうちに対決せざろうえなかった。私と背の
高さも変わらない彼と、とっくみあいで渡り合った。
なんとか羽交い締めにして、「まいったか?」とね
じ伏せたが、私の息も激しかった。やがて落ち着い
て、ゆっくり彼と向かい合い、「明日からは、静か
にしてくれよ。」で、下校させた。次の日も同じよ
うに、授業妨害である。ある日他の子どもが帰った
あとに、ゆっくりと向き合って話し合った。1時間
ぐらい語り合ったあとに、目に涙をいっぱい浮かべ
て、激しく泣き出した。そのわけを聞き、私も思わ
ずもらい泣きをしてしまった。2年生の時に母親が
蒸発し、3人兄弟の末っ子の彼が、家の中でけなげ
に家事労働を分担していたのだ。掃除も洗濯も食事
の後片付けもしていた。その時に、彼に家でのくら
しを日記に書いてくるように書き方から教えて、実
行に移した。書いてきた日記の文章をすぐに、プリ
ントにして、みんなで読み合った。クラスで、悪い
ことばかりしている彼が、みんなからほめられ、一
目置かれるようになり、作文の時間を楽しみにし、
人が変わったように、クラスの中で振る舞うように
なった。ここまでいくのに、3ヶ月近くはかかった。
その後の彼は、紆余曲折はあったが、見違えるよう
に「生きる力」を得て、クラスのみんなをひっぱっ
ていくような存在として、振る舞うようになってい
った。

テストがあったら、その裏に何でも自由に書かせる

 テストの点は、みんながいい点を取れるように工
夫をし、早く終わった分は、自由に裏に何でも書か
せた平井先生の実践を聞き、「ここに神髄がある」
と確信をした。つまり、こどもたちに音楽への自信
を持たせ、教師と信頼関係を作り、「何でも自由に
語れるつながり」を作って、子どもの悩みなどを受
け止め、深いつながりを作っていったのだ。退職の
年に、「平井先生を、全国大会に行かせよう!」と
いう子どもたちの願いは、子どもたち自身の平井先
生に対する信頼以外の何ものでもない。いくらテス
トをやっていい点を取らせようという先生の願いを
無視し、「平井のバカ!」といつも書き続けたやく
ざの親分の娘がいた。「もういい。おれの負けだ。」
と言って、外に行きラーメンを食べさせた。卒業し
て何年かたち、結婚式の招待状が来る。主賓席に座
る平井先生のまわりは、すべて黒装束のその道の人
ばかりだった。そんなおっかない人に囲まれていた
が、「平井先生が一番こわそうに見えた。」と言う
憎まれ口をたたく彼女。それは、本当にそう見えた
にちがいない。いつもいつも反抗して、最後はお手
上げになって、「おれの負けだ!」と言ってラーメ
ンを食べさせてくれた平井先生に、この子こそ、平
井先生を心の底から尊敬していたのだ。だからこそ
結婚式にも招いて、一番の花道を先生に見せたかっ
たのだ。やがてそのラーメンは、国立の街をパレー
ドして先頭を切っていた平井先生の姿を見て、休憩
時間に、平井先生と後輩のパレードに参加した生徒
全員分の何十本の飲み物が届く。なんというほほ笑
ましい、かっての反抗児の精一杯の粋な計らいであ
る。 

忙しいが魂だけは抜かれるな

 「やれ授業時数だ!」「自己申告書だ!」「総合
的時間の年間計画だ!」昔では考えられない子ども
の生活とは直接プラスにならないような仕事のため
に、パソコンとにらめっこ。忙しくなれば、ゆっく
り自分自身をふり返ることもしない。まわりの教師
とも語り合う時間も余裕もない。「政府の多忙化政
策」は、働く人の「労務管理」として、一貫して今
まで現場に襲いかかってきている。昔は、それをは
ねのけるバネが組織としてしっかりしていたので、
もっと人間的な教師生活が出来た。平井先生は、
「スイミーを子どもに教えたことのある人は、自分
自身もスイミーのように、よわい物の側に力を合わ
せてつくべきである。」と強調された。この意味を
参加した教師は、どのように受け止めたのであろう
か。「おかしい?」と異議を唱える教師になるべき
である。私は、こどもたちに「なぜ?」「どうして
?」という疑うことを大切にしてきた。人類の歴史
は、この疑うことからさまざまなことが、飛躍的に
発展してきたのである。

競争の原理は、教育にいらない

 現場はますます忙しくされ、子どもとの距離がは
がされ、教育実践は空回りしている場面が多いので
はないか。かって「教育に競争の原理はいらない!」
遠山啓と言う数学者が言った。教育現場で働いてい
る物は、誰しもこの原理に賛同していた。しかし、
昨今の現場は、この競争原理が当たり前に広がり、
公教育が選択自由化の名の下に、押しつぶされてい
る。全国学力テストは、その象徴である。墨田では、
3週間と経たないうちに、墨田独自のテストを2年
から6年まで実施した。6年生は、その犠牲者であ
る。授業時間が減ると言われながら、2日間もその
ために時間を強いられた。5年生は、東京都のテス
トも予定されている。教育現場が、凶育現場になり
つつある。「王様は、はだかだ!」という純粋な子
どもの目で、異議を唱える教師が少なくなった。み
んなおかしいと思いつつ、仕立屋や家来のように、
自分の地位を守りたい者は、「長いものに巻かれろ
!」と黙って沈黙している。職員会議で、熱っぽく
語り合うことが、どこの学校でも当たり前であった
が、今は、そんな姿は希有になってきた。教師に夢
がなくなり、情熱が亡くなったら、いつでもこの道
を去って行こうと思いながら、歩んできた。

何でも自由に語り合い、文章を書こう

 こどもたちを担任したときに、「何でも自由に言
える教室を作ろう!」と言い合って、歩んできた。
黙ってなかなか発言しない子、友だちの集団の中に
入れない子、家庭の中で何か重たいものを背負って
きている子、様々なこどもたちが、同じクラスの中
でくらしている。私たちは、のびのびと楽しく過ご
している子は、それほど声かけなどしなくても、元
気に成長していく。どちらかと言えば、日が当たら
ないところで、日々暮らしているこどもたちの側に
立って、その子の声を聞いて「生きる力」をつけて
いくべきである。その方法は、子どもとどこかでつ
ながることである。日常声をかけることも大切であ
ろう。しかし、忙しい日々を過ごしていると、その
ことさえも出来ないことも出てくる。平井先生が、
テストの裏に自由に何でも書かせたように、担任教
師は、もっと簡単で、確実につながる方法がある。
それは、全員に日記を持たせて、日々のくらしの中
で心に強く残った出来事を書いて提出してもらうこ
とである。教師は、それらの日記を読んで、赤ペン
で返事を書いて、心のつながりをつけていくことで
ある。忙しければ、1日5~6冊ずつ出させて、そ
の日か次の日に返すことである。こどもたちには、
週に1~2回でもいいから、提出してもらう。その
中で、クラスの全員で読み合った方がいい作品は、
印刷して、読み合う。教師のひと言より、クラスの
みんなで読み合い、その作品の作者に励ましの意見
を出し合うようにする。これを、作文の鑑賞という。
平井先生の文集を読み、教師の考えをこどもたちに
伝え、時には、子どもの作品も読み合う。そのよう
な継続したつながりをつけてきたからこそ、素敵な
出会いを持ち続けてこられたのである。

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