子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

忘れえぬ思い出の詩・その7

忘れえぬ思い出の詩・その7

学校で歌を作ったこと      十二月九日(日)
    墨田区立小梅小学校  二年 女子
「春をあいする人は、心つよき人。」
とみんなで歌った。
○○先生の歌作ったよ。
「先生をあいする人は、おくさんただ一人。」
大声で歌ったよ。
先生は、そのあとすぐに、
「そのとおりです。」だって。 
わたしはふきだしそうになって、
すぐわらってしまった。
みんなもわらった。
先生ふざけてんなあ。
お母さんにもおしえた。
大声でわらった。
お母さんとお父さんの歌作ったよ。
「まさしをあいする人は、さち子ただ一人。」
と歌った。
でも、ぜんぜんはずかしがらないでわらっていた。
ふつうのお母さんだと、はずかしがるのに、
うちのお母さんは、はずかしがらない。
へんなの。
たぶん心の中で、
はずかしがってるんじゃないかな。
  一九八二年 三月作 「こうめの子79号」より
 小梅小で五年目の年に、三・四年を担任したあとに、豊島区で最後に担任した一年生以来、二度目の一年生の担任になった。小学校の教師になったら、一年生の担任になるのが夢であったので、二度目の担任も夢ふくらんで子供達と向き合った。一年生であったが、子ども扱いせず、君達はもう立派な人間なんですから、何でも挑戦してみようと、結構難しいことも要求した。例えば縄跳びが始まれば、徹底的に教え込んだ。長時間跳びといって、一分跳びを全員が出来ることを課題にした。やがて出来る子どもは、二分、三分と伸ばしていき、体育のあるときは、どのくらい長く跳べるかと記録を伸ばしていった。一年生は、体も身軽だし、体重も軽いので、やりだすと記録をどんどんぬりかえていくようになっていった。やがて、五分、七分ときて、十分をこし、十七分までの新記録を作ってしまった。やがてこの記録は、この子たちを二年間担任したあと、再び一・二年の担任をしたときに二十五分という記録を作るまでは破られなかった。
 二重回しもずいぶんやった。実はこの時まで、ぼくは二重回しが出来なかったのである。一年生に教えているうちに、「先生も見本見せて。」とせがまれ、ぜんぜん出来ないことを恥ずかしく思い、何回も練習して、続けて十回くらい出来たときは、偉く感激してしまった。その後子供達と一緒に競争しあい、二十回・三十回と記録を伸ばしていった。その頃、子供達は百回を跳べる子が五・六人出てきた。子どもってすばらしいなと、この時の縄跳びのがんばりを今でも思い出すと「すごい記録だ。」と、驚くと同時に子どもの可能性のすごさに感服したものであった。
 縄跳びや鉄棒は、高学年より低学年の方が、体も軽いので、ずっと簡単に出来る。高学年では、いくらがんばっても、こんなすごい記録は出ないのである。後にも先にも、この四年間の子供達の縄跳びへの執念はすさまじかった。
 さて、最初の詩を書いてくれた大須賀さんであるが、立花小に三年前に緑のおばさんとして、二年間だけ勤めてくださった方が、ともみちゃんのお母さんであった。久しぶりの対面に、ぼくもびっくりするやら感激するやらであった。お母さんの名字が変わっていて、大須賀ではなかった。お母さんは、ぼくが担任しているときの終わり頃に、ゆえあって離婚したのであった。下の弟さんと二人のお子さんをしっかりと育てられて、担任していたときより、ずっと明るい雰囲気になっていた。久しぶりの再会の時も、その事にはいっさい触れなかったが、ともみちゃんが、元気に社会人になっていることを知り、一安心したわけである。「ともみが、榎本先生にだっこされて、縄跳びしたことを、今でも懐かしく話していたんですよ。」と、お母さんからうれしそうに話をされた。「ともみちゃんは、今年いくつになったかな。」と聞いたら、「二十四才になります。」と三年前にお聞きした。
 縄跳びや鉄棒は、高学年より低学年の方が、体も軽いので、ずっと簡単に出来る。高学年では、いくらがんばっても、こんなすごい記録は出ないのである。後にも先にも、この四年間の子供達の縄跳びへの執念はすさまじかった。

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