子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

神野直彦様

神野直彦様

前略
 「『分かち合い』の経済学」の本をわざわざ送っていただきありがとうございました。会う人ごとに、この本の宣伝マンにならさせていただいております。私の所属する墨田の教職員組合の人々にも伝えておきました。『はじける芽』というのは、私の所属している綴方理論研究会が、月に1度出している冊子です。戦後日教組を大切にしてくれた尊敬できる人々がたくさんおります。その中でも、国分一太郎さんという方は、私たち作文教育をこよなく愛するものにとっては、特別の存在です。戦前は、治安維持法で捕まりました。子ども達に事実を綴らせる生活綴り方を北方の教師と組織的に行っていたという理由でした。 
 戦後「新しい綴り方教室」を出し、生活綴り方の復興がさけばれました。無着成恭の『やまびこ学校』を世に出した人も、国分一太郎さんでした。やがて日本作文の会として、戦後大きく全国に広がりました。
 国分一太郎さんの理論と実践を学び、その遺産を今に活かそうとして、立ち上げた会です。国分さんがお元気なときには、ご自宅に集まり、なくなるまで続いた会です。なくなった後は、他の場所に移り、現在に至っております。
 先日そこで、作文の会の常任委員を長らくされた方にお話しをしていただきました。その記録を、今回は、私が担当しました。最後の所に、今回送られた本のことを、私とのことも含めて紹介させていただきました。この冊子は、会員が、40人近くいる会です。大阪・沖縄・山形などにも会員がおります。毎年一度山形と東京でそれぞれ研究会をもっており、全国より50人前後の仲間が集まってきております。今年も7月に山形、11月に東京で会を開く予定です。機会があれば、東京の池袋ですので、ぜひお話しをしていただくと、新しい仲間も増えるのではないかと夢を広げております。
 色々と勝手なことを書きました。教師生活も、今年が最後になりました。子ども達にひとまとまりの文章を書かせる作文教育を続けられる幸せを感じております。お礼の返事が大変遅くなり失礼しました。新たなご活躍を心より祈りながら、筆を置きます。
 2010.5.18(水)

追伸
 2週間ほど前に、岩波書店より、著書贈呈の本が我が家に届いた。小中学校の同級生であり、墨田教組の教研集会にも来て講演してくれた。「人間回復の経済学」(岩波新書)を出版した頃である。また、私の退職最後の授業(社会科)にも講師として来て下さり、良い思い出になった。その後、「教育再生の条件」(岩波書店)で、経済も教育も繋がっていると改めて感じた。「人間回復の経済学」の中でも、教育の大切さは、強調されていた。あとがきに私の名前など入れて紹介してくれた。
『構造改革を推進させてきた日本では、社会保障も大幅に削られ、自己責任の名のもとに、格差や貧困が広がっています。しかも、競争による成長を目指して構造改革を進めてきたはずなのに、経済も大幅に低迷し、他国との競争力も著しく衰退させています。そうした日本において、他者の「痛み」を社会で引き受け、また一人の「幸せ」を社会の「幸せ」として「分かち合う」、そうした発想がいま必要だと本書は主張します。スウェーデンにおける積極的労働市場政策など、他国の政策、データなどと比較しながら、日本の閉塞状況の要因を探り、「分かち合い」による新しい経済システムを具体的に提案します。未来がより人間的なものになるために、いま何をすべきか。ぜひ多くの方に読んでいただければと思います。』と紹介されている。「人間回復の経済学」でも、感銘を受けたが、その本に続くシリーズ物として書かれている気がする。格差・貧困が広がり、若者も年配者も競争の原理に、打ちひしがれている今こそ読んで、何が問題かを明らかにしてくれる。教育現場も、心を奪われた教師が、毎日夜遅くまで仕事の追いまくられている今だからこそ。読んでいただきたいので、推薦する。

前略
 日教組の教研集会で、記念講演をされると言うことが、伝わってきました。私にとっても、この研究会は、大変大切な思い出多い研究会です。私が、最初に参加したのは、1972年の山梨県の第21次教研集会でした。国語(現在は、日本語)分科会に、報告者として、東京代表で参加しました。25才の教師3年目の年でした。そこで、多くの全国の仲間の実践に刺激をうけて、その後の生き方をたしかなものにしてくれました。助言者(今は、共同研究者)は、国分一太郎先生などが、活躍しておりました。国分先生は、第1次の日光の教研集会(1951年)から、1985年の北海道の大会の分科会の席で倒れられるまで、連続で共同研究者でした。前の年の1984年の兵庫県の神戸での教研集会で記念講演をされています。私は、そこにも出かけました。
 最初の参加から、延べ10回くらい傍聴や報告者で参加してきました。2001年第50次の教研集会(東京)では、久しぶりに東京代表で、日本語分科会に報告することが出来ました。そのレポートに学ぶと言うことで、「戦争体験の聞き書き」が選ばれて、「日本の教育」第50集に載せていだきました。その後、退職する年の2006年に、現役最後の報告も出来ました。このように、私にとっては、多くの刺激を受けて、関わることが出来る研究会でした。
 記念講演者の名前には、日本の教育をリードして来た方々が、たくさんおられます。大内兵衛・家永三郎・南原繁・湯川秀樹・木下順二・丸岡秀子・国分一太郎と次々に浮かんできます。もうこの方々は、この世の人ではありません。国分先生も、今年生誕100年になります。そういう方々の仲間に、神野さんが講演を引き受けて下さったことが、本当にうれしいです。もっと早く、日教組は、推薦すべきだったのです。私も、この3月で退職です。しばらく参加してなかったので、最後の思い出にあなたの講演を聴きに参ります。
 60才まで、日教組の組合員であったことを誇りに思っております。その後の5年間、墨田教組の組合員で、最後まで全うできたことに感謝しています。

追伸
 私の母も、この教研集会に何度か報告者や司会者などで参加しています。この頃の研究会は、今より1日多く4日間くらい開いていたような気がします。第6次金沢大会(1957年)第8次別府大会(1959年)などにでかけています。私が小学校6年から中学生の頃になります。母は、その頃浦和市教組の執行委員もしておりました。日教組の学力テスト反対闘争の頃です。闘争のときには毎晩遅く、私達兄弟は、祖母と一緒に早く寝てしまったことを覚えております。私の母たちの時代は、日教組が全国の仲間と連帯して闘っていた気がします。1974年4月の日教組全国統一闘争は、1日ストが打ち抜かれました。あの闘いは、本当にすばらしかったです。その指導をされた槇枝元文元委員長が、昨年亡くなりました。
 毎週1かい、有料老人ホームにいる母のところに出かけております。さっそくこの話は、伝えるつもりです。「人間回復の経済学」や「教育再生の条件」の本を、いっしょうけんめい読んでいたので、多分びっくりするでしょう。今年91才になる母も、大部体力は落ちましたが、まだ「生きる力」を備えて暮らしております。色々雑文を書きました。どうぞ、全国の教師に「分かち合い」の経済学の理念をお話下さい。ご健闘を祈ります。うれしくて、お手紙にしました。

 2011年 1月吉日
      

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