子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

綴方理論研究会 5月例会のご案内(2016年)

綴方理論研究会 5月例会のご案内(2016年)

と き 2015年5月28日(土) 午後1時より 

ところ  駒場住区センター
         目黒区駒場一丁目22番4号
         TEL:03-3469-2613
*末尾に、地図あり。


◇講 義 「とつおいつ82」 (乙部武志さん)
◇提 案 国分一太郎・学芸大学特別講義
「国民学校令と国語・綴り方教育」 ―第8回― (田中定幸さん)

☆報告:「とつおいつ81」
◆講義の最初に、資料が配られました。『夫も教師 妻も教師』(村井実・丸岡秀子編、明治図書、1962年刊)の中から、「批判し合い はげまし合い―考えの合う仲のよい人たちを羨んだこともあったが―」という表題がつけられている部分のコピー。そして、この部分を執筆した「夫」の名は、「山田賢一」(山形県東置賜郡那賀川小学校)、「妻」の方は、「山田とき」(山形県東置賜郡沖郷小学校)。◆ずっと話そうと思っていたことの一つ、と。人物評伝というもの(子供向けのものでは「伝記」)、それを記述していくこと・書いていくことの難しさをまず一番に取り上げたい、というお話からスタート。◆その一例として、『遠い「山びこ」 無着成恭と教え子たちの四十年』の紹介がありました。「山びこ学校」の43人の教え子たちと無着成恭の40年後を追ったものだそうですが、筆者の佐野眞一、足で稼ぐというのでしょうか、すごい難儀をしながら取材活動を続けたことが紹介されました。◆石川啄木の父親、一禎が乙部先生の故郷、青森県上北郡野辺地町にある「常光寺」に一時滞在していたことは前回の話の中に出てきていましたが、その常光寺に関して、さらに耳寄りな話。その常光寺の息子さんとは小、中学校時代同じ学校に通っていて、レコードを貸したり借りたりするような仲。常光寺には当時の乙部少年、しょっちゅう出入りしていたのだそうです。◆その息子さん、後に先代から引き継ぎ、住職になるのですが(もう亡くなられたとのことです)、啄木の事情などもっと早くに分かっていれば、啄木に関する資料など集めることができたのかも知れないと話していました。そんなことを考えていたところに、やはり前回紹介がありましたが、ドナルド・キーンの新聞記事(石川啄木の評伝が完成したという話:東京新聞)を発見。この評伝には、啄木だけでなく、啄木の父親、一禎のことなどもたくさん出てくるようで、「我が故郷」でも何か出ていないかと探してみたところ、『啄木の父一禎と野辺地町』(高松鉄嗣郎・著)というのがあり、その本を1冊入手。筆者の、この高松鉄嗣郎氏、実は乙部先生のお兄さんと同窓・同学年だった方だそう。この方しょっちゅうご実家を訪ねてはお兄さんと酒を飲み、時に酔いつぶれて「うちに泊まる」ことが何度もあったとのこと(姪御さんに電話で聞いてみたところ、そういう話だったそうです)。◆高松鉄嗣郎氏は、郷土史家としては有名な方のようで、この本を読んでいくと今まであまり知らなかったようなことまで、いっぱい出てくるそうです。(1)その一、一禎は、短歌に関しては啄木に優るくらい優秀な父親だったらしいこと。(2)その二、初めて知ったこと。「啄木の父 石川一禎 終焉の地」という標柱の写真がこの本に掲載されており、その場所が高知になっていること。(3)その三、一禎は岩手の曹洞宗のお寺の住職をしていたが、寺の山林を売り払い着服したみたいなことがあって、寺を追われている。しかし、それはどうも私腹を肥やすとかのためではないらしい。どういうことなのか、その辺の真相をつかむのは中々難しいようである、といったこと。◆国分一太郎は、『宮沢賢治』という本を出しておきながら、「本当は石川啄木について先に書いておくべきだった」のような内容のことを話していた。ナゼなのか。『宮沢賢治』(福村書店・1952年初版)を読んでいくと、評伝というものは難しいものだと思わせるふしがいっぱいあるとして、この書の「まえがき」の書き方に言及。宮澤賢治は、農業政策についても考える人間であり、肥料などについても村の人たちに指導する立場にあったけれども、「農業」に関して、国分一太郎の立場からは、こういうところに踏み込んでもらいたかった、というようなことがかなりたくさんあったのではないか、不足を感じていたのではないか。そこから、石川啄木を書いておくべきだったという言い方が出てきているのではないかと思う、とのことでした。以下、『宮沢賢治』の「まえがき」の資料です。

 宮澤賢治の作品集や、彼の一生をかいた本はかぞえきれないほど出ております。みなさんが読めるように作ったものもたくさんあります。それで、わたくしは、彼の生いたちから死ぬまでのことを、こまごまとかくようなことはやめようとおもいます。それよりは、彼の文学の読みかた、彼の思想についての考えかたを、みなさんといっしょに勉強するような本をつくろうと思います。
 さいわいに、わたくしは、宮澤賢治と同じ東北の人間であり、また貧しい村の子どもの教師をしたこともありますので、賢治がどんなところにいて、文学をかき、農民のためのしごとをしたかが、よくわかります。だから、そこを出発点としてお話をすすめていきたいと思います。
 そのために、まず、彼の 「グスコー・ブドリの伝記」という童話をよく読んでみて、そこから、さまざまな問題をだし、そのひとつひとつについて考えていきたいとおもいます。
 そのなかで、わたくしは、宮澤賢治のすぐれているところと、宮澤賢治がおくれていたところを、はっきりさぐりだすつもりです。
 そうすると、わたくしのこの本は、いままでになかったような風がわりな「宮澤賢治」の本になるかもしれません。そして、なかには、まちがっているといわれるところも出てくるかもしれません。それは、わたくしの勉強のたりないところでしょうから、これからも、よく勉強するつもりです。けれども、わたくしは、わたくしがこの本でやってみるような宮澤賢治についての考えかたが、そろそろ、みなさんのところにとどけられてもよいのではないかという気がします。もし、そうしなければ、宮澤賢治が、わたしたちにのこしてくれたものと、のこしてくれなかったものとが、はっきりしないからです。それよりも、この本をだしてくださる福村書店で、前からだしている「中学生歴史文庫」をよんで開かれたようなみなさんの歴史的な目が、すんだ目が、「うん」と承知してくれないのではないかーと思われるからです。
 ある文学者は、宮澤賢治をほんとうに正しく研究することはできないといっています。それに役だつ材料が少ないからだそうです。
 でも、わたくしは、これからみなさんといっしょに、それを、すこしでもやってみようとおもいます。 
著者  『宮澤賢治』(国分一太郎著 国語と文学の教室 福村書店)より。

◆『おじいさんの出場』について、どのような考えのもとに、この作品が書かれたのか分析がありました。『おじいさんの出場』は、ある意味で国分一太郎の大事なメッセージが込められた「書き置き」みたいな感じがあり、そして、最も関心のあった農村の事情、農業の事情にふれた記念すべき作なのではないかとのことでした。*山形における「青物」の話など、詳しくあったのですが、私にはまとめきれず、割愛いたします。お話の中で紹介のあった「「あとがき」は、以下の通りです。

 この読み物を書くについては、長いあいだにわたって、つぎのかたから、たくさんのことをお聞きしたり、また、おせわになったりしました。
 それをじゆうぶんにはいかしきれなかったことのおわびもこめて、ここに、あつくお礼もうしあげます。
・いまは死んだ、国分清七さんと、その妻トメさん。そのむすこの国分清一さん (そのとうに戦死したにいさんは清一郎氏でした。)
・いま山形県南陽市に住んでいて、高等菌類・マツダケにかんする科学的、実証的な研究で、大きな業績をもっておられる山田賢一氏と、その夫人ときさん。
・キノコには関係がないが、山形県村山市大久保で父親、勘三郎氏のつくりだした『あらきそば』を、その仕事のうえでのちえをうけつぎながら、さらに、さらに、うまいものにしつつある芦野又三さんとそのおくさん。
・青年時代からの友だちで、いまは、わたしたちのうまれた町(現東根市)で、文化財保護委員をしている、ふるさとを愛する心のつよい、『奥の細道』研究家の、東海林隆氏。
・職業がら、としよりからの聞きとりがじょうずで、それを、わたくしに、なにかとよく教えてくれる、これも父親のあとをついで金銀細工を業とする、わたくしの妹マサの夫君である早坂次郎さん。
・それに、めんどうなことばかりしでかし、いろいろな目にあうわたくしを、なにくれといたわってくれ、死んだ父母のめんどうを最後までみてくれ、また、東北、世間でのできごとなら、行商をしているせいで、よく知っていて、大小となくかたってくれ、町内のことなら、どこのカキの木が一本かれたことも、どこのとしよりが、八十一歳で死んだことも、なにかと知らせてよこしてくれる、よい伝統愛好家の、実弟、正三郎くんとその妻君ハルヨさん。
 どうもありがとうございました。(一九七二年 五月 国分一太郎)            
(『おじいさんの出場』国分一太郎著 北島新平絵 あすなろ書房)より。

◆「あとがき」に出ている山田賢一氏に関連して、講義の最初に配られた資料、『夫も教師 妻も教師』の解説がありました。乙部先生自身、山田ときさんについてはよく知ってはいたものの、ご主人の賢一氏については知らなかったということと、さらには、長女和子さんの下に、二人の妹さんがいたことなども初耳で、たいへん新鮮な気持ちでこれを読んだとのこと。このように、人間関係やさまざまな事情など、たくさん知らないことがあり、人物評伝なども、いろいろな方向からみていかないと難しいところがあるのが分かりますと話がありました。◆話の最後に、乙部先生から、山田ときさんの本、『路ひとすじ』(正・続)2冊の紹介がありました。田中定幸さんが、この本(正の方)の中身を詳しく紹介してくれました。幼子の和子さんを背負って取り調べを受けに行くという話の中身でしたが、その辺、テープ起こしをしているうちに、もしやと思って田中さんのブログの『ツルピカ田中定幸先生』を調べてみたら、「ビンゴ!」でした。『路ひとすじ』の紹介が載っていました。2016年3月17日、「路ひとすじ」山田ときさんを偲ぶ-1、3月19日 山田ときさんを偲ぶ-2「辞令をもらって」、4月29日 偲ぶ-3「みどり児と牛乳びん」、4月30日 偲ぶ-4「子どもと生きようとして」、5月1日 偲ぶ-5「子どもと生きようとして②」、5月2日 偲ぶ-6「流されて」、5月4日 偲ぶ-7「新入のころ」、5月6日 偲ぶ-8「新入のころ②」、5月8日 偲ぶ-9「新入のころ③」、5月16日 偲ぶ-10「新入のころ④」等々。連載はまだどんどん続くようで楽しみです。2箇所(一部分ですが)引用しておきます。以下は、田中さんが、当日話していた部分です。長いので、途中で切ってありますので、詳しくはブログを。

 「みどり児と牛乳びん」
 私は一女の母となり、日増しに激しくなる戦のなかに生きていた。昭和十七年一月、警察からの呼出し状がきた。国分先生の治安維持法違反事件に関する証人という名義の呼び出しだった。私は長女の和子をおんぶしていった。すぐに用はすむという話だったので、もちろん、ひる飯の準備も、子どものおむつ、牛乳も持たなかった。産後休養が終わり、教壇に立つようになると、だんだん乳が不足して、混合栄養で育てていた。ところが山形の特高からは係のものがまだきていなくて、冷たい部屋で何時間も待たされた。
 和子は背なかでぐずついて泣きだす。私は子守うたを歌いながら、部屋のなかをぐるぐるとまわり、なんとかして眠らせようとあやしたが、どうしても眠らない。おむつもよごれたのだったろう。いよいよ係の人がきたらしく、小使が火を持ってきた。
「じや、はじめよう」と、書類をパサッと机の上になげて、あぐらをかいた。
 その時はひる近くでなにをきかされたのか印象になく、「このへんでひるにして、あとは午後にしよう」ということばだけを記憶している。とにかく、二こと三こと質問ですぐにひるになってしまったのだった。ひる飯のないことを話すと、不心得だと叱りつけられたが、署の人たちと何か話し合ってきたらしく、ひる飯をたべに帰された。
 私は急いで帰り、すぐにおむつをとりかえて、牛乳を飲ませて、ひるをすませ、おむつと牛乳びんを持参してまたすぐ出向いた。……(以下、略)。
(2016年4月29日 『ツルピカ田中定幸先生』より。山田ときさんを偲ぶ-3)より。

 …… 次回は、『路ひとすじ』の中から、いくつか紹介させていただく予定。
 なお、山田ときさんの著書、『路ひとすじ』『教室の記録』(国分一太郎との共著)は、「日色文庫」で、借りることができるはずである。
  日色章 (綴方理論研究会・国分一太郎「教育」と「文学」研究会)
  連絡先 286-0201 千葉県富里市日吉台5-7-4 
                            電話 0476-92-3459
(2016年3月17日 「路ひとすじ」山田ときさんを偲ぶ-1)より。

◆日色さんの名前が出てきたところで、この日のメインの提案に入りました。

☆報告2:増田俊昭さんの授業のVTR鑑賞・検討(日色 章さん)
◆日色さんが地元の施設から借り出して、重いのを我慢して持ってきたプロジェクター。
残念なことに、何が原因か音声が大きくならずもったいなかったです。◆前段に、東京作文協議会での講演?のVTR。講演者は村山士郎。38分近く講演を聞き、途中で切りましたが、みんな、何を語っているか辛抱強く聞いているので、びっくりしました。短気で、決めつけの激しい私には、とても我慢がなりませんでした。補聴器をつけていても聞き取れなかったことと、聞きたいという気もなかったもので、この人の話、聞こえなくて幸いでしたけれども、今井成司さん、何で村山士郎などを講演者に選んだのでしょうか。私には分かりません。◆後半3月4日、大阪で実施された「生活綴り方授業研究会」のVTRを鑑賞。日色さん、田中さんが参加で、今後もいろいろな情報が入ると思います。このクラスの児童が書いた『あざ』という作品をみんなで読み合う、2年生の「綴り方の勉強」でした。VTRを見ながら、いろいろな意見が出たのですが、すみません、時間切れ。割愛します。この授業に関する資料等は、『つづり方フォーラム・21』に詳しく載っていますので、興味のある方は、
『つづり方フォーラム・21』
http://www.tudurikata-forum21.jp/

にアクセスを。
                              (文責:工藤 哲)

新しい人、大歓迎です。 


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(分からなくなった場合は、事務局:榎本 090-4920-7113へTELを)

◆駒場住区センターへの道順。
 まだ、2度目なので京王井の頭線・駒場東大前駅下車・出口は、渋谷から来ると、最後尾の出口。12時45分に集合。


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