子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

1月7日(水)抵抗の思想

1月7日(水)抵抗の思想

抵抗する小石を貫く

2015年1月7日(水)東京新聞朝刊
 「島田美成(びせい) 自画像 1941年」
 東京芸術大美術館の収蔵品目録から、記者は一枚の絵を見つけた。作者の名は、戦時中の陸軍内の「反戦活動」をまとめた資料に、こう記されている。
 「描いた絵に共産主義の思想あり。1942年6月、憲兵隊に逮捕される」太平洋戦争が始まる11カ月前の41年1月から、北海道の美術教員と教え子20人以上が治安維持法違反容疑で次々と逮捕された。生活をありのままに描く指導法は「共産主義を広める」という理由だった。
 旭川中から東京美術学校(現東京芸大)に進んだ島田は唯一、徴兵後に逮捕される。当時25歳。戦後は「信州大で教壇に立った」ということしか分からない。
 逮捕者の絵の多くは何が描かれているかは関係なく、証拠品として没収された。自画像は人知れず眠っていた「歴史の証言者」。美術館から取り寄せた画像とともに、長野で足取りをたどった。
 島田は、信州大で83年まで教え、98年に亡くなっていた。捜し当てた教え子たちは、事件について「聞いたことがない」と首をひねった。中学校教諭となった女性は「苦労した部分も、苦労しなかったようにさらっと描くのが大事だよ」と教わった。「そんな苦労をされていたとすれば、驚きです」
 信州大を通じ、連絡が取れた長男の進(66)=東京都町田市=も過去を知らなかったが、自画像に目を留めると、うなずいた。「おやじに間違いない」
 酒好きで自由気ままだった父。昭和の大投手スタルヒンと同じ中学とは聞いたが、知る限り、郷里の北海道に帰ったことは一度もない。取材後、進は島田の妹に電話をかけ真相を知る。「軍法会議で裁かれ、つらい思いをしていた」と。
 なぜ、周囲に過去を明かさなかったのか。自画像の若い父を見つめ、進はつぶやく。「本人に聞いてみないと分からないですね」
 後に「生活図画事件」と呼ばれた言論弾圧の全体像が明るみに出るのは、元号が平成になってから。逮捕された青年たちの多くは偏見をおそれ、島田と同じく、長く沈黙を貫いた。
 菱谷良一(93)=旭川市=もその一人。戦後はガス会社の営業としてばりばり働き、事件のことは忘れようとした。最近は積極的に全国に出向いて話をする。昨年末に施行された特定秘密保護法に、戦前の悪法の影がちらつくからだ。
 当時、19歳の青年は、共産主義の意味さえ知らないのに逮捕され、氷点下三〇度の監獄に放り込まれた。アルバイトの金をつぎ込んだ大好きな本も全部、没収された。
 映画や音楽が自由に楽しめる戦後の「いい世の中」をかみしめてきた。だからそこにかかる黒雲は気にかかる。「年寄りが訴えても何にもならんだろうけど。抵抗する小石でいたいんだ」 (文中敬称略、福田真悟)

この文章を読みながら、東京新聞もやはり取り上げてくれたかと、ホッとしたのである。おそらく、この記事のネタは、『獄中メモは問う』-作文教育がつみにされた時代-(佐竹直子著)北海道新聞社ではないかと勝手に考えている。昨年、佐竹さんの講演は、2度ほど聞いている。北海道の綴方教育連盟に関わった人達が、治安維持法で逮捕され、人生を台無しにされた事件を70年経った昨年、北海道新聞にかなりにページを割いて、連載された。今回その連載をさらに膨らませて、上記の本として完成した。昨年の暮れに、私宛にも、この本のことを、広めてほしいとパンフレット入りで送られてきたのである。昨日は、ニュース23で取り上げていた。こういうことが、これからおこりうる予感もするのである。暮れのうちに、本屋に行き、注文を5冊ほどし、本日手元に届いたのである。多くの人達に読んで欲しい本である。

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