子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

12月12日(水)人生の贈りもの その3

12月12日(水)人生の贈りもの その3

(人生の贈りもの)経済学者・政府税制調査会長代理、神野直彦

3 バリケードのなかで読んだレーニン

――幼稚園から中学時代まで、埼玉大学教育学部の付属校で過ごしました
 小学生の頃は病弱でよく風邪をひき、へんとうが腫れて熱を出しました。4年のときは長期欠席をして、両親を心配させました。本が好きで、芥川龍之介は全部読みました。物理学者ジョージ・ガモフの本や手塚治虫の「ジャングル大帝」も気に入っていました。学校の先生に「本には違うことが書いてある」と挑んだり、ませた知識をひれきして「高校生のような学問をしなくていい。今やるべきことを確実に」と怒られたりしていました。
 中学では寝ずにひたすら本を読んでいました。背が伸びなかったのは、そのせいかもしれません。友人によると、模擬試験の成績が県でトップになったこともあったようですが、よく覚えていません。
――1961年に東京教育大付属高校(いまの筑波大付属高)に入学します
 成績が良かったので、中学の先生に「東京教育大付属と日比谷高を受けなさい」と勧められました。でも、両方落ちたら大変だし、自宅がある浦和から通うとなると電車のラッシュもすごい。担任との面談で「嫌です」と断ったら、「何を弱気なことを言っているんです」と叱られました。
 東京教育大付属に入学してみると、何をやってもいい自由な雰囲気だった。学校の勉強そっちのけで、同級生とニーチェやキルケゴール、カフカらの、わけの分からない哲学書などをたくさん読みました。
――一浪して、65年に東大経済学部へ。68年からは東大闘争を経験しました
 社会哲学か経済学みたいなものを勉強したくて、経済学部を選びました。大学ではセクト(学生運動の派閥)が学生を取り合っていたけど、僕は入らなかった。サルトルやカミュに傾倒し、サルトルなら東大闘争でどう行動したかと考えました。デモも参加しましたが、過激なデモには行かなかった。体も弱いし。僕より「右」の学生が、僕を追い越して「左」になっていった時代でした。
――4年生のとき、学生が大学内にバリケードを築いて立てこもりました
 バリケードで封鎖された学内で、ゼミの加藤三郎先生の指導のもと、レーニンの「国家と革命」といった古典を読み込みました。一番勉強した時期です。
――大学時代、女性とのお付き合いは
 女性にもてなかったのが人生の強みですね。へんにもてたりすると人生に失敗する。
 大学時代に憧れたのは、女優の浜美枝さん。20年近く前、僕の本を読んで感動したので出演してほしいと、浜さんからラジオの出演依頼がありました。思った通り、すてきな人でした。僕の考えに近くて、自然を大切にして、スローライフに生きるという人間観を持っていました。僕の本に付箋(ふせん)をつけてくれていたのには感激しました。(聞き手・西前輝夫)

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