子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

2月11日(火)梅干しの歌

2月11日(火)梅干しの歌

今朝の朝日新聞の天声人語に次のような文がのっていた。 
 「『うめぼしの歌』なるものを去年の小欄で紹介したら、懐かしむ御年配からずいぶん便りをいただいた。花が咲き、実がなって漬け込まれ、保存食として役に立つまでをユーモラスにつづる歌詞だ。その梅干しが、少し胸を張っているかもしれない▼災害に備えた家庭の食料備蓄リストを農水省が作り、先ごろ公表した。主食、主菜、副菜、その他に分けたうち、梅干しは初めは「その他」で影が薄かった。それが副菜の最上位に昇格したという▼絵つきで紹介される優遇には、主産地の和歌山県議らの働きかけがあったらしい。ともあれ、おかゆに1粒落としたり、おにぎりにしのばせたり、活躍シーンは多そうだ。ささやかな話題からでも、備蓄食への関心が高まるのは悪いことではない▼関心の高さでいえば、内閣府の調査結果も悪くはない。災害について「家族や身近な人と話し合ったことがある」という人は6割を超え、10年前に比べて倍増していた。自ら備える「自助」を重く見る人も増えていた▼しかし、とも思う。東日本大震災の直後なら、もろもろの防災意識はより高かったろう。災害への備えはマラソンにも似て、走りつつ1人また1人と抜け落ちて、時間の経過とともに細っていく▼震災から今日で2年11カ月、もうひと月で3年が巡る。〈双子なら同じ死顔(しにがお)桃の花〉。高校教師を務める中で震災に遭った照井翠(みどり)さんの句だ。ともに涙した無念、尊い教訓。忘れてならないことを忘れてはいないか、自問してみる。」

その梅干しの歌とは

 二月三月花ざかり、うぐひす鳴いた春の日のたのしい時もゆめのうち。五月六月実がなれば、枝からふるひおとされて、きんじょの町へ持出され、何升何合はかり売。もとよりすっぱいこのからだ、しほにつかってからくなり、しそにそまって赤くなり、七月八月あついころ、三日三ばんの土用ぼし、思へばつらいことばかり、それもよのため、人のため。しわはよってもわかい気で、小さい君らのなかま入、うんどう会にもついて行く。ましていくさのその時は、なくてはならぬこのわたし。

明日は国分一太郎さんの命日

 わたしがこのリズムのある詩を覚えたのは、我が恩師国分一太郎先生が生前、丸暗記したこの歌をすらすら我々の前でそらんじてくれた。戦争中は、このように「ましていくさのその時は、なくてはならぬこのわたし。」と、子どもたちにも覚えさせたものだ。軍国主義は、ここまで徹底していたのですよと我々に、教えてくださった。今朝、乙部さんからメールが届いた。あすが国分先生が亡くなった日であるということを、ちゃんと覚えていて、連絡してくださったのである。乙部さんは、天声人語のこの文をおそらく読んだのだろう。
 来年は、没後30年になる。国分さんが大事にしていた生活綴り方教育をこれからも継承していこうという思いにかられた。

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