子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

2月2日(日)お礼の手紙

2月2日(日)お礼の手紙

 暑くなったり、寒くなったりの毎日ですが、お元気になられたというお手紙を読み、ほっとしております。さて、埼玉県民ですが、大事な東京の知事選真っ只中です。
 東京都民ではないのですが、やはり気になります。反原発の候補者が、一本化されていれば、いいのですが、本当に困ったものです。何で今さら細川さんが立候補するの?と言った心境です。それも、新自由主義者の小泉純一郎が、応援者とは、あきれるばかりです。今の派遣労働者を作った張本人が、また出てくるなんて考えられません。
 さて、この度は、「人間」という研究物を送ってくださり、ありがとうございました。「尖閣列島」問題は、今の日本と中国や韓国との国際問題になっている一番の課題だからです。あの、石原発言から始まり、日本政府が尖閣諸島の国有化を決定してしまったことから、問題が決定的になりました。そんな程度の知識きり持っていなかった私にとって、この研究物はたくさんのことを教えてくれました。
 特に「独白『尖閣』問題」の労作には、ただただ頭が下がるばかりです。その中でも、日本共産党の主張に対する、疑問には、初めて知ることばかりでした。「わたしたちの沖縄」(1968年。沖縄教職員組合発行)の中に尖閣諸島の記載がないことの事実。志位委員長の発言「尖閣を日本に編入したのは、1895年1月なんですけれども、その時は、どの国に実効支配も及んでいないと言うことを、当時の明治政府がかなり慎重にたしかめたうえで編入の手続きをしているんですね・・・。」の見解の中で「かなり」という言葉に正体を見抜く感性にびっくりです。さらに、その「かなり」についてこだわり続けるところが、さすがです。「中国の主張の一番の弱点は、1970年まで75年間にわたって、日本政府に抗議してこなかった・・・。」の部分を追求しています。南京大虐殺・三光作戦を語らなくても、色川大吉さんが指摘した「人の皮」という詩を読むと、日本軍国主義者の侵略の事実がはっきりわかりますの所、全く同感です。
 尖閣領有の宣言は、日清戦争後の1895年ではなく、1952年の第2次世界大戦後のことであるの部分は、「日本外交文書第23巻」に公表されているところまで読み、よくここまで調べ抜いたものだと、ここでも感心するばかりです。「標抗建設」として沖縄県に指令したのが、1969年にされたと言う事実から、「わたしたちの沖縄」(1968年。沖縄教職員組合発行)は、その1年前の発行だから、触れてないことも明らかになります。
 最後にまとめられておられますが、日本固有の国土などという論は成り立ちません。やはり、日清戦争によって、密かに略奪したものなのであるというところではっきり納得しました。
 日中国交回復の時に、中国側の鄧小平さんが、「棚上げ論」を出し、何十年後かの人々に解決してもらうというやり方に全く賛同します。それを、裏切ったのは、日本政府であり、中国が怒るのももっともなことであると考えます。 なぜ今、日本共産党は、安倍総理などと一緒の見解を出すのでしょうか。本当に岩本さんと同じ気持ちになります。
 一番気になることは、安倍総理の靖国神社参拝に対して、賛成という人々が、反対の人々に迫ってきていることです。まだ、反対の方が、わずかですが多いですが、危機感を感じます。日本のマスコミも、ますます悪くなっています。我が家は、朝日新聞と東京新聞を購読していますが、そろそろ朝日もやめようかと感じてます。今や、東京新聞が一番がんばっています。反原発も、一番鮮明に発言しています。
 また、テレビは、本当に困ったものです。まだ、ラジオの方が、自由に発言している人が多いです。
 さて、来年は、国分一太郎先生が亡くなってから30年になります。会としては、地元山形と相談し、没後30年の記念集会をと今から考えております。とりあえず、今年はそれをつなぐ会として、3月中に山形の東根にいき、相談してくるつもりです。
 日本作文の会が、本当に悲しい団体になりつつあります。しかし、国分先生の思想と理論は、反映したいと、昨年の埼玉の全国大会にも参加してきました。岩本さんもご存知の貝田久さんが、事務局になり全国大会を必死に盛り上げていたからです。残念ながら、目標の1000人に満たず、厳しい大会でした。Aが常任をやめ、1年が経ちました。岩本さんが、日本作文の会の全国委員合宿で「系統案指導」をつぶそうとするAに鋭く反論し、意見を述べたりしたのが、今になって「本物の反撃」だったんだなあと、鋭い感性に頭が下がります。
 私のような者に、労作の研究物を送っていただき、心から感謝いたします。どうぞ、先生お体をお大事にお過ごしください。いつまでも、お元気に過ごされていることが、私ども綴り方教育を大切にしていた後輩として、本当に心強いのです。
 先日、本間繁輝さんの「しのぶ会」の進行役を奥様に頼まれて行ってきました。奈良の谷山清さんからは、長い巻紙のお手紙が届きました。また、山形の山田ときさんからは、達筆な文章で、お別れのお手紙も届きました。ときさんは、99才になられたとのことです。中国の上海大学の教え子さん達からも、たくさんの長文のお手紙が届きました。100人近くの人たちが集まりました。
 雑ぱくな感想で失礼します。

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