子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

2月14日 乙部武志先生お世話になりました

2月14日 乙部武志先生お世話になりました

乙部武志さんお世話になりました
                        榎本 豊
 日本作文の会の常任委員を長くされていた乙部武志さんが、2022年4月11日亡くなられまし9393歳、老衰とのことです。
 私が、最初に乙部さんと出会ったのは、70年代の前半です。教育雑誌が、当時いくつも出版されていて、教育現場での問題を取り上げた特集が組まれていました。「望星」という雑誌もその中の一つでした。「若い教師の教育実践」というタイトルで、東京中心に数人の教師が呼ばれて座談会が開かれました。教師四年目の私も、その会に呼ばれました。その時の司会が乙部さんでした。これが縁となり、私の所属する豊島作文の会にお招きしたり、国分一太郎先生の自宅で開かれる綴方理論研究会での、乙部さんのことばに注目するようになりました。
 その頃の日本作文の会の常任委員は、当時5社あった国語教科書の、「光村」以外は、編集委員として誰かが入っておりました。乙部さんは、亀村五郎さんと一緒に「学校図書」に長く関わり、生活綴方を授業の中でどう実践したらよいかを示してくれました。そのほかにも、NHKや民間の朝のテレビ番組に、教育特集があると、招かれ、発言されていたことは、私たちのサークルの人に大きな力となりました。
 国分先生が亡くなられた時には、乙部さんが中心となって、ふるさと東根市の教育委員会の方々と相談し、遺品を整理し、東根市に寄贈する仕事に携わりました。やがてそれらの品が、「東の杜」の「国分一太郎資料展示室」に並べられ、大切に保存されています。
 綴方理論研究会は、乙部先生の自宅で継続され、会の最初は、乙部さんの講義が30分ほどあり、その後は、その日のテーマを討論する形で進められました。ここで私は、たくさんのことを学ばせていただきました。勉強会が終わると、おいしいお酒を準備して、参加者にふるまって下さいました。まだ奥様も元気だったので、いつもさりげなく我々を歓待して下さいました。ここ数年は、自宅に近いコミュニティーセンターに移り、学習会が続けられました。
 綴方理論研究会は、国分先生が亡くなられた後、先生のふるさと東根で教え子さん達が中心となって一年に一回開かれる「こぶし忌」とも交流がありました。会が開かれる前日には、国分先生が眠るお墓の前で、墓前祭が行われました。その時の国分さんにつながるお話は、いつも乙部さんの名調子で始められました。また、会場を移した宿での交流会の司会も乙部さんが努めて下さいました。研究会の講演者は、常任委員だった本間繁樹さんと相談し、林光、太田堯、鶴見和子、山住正巳、日高六郎、田宮輝夫、佐高信〈敬称略〉など、国分さんと縁の深い人選をして下さり、その人脈の広さにも、いつも驚かされておりました。
「こぶし忌」のあとを引き継いで、東京でも、国分先生の思想と理論を引き継いでいこうと、国分一太郎「教育」と「文学」研究会を立ち上げました。そして、山形でも、東京でも、その中心にいる元気な乙部さんの姿をいつも拝見していました。
 あるとき、乙部さんの住まいを建て直すことになり、本の整理を頼まれました。研究会の仲間数人で、片付けに行ったのでしたが、一日では終わらず、数日間通うことになりました。国語・作文関係の本はもちろんですが、紙すきの本、陶芸の本、古典、落語、音楽、その本の種類の多さと、その量に圧倒されたものでした。
 『文集づくり入門』『四年生の作文教育』の著書をはじめ、日本作文の会が発行した数多くの本の編集をされました。また、「作文と教育」に、他の団体の活動の様子や動き、官側の考えの分析など、毎回連載してくれた時期がありましたが、こういう本が元になっているのだなと感心しました。
 乙部さん長いことお世話になりました。これからも、私たちを見守っていて下さい。
(綴方理論研究会・豊島作文の会)
「作文と教育」2022年 8・9月号に掲載

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