子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

3月16日(木)3丁目の夕日の頃

3月16日(木)3丁目の夕日の頃

 ビックコミックという週刊誌の中に「3丁目の夕日」という漫画が連載されていた。団塊の世代が子どもだった時代の世の中の動きなども出てきて懐かしく読んだ。私は、その団塊の世代の前の世代になるが、描かれていることには重なる生活が結構出てきた。
 戦争に負け、日本の国が廃墟から立ち上がろうとして、10年くらい経った頃の世の中の動きである。1945年太平洋戦争に負けた年に生まれた私は、自分たちの生活の中に、戦争の傷跡が結構残っていた。まだ、自分のうちにおふろなどはなく、お風呂屋さんに行って体を洗うのが当たり前であった。当時の風呂屋の料金は、大人15円子ども8円という金額を覚えている。私は、母と弟と一緒に女の風呂に小学校低学年から高学年まで入っていた。やがて6年生くらいになると、さすがにと思い、男風呂に弟と一緒に行くようにした。風呂から出る時間をあらかじめ決めておいて、帰りは一緒に母と帰ってきたりした。その頃、いつも夜空を見て帰るのが慣わしであった。その頃の埼玉県与野町では、天気の良い日は天の川まではっきり見えるきれいな空だった。母は、「あれがオリオン座だよ。」と「あの白く帯のように見えるのが、天の川だよ。」と指さしながら教えてくれた。こうやって母と一緒に風呂屋に行くのは、そんなにたくさんなかった。でもなぜだか、その時のことを鮮明に覚えている。やがて、弟の宏と二人だけで、行くことも多くなってきた。

自分の家のおふろ

 やがて、自分のうちでもお風呂には入れるような風呂場ができた。ただしまだ、井戸の生活なので、風呂桶に水を入れるのが大変であった。大きなバケツに何倍も井戸から水を入れるのである。次にすることは、風呂釜の中に薪をくべて、火を付ける。この日の付け方は、結構難しい。火がある程度付いても、そのそばで、まきを時々くべなければならない。30分以上その釜を見張ってなければならない。まきは昼間のうちに、大きな薪割りで、昼間のうちに束にしておくのだ。やがて何年かが過ぎて、まきが石炭に変わった。石炭だと、一度火が付くと、そのそばにずっといなくてもだいじょうぶだ。やがて、プロパンガスが入り、ガスストーブのように燃料が、ガスになった。
 このような燃料の変化を、自分で体験できたことは、深い意義がある。今の生活が、いかに快適になったかがよく分かる。

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