子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

3月19日(日)2000年の卒業生

3月19日(日)2000年の卒業生

 この間クラス会を開いてくれたメンバーは、2000年度に5年生の担任になった。卒業は、2002年3月に卒業していった。今年2017年なので、卒業してから、15年たっての初めてのクラス会を開いてくれた。この子どもたちを担任する前に、やはり5,6年の子どもたちを担任した。最後のはなむけ文章が、文集の最後に載っていたので、それを載せておく。この文章は、この子どもたちの前の卒業生に送った文章である。」

終わりの言葉

 この一年間も、君達に日記を中心とした文章を書くことを大切にしながら歩いて来た。
詩や班日記や作文を書き、それを皆で読み合う勉強を大切にして来た。
文章を書くことは、自分の物の見方を、しっかりしたものにする。
『物』や『事』対して、ていねいに見つめ、とらえ直しをすることが出来る。
うれしかったり、楽しかったり、さびしかったり、悲しかったり、腹が立ったりすることがある。
その時々において、私達は、自分の心や体を良く働かせて、そのような事実に関わる。
 しかし、書かなければ、そのような事実は、時が経ち、しばらく経てば忘れられてしまう。テレビと新聞を考えて見よう。
テレビの画面からは、次々と色々な映像が送られて来る。
私達は、その瞬間に、その映像からたくさんのことを教えられる。
それを見て、感動することだって時にはある。
画面を停止して見る訳に行かないから、その画面を通して、瞬間瞬間に考えて行くということになる。
事実、今の子供達は、瞬間の反応は、実にすばやいのだが、じっくり考えることはしない。しないというより、苦手である。
新聞をい読めば、ニュースは少し遅いが、じっくり読み直すことだって出来る。
 『読み直す』事によって、自分の考えを、もう一度引き寄せて組立て直しているのである。『日記を書く』『作文を書く』と言う作業は、さらにもっと大きなプラス面がある。
それは、自分が毎日生活している中で、
 友達や家族や見知らぬ人や先生や様々の人々とかかわりあって生きている。
 学校や家や登下校の時やテレビを見ている時や本を読んでいる時や様々の場面に、心を動かしながら、日々送っている。
 その事を、『班日記』と言う振り返るものによって、もう一度とらえ直しをして来た。
 じっくり考えると言うのは、そのような時である。
 書くことを通して、その事実関係がもっと明らかになったりして、物や事をていねいに見るようになるのである。
 友達とけんかをして、悔しかったのでその事を振り返ってじっくり書いて見る。
自分の腹を立てたことが、他愛もないことである事を知ったり、相手の気持ちを推し量ったりする事は、こう言う作業を通して出来るのである。
 書く事を通して、自分自身が賢くなったのである。
さらに、この次は、もっと周りのことを丁寧に見て見ようと言うことにもなって来る。
 つまり書くことを通して、認識(知るという事)の諸能力(五感)が素晴らしく発達させることが出来るのである。
『はらっぱ』と言う一枚文詩集を印刷して、皆で読み合う事も大事にして来た。
 皆は、自分の作品が乗ると大変に喜んでくれた。
それは、自分の書いた作品を通して、皆に読まれて、自分の考え方生き方が相手に伝わる。ある時は、大いに皆にほめられて、励まされて、『生きる自信』『生きる力』にもなる。
そのようなことを、この一年も大切にして、一人一人個性を尊重して歩いて来た。
 違いを認め合って、皆が大きく大きく伸びて来た。
君達は、教師生活三十一年目の僕の教え子になる。
 僕にとっては、九回目の卒業生になる。
 そのつど、様々な教え子に巡り会えたが、君達からたくさんの宝物を頂いた。
 今年は、格別に色んな思いが交錯して、心の中が打ち震えている。
 去って行く君達は、どんな心境なんだろう。
 『会うは別れのはじめなり』去って行っても時に会いたくなったら、いつでも来てほしい。大きく羽ばたく君達に、お礼を言って、最後のはなむけの言葉にしたい。ありがとう。

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional