子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

3月20日(月)彼等への終わりの言葉

3月20日(月)彼等への終わりの言葉

おわりに 榎  本    豊
 人間が最初に言葉を覚えた時は、どんな時だったのだろうか。
相手にどうしても自分の気持ちを伝えたい時が、始まりだったのであろうか。
おそらく「ワア。」とか、「アア。」とか言う叫び声のようなことだったかも知れない。
やがて、単語のようなものの名前がお互いの約束として、出来ていったのであろう。
そこまでに何千年の歴史があったのであろう。
話し言葉の始まりである。
やがて文字という字ができるまでには、相当な時間と工夫があり、絵文字ができあがる。
日本語の字のもとである字は、中国から入ってきた。
日本人は文字を自分たちで作り出さず、隣の中国の漢字を日本語の話し言葉を当てはめた。
いわゆる万葉がなである。
やがて、漢字だけで文章を書くのは時間がかかり難しいと言うことで、ひらがなやカタカナが作られていく。
今私達が使っている日本語である。
日本語は、「あいうえお」というひらがなを「ん」までの五十一音の文字と「がぎぐげご」の濁音や「ぱぴぷぺぽ」の半濁音、「ちゃちゅちょ」の拗音「ちゃあちゅうちょう」の幼長音「じゃあじゅうじょう」の濁悠長音などの日本語の文字を覚えることから始まる。
これらの言葉は、小学校の一年生の二学期の始まりの頃にだいたい覚えていく。
もちろん話すことは、小学校入学前に覚えているのだが、書き言葉としては、小学校に入ってからである。
幼稚園などで、早めに覚えていた人は、すでに文章が読めて書けた人もかなりいたのかも知れない。
やがて小学校に入学してからしばらく経って、日記や詩や作文という文字を使って自分の考えを文章にしていくことを、始めた。
この二年間は、この文章表現力をことに大事にしながら、君達と歩んできた。
「個人日記」「班日記」「詩のノート」「新聞の切り抜き帳」どれも、書くという作業が中心であった。
大切に力を入れて君達に向き合ってもらった。
日本中の中でも、これほど力を入れた子どもはそんなに多くはいないだろう。
この作文というものが、苦手な子供達がどんどん増えている。
苦手だというので、教科書からも、どんどん減らされようとしている。
しかし、入学試験や就職試験などでは、結構大事にされている。
ところが、大学生になっても原稿用紙に作文を書いてもらうと、まともな文章が書けなくなってきているという。
いわゆる学力不足のまま、大学生になってしまった人が意外と多いのである。
中学生になってからは、作文を書く時間もほとんどないという。

したがって、この二年間にやってきたことは、これからの学校教育の中で、大変大きな価値を持ってくることは間違いないであろう。
「書く」ということは、人間のものの考え方や見方を間違いなく深め、確かなものにしていくのである。
班日記を忙しい三学期のぎりぎりまでやってきたのは、君達の文章の書き方がすばらしすぎたので、やめるわけにはいかなくなってしまったのである。
どの人の文章も、「ひとまとまりの文書」として、どこへ出しても恥ずかしくない迫力のある文章を書いてくれたのである。
「はらっぱ」の文章も、この二年間、たくさん発行することが出来ました。
六年生になってからは、ぼくも班日記の仲間に加えてもらい一緒に書かせてもらった。
それは、君らの文章表現力に久しぶりに圧倒されたからであり、家の人もけっこ添え書きをしてくださったからである。
忙しいときは、ちょっと厳しかったけど、君らも苦労して書いているだろうと考えて、書き上げたりするときもあった。
「はらっぱ」の最後の方に、まとめて入れさせていただいた。
ぼくにとっても、良い思い出の文集になった。
君達は、これから無限の可能性があり、様々な人生を歩んでいくであろう。
どうぞそれぞれの歩みの中で、精一杯自分の力を出し切ってその時々を生きていくだろう。大人になって、それぞれ子供の親になった頃、この文集を開いてほしい。
子どもの心をもっと知りたくなったら、自分や友達が書いたこの「はらっぱ」を開いてほしい。
ぼくにとっては、十八回目の教え子であり、卒業学年は、ちょうど十回目である。
卒業学年を持つのは、君らが最後の教え子になるかも知れない。
様々な子供達と巡り会ってきたが、この二年間も良い思いをたくさんさせてもらった。
ついこの間、最初の教え子から電話をいただいた。
「先生、昇進試験に受かったよ。今度一緒にお祝いしてね。」
電話を切ったあと、じわじわと嬉しさがこみ上げてきた。
卒業してからが、本物のつながりである。
忘れた頃、ぼくに会いたくなったら、ぜひ会いに来てほしい。
どこかで偶然にあったら、ぜひ声をかけてほしい。
ぼくも、残りの教師生活も少なくなってきた。
子どもが何を考えているか難しくなってきたと言うが、ぼくにはそれはあたらない。
君らの文章を読ませていただいて、君らの心の動きが手に取るように良くわかった。
文章を書くことが、何らかの形で、君らの生きていくうえに力になることを願う。
漢字たいじも最後のプリントで努力してくれた。
遠く離れたら、ぜひたまにはたよりがほしい。
五年後、十年後の君らに再会できることを願って、
「はらっぱ」のしめくくりとしたい。

3冊の一枚文集

 我が家には、子どもたちと作った一枚文集の合本が、3冊ある。
ページを見ると、205枚作ったことになる。毎日1~2枚ずつ発行したことになる。それを最後に合本したものである。目次を見ると、私も自分の小さかった頃の思い出を、班日記に書いている。長い間に書いてもらった昔の教え子の文章なども載せてある。

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