子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

3月22日(水)平和教育の最高傑作

3月22日(水)平和教育の最高傑作

 墨田区が、東京大空襲の被害のあった地域であることを知り、戦争中の暮らしを親や祖父母に聞いて、それをまとめて、聞き書き作文を始めた。墨田区立小梅小学校に10年間いて、毎年書いてもらった。豊島区から、墨田区へ転勤し、最初に取り組んだ聞き書き作文であった。当時、保護者の中には、大空襲の日の中を逃げて、奇跡的に助かった人が何人かいた。中には、東南アジアまで、志願兵として、戦争体験した父親もいた。当時5年生の担任であった。夏休みの宿題として、昔の貴重な体験を聞き書きする宿題を出した。様々な形で、貴重な戦争体験の聞き書きが出来上がった。
このメニューの中の「私の平和教育」の中にいくつか載っている。その中でも、その5「原博おじさんの戦争体験」 その6「母から聞いたおじいちゃんの話」この2作品は、私の忘れられない作品となった。これをきっかけに、1年に1回は、戦争と向き合って、「聞き書き」を中心に実践してきた。

柳島小⇒立花小

 その後、柳島小で10年間すごし、立花に最後の10年間を過ごすために異動してきた。そこでも、皆さんに聞き書きを課題にした。やはり、様々な戦争中の暮らしが浮き彫りにされた。その中で、遠藤昭城さんが書いてきた「母の姉は中国に」は、私の教師生活の中で、最も心に残る作品に仕上げてくれた。これを語って下さった遠藤さんのお母さんに改めて、感謝しています。よくぞ、子ども達にひみつにしてきた真実の話を語って聞かせてくれた。作品として出来上がったときに、遠藤さんは、クラスで読み合うことを賛成してくれなかった。しかし、ここまで語って下さったお母さんの気持ちを考え、何とか承諾してくれた。一番の抵抗は、遠藤さんの体の中に、中国の祖父の血が入っていることが、クラスのみんなに知れ渡ることに抵抗があった。お母さんは、賛成してくれた。しかし、いざ、この文章を、クラス全員で読み合っていくと、大変な反響が出てきた。それを、全員に感想という形で書いてもらい、それをみんなで読み合った。みんな遠藤さんへの心配の気持を乗り越えて、すばらしい感想を、それぞれが書いてきてくれた。

北京大学へ留学

 中国に住んでいるお母さんのお姉さんに会うべきであるという文まで書いてきてくれた子がいた。遠藤君は、このクラスの仲間からのエールを大切にして、2008年アメリカの大学に留学中に、祖母、母と3人で中国でお母さんの姉の景華さんに会い、中国語を学ぼうと決意します。おばあちゃんも、3才で別れた実の娘と50年ぶりくらいに対面することができた。2012年北京大学留学中に、中国語を習いました。そこで、中国の紹興に住む景華さんと再び会ってます。その時に、学んだ中国語が役に立ったと言うことです。わざわざ、その時に中国で撮した景華さん家族との写真を我が家に持ってきて、下さいました。景華さんは、日本語はしゃべらず、お互いに言葉がなかなか通じないことに戸惑ったと、お母さんは言ってました。

中国の紹興・南京・北京などに出かける 

 ぼくも、この作文がきっかけで、中国に仲間15人くらいで、訪れた。この作文を読んだある人が、映画にしたいと言う話を持ち込んできた。お母さんに相談すると、中国では、この話は誰も知らないので、向こうの方に迷惑がかかると言われて、断念した。

もう一度、読んでほしい

 遠藤君の文章と、クラスの何人かの感想文が、この中に書かれている。「私の平和教育」その2「母の姉は中国に」を読んでいただきたい。私は、この1年間の平和教育の実践を持って、日教組の教育研究全国大会に東京代表で参加した。3日間学校を留守にして、この大会に参加してきた。全国の代表者の中から、優れた教育実践に選ばれて、本の中に入れていただいた。思い出に残る、君たちとの2年間であった。それが、再び17年ぶりに再会で、教師冥利に尽きる。ありがとう。

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