子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

5月22日(金)今日一日の過ごし方

5月22日(金)今日一日の過ごし方

透析に出かける

 透析のために9時15分に家を出た。3分で病院に着くのが、助かる。札があって、14番の札を取って、更衣室に向かう。そこで、パジャマに着替えて、病室に入る。決められたベッドに行き、まず体温を測る。その後に、体重を量る。5分くらい待つと、医者が来て、血圧を測り、透析の準備に入る。いつも左の腕に、注射器を、二本さす。普通の針よりやや太いので、ちくりと、少し痛い。静脈に刺すのだが、シャントと言って、半年前に手首の所を切って、動脈と静脈を繋げてある。これをしないと、静脈の流れが弱いので、透析を覚悟すると、必ずシャントを作らないといけない。9時40分にスタンバイできた。その後、12時40分まで、ずっとねた状態で、血液が濾過装置を通ってまた元に戻る。それをすることによって、体の中の血液にたまったいらなくなったぶしつを、きれいにする。腎臓は、そういう働きをしているのだが、その機能が落ちてきたので、透析に切り替えられたのだ。透析になることが決定してから、検査入院をした。その時に、食べ物の管理と、水分の管理を厳しく教えられた。体重もどんどん減らすように仕向けられ、この半年間のうちに、10キロは減った。3時間じっとしているのは、かなりきつい。じっとしているのはもったいないので、ラジオを聞いたり、本を読んだりしている。おかげで、この3週間の間に、本は、3冊くらい読んだ。今週も、今日で終わりだが、国分さんが、1965年頃「作文と教育」に連載した「なにを、なぜ、はげましてやるか」という論文を読み終えた。こんな風にして過ごさないと、もったいないので、これからもそうしようと決めている。
 3時間経つと、ブザーが鳴り、終了の手当を、医者が来てしてくれる。12時40分に完了した。体重を量り、その後更衣室に戻り、着替えて、病室を出る。

生活クラブ・母の所・朝顔の種まき・夜の研究会

 家に着いたのが、1時少し前だった。その後、昼食を取り、一休みした。その後は、明日の例会のレポートを印刷して閉じた。3時過ぎになって、妻が帰ってきた。生活クラブに、来週の申込用紙を車で取りに行った。その後、今週は、母の所に1度も行ってないので、浦和に向かった。1時間近く、母と話をした。ものを食べるようになったので、前に比べて、元気になっていて、一安心。また、来週来るねと言って、自宅に戻る。朝顔の種を植えていなかったので、プランタンに植えた。その後、一休みして、娘の担任だった、貝田先生から研究会のお誘いがあったので、出かけることにした。川口市教員組合の主催の研究会である。「平和教育」をどう実践していくかという話であった。相変わらず、緻密な資料にもとづいて、丁寧な話をされていた。夜の6時半から8時半までの会合であった。こんな遅い時間なのに、現職の先生方が、20人くらい集まって、熱心に聞いていた。最後に感想を話してほしいという司会者の働きかけがあった。名指しをされてしまったので、「娘が、15年前、貝田先生の担任でお世話になったものです。以来、家族ぐるみで、貝田先生のファンになり、・・・」と言うような話をさせていただいた。一番の収穫は、いつもソフトバレーボールでお世話になっている飯塚小学校の先生が、その中に一人おられて、お話をすることが出来た。3冊「作文名人への道」という本が売れた。

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