子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

7月15日(火)出版おめでとうございます

7月15日(火)出版おめでとうございます

長谷川政國様
 2冊も本を送って下さり、ありがとうございます。さっそくもう一度読み返しました。その時々のことが思い出されます。今回取り上げた以外にも、「木の実ナナ」は、長谷川さんの幅広い興味関心が、私を圧倒しました。我々世代には、身近の木の実ナナさんのことを、こんなにもくわしく書いていて、ビックリしたものでした。この中には、書かれていないが、担任の教師がたしか中溝先生?と言う方が、木の実ナナさんの心に残る先生だったと書かれていました。演劇の指導に優れた方だったようです。その文章を読んだときも、どこで調べたのだろうと、驚かされたものでした。やがて、何ヶ月後の木の実ナナさんのテレビ番組を見ていたら、一番思い出の場面で、中溝先生との対面があり、その場面を見て私も感動したのを覚えております。「場末の子」大木実の章にも、教えられることがたくさんありました。それは、長谷川さんも勤務した柳嶋小の卒業生が、大木実だったからです。長谷川さんが、10年勤めた柳嶋小に私が転勤し、長谷川さんが私が10年勤めた小梅小学校に来られたのです。大木実が、もっとも影響を受けたのが、当時担任だった辻野という新任教師から、「赤い鳥」を紹介され、文学への関心を広げていったとのことです。柳嶋小の応接室のような所の本棚には、「赤い鳥」の復刻版が全部そろって置かれていました。復刻版が出来た頃に地元の人が、寄付をされたと書かれています。この話と関係があるのかどうかはわかりません。木の実ナナにしても、大木実にしても、人生の大きな影響を与えたのが、当時の小学校担任の先生だったということです。おのづかゆきおと辻征夫の担任教師も、言問小学校の楠本謹八先生という方でした。よくもまあ、丁寧に調べたものだと、感心するばかりでした。
 同じように、いかりや長介の出身校が横川小学校と言うことも初めて知ることでした。その学校に勤めていた井上有一先生に、4年生から6年生までの担任の先生でした。いかりやは、東京大空襲の1年前に卒業と同時に静岡に疎開しています。井上先生は、東京大空襲の日にたまたま宿直でした。その日に見た惨状を「噫横川国民学校」にまとめています。このような貴重な記録も、「すみだ春秋」を読むことによって知りえる知識でした。おそらく当時の組合員の人たちも、これらの記事を読みながら、感動するやら驚くやらしたに違いありません。
 せっかくこんな形で本に出版できるようになったのですから、出版を祝う会を開きませんか。本日績文堂さんに連絡とりましたら、そういう動きがあるのなら、ぜひお願いしたいというようなことを話しておりました。長谷川さんは、いかがでしょうか。
 まずは、出版おめでとうございます。また、本を送って下さり、ありがとうございました。感激して、私のホームページにこの本のことを紹介しました。「えのさんの綴方日記」の「えのさん日記」を検索すると、2014.7.14(月)に載せました。勝手に載せたのですが、何か差し障りがあれば、訂正します。その時の文章も、お送りしますので、ご覧下さい。

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