子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

7月3日(木)没になってしまったけれど

7月3日(木)没になってしまったけれど

NHKのBSの3チャンネルで火野正平さんが、自転車で全国を回っている。先々週は、山形を放映していた。そのことを4月の下旬に山形に思い出のある方は、お手紙募集と放送されたので、思いっきり投書することにした。一週間山形版を見ていたが、扱われなかった。文章は、こんな文章である。
2014.4.29(火)  

火野正平様。いつも楽しみに観ております。

 その場所は、今から84年前に、師範学校を卒業したばかりの若き青年教師が勤めた小学校があった。そこで、7年間情熱を込めて、教育実践をしたが、治安維持法違反で、特高に捕まり免職してしまう。その実践は、子どもたちに文章を綴らせて、自分たちの生活を見直す生活綴り方と生活画(想画)を実践した。その実践の中心にいた教師が国分一太郎先生であった。太平洋戦争が終わり、晴れて自由の身になったが、現場に戻らず、戦後教育をリードするたくさん書物を世に出した。1951年に「新しい綴方教室」や「君ひとのこの師であれば」を世に出した。当時の心ある教師は、その本を読み感動し自分の教室で、実践した。綴り方(作文)教育が日本中に広がっていった。私も、その本を偶然読み、以後退職するまで綴り方・作文教育を実践することができた。国分先生は、1985年に亡くなるまで日本全国を周り、その理論と実践を全国の教師に訴え続けた。亡くなった年にNHKの東北アワーで、50年前の子どもたちの生活画と作文の紹介が放映された。その後、教え子さん達が中心になり、国分一太郎の研究会を毎年一度開いて、今でも続いている会がある。今から3年前の2011年には、生誕100年を記念して、「教育記念碑」が国分一太郎先生が勤めていた長瀞小学校跡地(現在は長瀞公民館)の校庭だったところに建てられた。毎年わたしたちは、研究会の時に、墓参りをして、その記念碑に出向き、新たな誓いをしている。
 火野さんには、ぜひその記念碑の建つ場所に行って、84年前からたった7年間だったが、子どもたちにすばらしい教育実践をした場所である所に行っていただきたい。
 今ではその場所は、山形県東根市長瀞公民館になっている。長瀞小学校は、その場所から少し離れた場所に建てられている。その国分先生の最後の教え子さんは、86歳前後になっておられる。驚くことにその時の同僚の、相沢(旧姓山田)とき先生は、今でも健在である。今年97才になっておられるはずである。

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