子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

9月17日(水)N先生へ

9月17日(水)N先生へ

「詩集・子どものえんぴつ」送っていただきありがとうございました。すぐにお礼のお返事せず、失礼いたしました。9月は、「東京の子」を読み合う会が2つありました。一つは、豊島作文の会の9月例会でした。もう一つは、東京作文協議会で、わたしの所に豊島で話しあったことを踏まえて、話をしてほしいと依頼がありました。そんなことで、東京の子を読むので精一杯だったので、少し返事が遅くなりました。なお、今回、「文詩集『東京の子』はいつ、どうして」と言う文章を読み、そのことの感想も含めて例会で報告しました。あのような文章を書ける人は、もう東京の中にはいなくなりましたね。本当に貴重な資料になります。あそこに書かれた人のほとんどの人の名前と顔が浮かびます。考えてみたら、わたしが池袋第三小学校に勤めていた頃に、N先生との初めての出会いだった気がします。日教組の教研集会の山梨大会の時に、レポートを提出になりました。その時に何人かの人たちが、池三小にわざわざ来ていただきました。わたしが、25歳の時ですから、今から、44年前のことになります。N先生も、40代だった頃ですね。
 さて、今回送っていただいた、文章を読ませて頂いた感想をひとことお礼に代えて、書かせて頂きます。
 まず、ご自分が担任された子どもたちの作品の中から、選りすぐりの詩をこのように学年順に並べられて、一つの文集にされたことに敬意を表します。また、うらやましい限りです。「表紙のカット」はどなたが、書かれたものでしょうか。わかっていれば、書いて置いた方が良いですね。「33年子どものマナスル」の文が気になりました。自分が小学生の頃、マナスル登頂のことが話題になりました。その頃の子どもが書いたのでしょうか。
 学級文集の歴史を見て、一目で勤務された学校がわかり、そこで担任した子どもたちとの文集の題名が載っているのもわかりやすいです。1年の担任は、柳沢小で、初めてだったんですね。
 目次を、学年順に配列してあるので、現役の人が手に入れたときに、そこのページを重点的に読めば、おおよそのやり方が、参考に出来ます。19ページまでは、子どもの書いた字やカットが書かれていますが、それがとても良いです。

子どもの「えんぴつ一年生」

 一年生に雨の降っている日のことを、観察して書かせています。たしか、「作文と教育」にも、この辺の実践はていねいに書かれましたよね。わたしは、それを読んで、雨が降った日に、校庭に連れて行って同じような実践をしたことがありました。ちゅうしゃをしたときのこと、遠足に行ったときのことを、そのつど書かせているのもわかりやすいです。「うさぎのみみのなかがあかかった。」「うさぎがろうやにはいっていました。」(P4)などという作品こそ、値打ちものです。朝顔のタネの観察をさせて、ひとこと見たとおりに書かせた文は、詩ですね。クワガタ・テントウムシ・カタツムリの動きを観察した文は、子どもの驚きや発見だからやはり詩ですね。さてつを磁石で遊んでいるのは、子どもの眼がギラギラ輝いて見えます。台風が来たときの「たいふう」(P17)が、臨場感があります。「ゆき」(P20)などは、一年生の終わり頃の作でしょうか。他の作品も、1年のいつ頃の作なのかを、終わりに書いてあるとさらに良いですね。

子どもの「えんぴつ二年生」 

 「カマキリの食じ」(P23)は、じっくり観察しています。「カラタチ」(P27)おじいちゃんの「カラタチのとげは、いたいよ」と歌っているところで締めくくっているのがほほえましいです。「雪」(P30)は、雪の中に作者がいながら、観察して描いているのが良いです。

子どもの「えんぴつ三年生」

 働いている人に注目させているページの詩は、どの詩も生き生きとしています。そこから、友達や先生に注目させていく方法は、これらの詩を読めばすぐにわかります。その中でも、「先生」(P33)の詩は、見事です。出来たら、中川先生と書いてほしかったですね。最後の2行が、ほっとします。「カーテン」(P35)のようなお母さんは、今いますかね。最後の1行が引き締まります。「天ごく」(P36)の詩を書いた白井さんの心にふみおばちゃんとおばあちゃんは、ずっといつまでもいるんでしょうね。最後の2行で、この子のユーモアを感じます。都会の中に住む子どもたちに、まだまだ自然はたくさん残っていることを教えるのに、P37からの詩は、教えてくれます。「雨のスケッチ」(P40)は、雨の日の出来事が、人によってこんなにも見事に観察し、切り取っていることがわかります。この文を、詩に作り直すには、どの言葉を選べば良いかと考えあうにも、良い授業が出来そうです。

子どもの「えんぴつ四年生」

 「東京国際空港」(P44)の岡村君は、55年前の10才の少年は、今年65才になっていますね。代沢小学校は、金澤嘉一校長先生がいらっしゃった学校ですね。池袋第三小学校に、研究会で講師に来て頂いたことがありました。岡村君とは、交流があるのですかと言うことまで考えてしまいます。「中江くん」(P46)は、すてきな子ですね。言われた角田さんも、うれしいやら、はずかしいやらと言うことですね。「おばあちゃんの手」(P50)は、誰にでも体験することだが、手に注目しておばあちゃんを見つめ直しているところが良いです。「たたみやさん」(P54)昔は、子どもたちの生活の中に、このように働いている姿を観察する機会が色々ありました。それをじっと観察する時間も余裕も、子どもたちの生活にはあったような気がします。「ツバメ」(P56)が、自分たちの生活の中からどんどん失われてきている中で、貴重な体験の詩です。

子どもの「えんぴつ五年生」

 「四・二八沖縄祖国復帰デー」の詩、五年生の眼で、真剣に沖縄のことを考えていることがすばらしい。父母への不満をおしまいに入れています。これは、父母を通して、大人への不満だろうと読み取れます。1972年に沖縄は、アメリカから、日本に帰ってきますが、根本的な基地問題は、未だに解決していません。日曜授業参観日(P62)を書いた詩は、どの詩も、子どもの素直な気持ちが表現されています。この詩を読みながら、大人は、子どもの気持ちを読み取ることが出来ます。「好きな人」(P63)この詩を読み合ったら、クラスは、ますます楽しくなりますね。「あけがた」(P67)の詩は、早起きは、3文の得と言うところでしょうか。最後の2行が、良い締めくくりになってます。

子どもの「えんぴつ六年生」

 28年ぶりにグァム島から奇跡的に発見された横井さんのことを取り上げた詩(P69~70)は、どの子の作品も胸打たれるものばかりです。わたしも、子どもたちとこのことで熱く話しあい、同じように日記や詩に書いてもらったのを覚えてます。まだ横井さんみたいな人どこかのジャングルにいるかも知れないと話し、その後35年ぶりにルバング島から小野田さんが発見されました。戦争は、まだ終わってないと、実感したのでした。まだ、日本の国は、この戦争の総括をきちんとしてないですね。慰安婦問題・沖縄の基地問題などまだに解決されていません。こういう詩を読みながら、子どもたちと戦争の問題を考える、良い資料になります。「馬のり」(P73)は、よく子どもたちと一緒に遊んだので、その楽しさが伝わります。放課後などにも、学校裏の隅田公園に集まり、男女一緒で楽しんだものでした。この遊びこそ、集団で楽しめる遊びの一つでした。「人ちがい」(P75)は、めったにないことでしょうけど、「みるまにぼくの顔が赤くなった」のところで、間違いと気がつきます。そこで、思わず笑ってしまいました。最後の2行も良いです。母親に注目させた詩(P76)を読むと、様々な母親像をとらえることが出来ます。これを鑑賞したあとに、では皆さんのお母さんの一番気になっていることを切り取りましょうとすれば、子どもたちは何かをつかんでくるはずです。「雨上がりの夕方」(P78)をとらえた、小池さんの鋭い感性に驚きます。最後の3行は、ダイヤモンドのように光り輝いています。

終わりに

 それほどていねいには読んでいませんが、200点を超える作品を選び出して、しかもそれを再び手書きしたことにあらためて敬意を表します。この詩に書かれた子どもたちが、この詩集と再び巡り会ったら、また別の感動を覚えるでしょう。サークルに集まる若い先生は、この詩集をあらためて読み合うことが大事ではないでしょうか。一人ひとりが、プレゼントをされても、これをどのように活用するかは、やはりみんなで読み合う必要を感じます。わたしは、それほど詩の実践はしておりません。だから、トンチンカンな感想をしているところがあるかも知れません。散文の方を中心にして、詩はわずかな実践でした。それでも、いくつかのするどい詩を読みながら、わたしが現役だったら、こう活かすと、読みました。残念ながら、その対象の子どもたちは、今はおりません。若い現役の人たちには、それを受け継いでいってほしいとかすかな期待を寄せます。

追伸

 今回、北海道の大会で、「生活綴方の歴史分科会」に参加してきました。そこで、1度聞いたことのある北海道新聞の若い女性記者の話をもう一度聞きたかったのです。埼玉の浦和で聞いたときと同じ資料でしたが、話の展開の仕方が、またバージョンアップしてました。話のさわりは、山形の国分一太郎が、治安維持法で取り調べられた話からでした。北海道の弾圧も、この山形の村山俊太郞と国分一太郎を調べた砂田周藏という特高の調べ方が優れていたので、それをもとに全国の当時の綴方教師が弾圧されたという話でした。北海道新聞に、昨年から連載されて、半年以上続いた記事でした。まだ、こういう記者がいることがうれしいです。終わってから、Nさんに差し上げた同じ資料をその方に差し上げて、少しお話をしてきました。どこの出身ですかと尋ねたら、山形に祖父母の墓がありますとのことでした。毎年山形で、研究会をしている話をして、来年は国分一太郎没後30年の年なので、記念の会になりますので、お時間が取れたらぜひと、お願いしておきました。大変好意的に受け入れて下さったので、もしかしたら来年は、山形で講演して下さるかも知れません。その時の資料と、今回東京作文協議会で頼まれたレポートも合わせて送ります。
 雑ぱくな感想ですみません。ますます、お元気にご活躍下さい。2014.9.13(土) 東京作文協議会提案の日に 

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