子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

1月12日(木)豊島作文の会の提案その1

1月12日(木)豊島作文の会の提案その1

墨田区立立花小学校時代 (1996年~2004年)
T君が変わった 6年 女子 7月15日
 五年生の時のT君と、今のT君は比べものにならないくらい変わった。五年生の時のT君の担任の先生は、S先生でだった。私は、T君と同じクラスだった。五年の時にクラスがえをして、何日かたった時、男子が、
「Sごん、Sごん。」
と言っていた。それは、S先生のあだなのようなものだった。あだなが決まってから、S先生が、人の話を聞いてない時は、   「Sごん、聞いてんのかよ。おい。」
等というような言葉を、使うようになっていた。少したつと、今度はSごんではなくて、
「おい、S。」
と言うようになった。それから、授業中に男子は、抜け出していったりする時がある。そんな時S先生は、男子を呼び止めようともしないで、授業を進めていた。時々授業中に、T君が、他の男子にコンパスでさそうと思っていたのかは、知らないけれど、ふざけていた。回りでコンパスを持ってうろうろされている男子は、
「やめてよ。やめてよ。」
などと、言っているのに、T君は知らん顔だ。T君は男子の洋服をブスブスさしながら、ふざけていた。そんな時だって、S先生は、授業を進めている。知らん顔しているみたいだった。S先生は、だれかがいじめられて泣いている時だって、知らん顔。5、6人の女子でS先生に、
「泣いているんだよ。何でいつも知らん顔なの。」
と言った。S先生は、
「わかってる。」
と言う。先生が、注意をしないせいか、T君はどんどん悪くなっていく。だれかをけっとばして、笑ったり、悪口を言って、おもしろがったりするようになった。だれかが、
「やめてよ。」
と言っても、T君は、知らん顔だ。だれかが、
「やめなよ。」
と、言っても知らん顔。注意の言葉を聞くと、返ってくる言葉は、
「うるせえよ。」                      か、知らん顔。先生の話を聞くとT君が言う言葉は、
「うるせえ、S。」か、「だまれ、S。」と言う言葉だ。そういう言葉を言われても、先生は、知らん顔。そんな先生の口ぐせは、おくれているなあ。授業を始めようとする時に、最初に言う言葉は、
「ちょっと、おくれてるから。」
と言う言葉だ。私は、
(おくれてる。おくれてるって言うなら、T君を少し注意すれば 言 いのに。T君がふざけているから、それが気になってるんじゃないの。)
と、思ったりしていた。時々、T君は、先生とけんかをする。先生の背中に、T君がイスを投げたりする。T君は、先生の悪口を言ったりする。でも、六年になってから、悪口を言ったり、だれかをけっとばすなんてことは、ほとんどなくなった。宿題もやってくるし、T君だけじゃない、皆だって変わった。五年の時、宿題をやってくる人は、五、六人位だ。六年になってから、みんなは、ちゃんとやってきている。私は、
(みんなが、五年の時みたいにならないで、このままでいられら いいのに。)

 T君の母親は、彼が二年生の時に、同じクラスの父親とどこかに消えてしまった。それから、彼の生活は一変した。五年生になって、クラス替えがあり、担任も新しく替わり、出発した。しかしその教師は、子どもの把握のきちんと出来ない教師であった。子ども集団は、彼を中心に、どんどん荒れていった。やがて、集団で、教室から脱走するようになっていった。五年生の後半は、完全に学級崩壊になってしまった。
 誰がこのクラスを受け持つかが話し合われた。最終的には、二クラスをクラス替えして、担任も二人替わった。その一人が、私になった。彼を、初めから私のクラスにして、出発した。一学期は、毎日のように彼との格闘であった。彼が少しずつ変化していったきっかけは、日記・作文であった。一学期は、毎日のように、彼との格闘で明け暮れていた。しかし、その過程の中で、彼だけ残して、話をした。二人だけになると、授業妨害などする荒々しい態度は消えている。母親のことを話すと、目に涙をいっぱい浮かべ、色々な話をしてくれた。家に帰って何をしているかと聞くと、三人兄弟の末っ子である彼は、洗濯を取り込んだり、洗い物をしたりと、家の仕事をきちんとしていたのであった。「T君、クラスのみんなは、おまえがそんなことをしているんてだれも知らないぞ。そのことを日記に書いてきてくれ。」と頼み、家での暮らしを一枚文集に取り上げてみんなで読み上げた。ふだん、彼にいじめられたりからかわれたりしている子どもたちは、その文を読み合いビックリしていた。友だちは、素直な彼の別の面を読み、彼のことをたくさんほめ合った。彼は、そのことが嬉しかったのである。今まで、ほめられたことなど、なかったからでる。その後、毎日のように、家での暮らしぶりを取り上げて書くようになってきた。それから、彼のクラスでの存在が、がらっと変わっていったのである。二学期の最初の日に、一度も学校を休まなかった彼が、学校に無断欠席した。色々連絡を取ると、その原因がわかった。都営住宅に住む彼の父親が、家賃を三ヶ月以上滞納したために、家を差し押さえされてしまったのである。家には入れず、十日間くらい、少年野球の友だちの家で、彼を預かったりしてくれた。やがて、1件の狭い借家を借りて、そこで住むようになり、なんとか学校にも来られるようになった。

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