子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

1月12日(木)豊島作文の会の提案その2

1月12日(木)豊島作文の会の提案その2

墨田区立緑小学校(2004年~2006年)

養護施設にいた日 T ・ H

 ぼくは、三才から四才まで養護施設(ヨゼフホーム)に姉といっしょにいました。その時のぼくは、緊張していました。先生たちはやさしそうでした。でも、お母さんが心配で、泣きそうになりました。そこにはいろんな人がいました。
(仲良くなれるかな。)
と不安でした。先生たちが部屋を案内してくれました。一番最初に会った友達は、元気君でした。
 ぼくと元気くんは、外の砂場で遊んでいると、姉が来て一緒に砂遊びをしました。先生は、
「おやつだよ。」
と優しそうに言いました。ぼくは、手を洗っておやつにしました。おやつを食べていると、母のことが心配でした。
(お母さんだいじょうぶかな)
と心配でした。でも、母はお仕事で大変だと思いました。その夜ぼくは母のことでいっぱいでした。

母が来た日

 その日の朝、母から一本の電話があった。先生が受話器を取って話していました。先生が、
「もしもし。」
と言いました。母が、
「フユの母ですけど。」
と言いました。先生が、
「お母さんだよ。」
といいました。ぼくが、
「もしもし。」
と泣きそうな声でいいました。
母が、
「きょうあいに行くから。」
といいました。
ぼくが先生に、
「きょう会いにくるって。」
と喜んで言いました。先生にかわりました。先生が電話を切ってぼくにいいました。次の日に、母はぼくたちに会いに来てくれました。その日は、一泊留まってくれました。
 次の日に、ぼくと姉は、母といっしょに、今住んでいる家にもどりました。ぼくも、姉もとてもうれしそうにして、三人の生活にもどりました。今から、八年くらい前の、ぼくが四才くらいのころのことでした。

親子三人の暮らし

 ぼくが四才で、姉は六才になっていました。母は、そのころから、仕事をしていました。そのころから、母は、夜お仕事に出かけて行きました。母は、仕事で忙しくて、夕食の用意だけはしてくれました。冷蔵庫に食べるものは入れておいてくれました。母が出かけた後、僕と姉の二人で、夕食を食べました。施設にいるときは、母がいないので、大勢友達と一緒に食事でした。でも、たった二人で食べる夕飯だけど、僕たちにとっては、楽しい生活でした。母が帰ってくるのは、次の日の朝でした。でも、夜おそく帰って来るかもしれないと思って、二人で起きて待っていることもありました。でも帰ってくることは、ほとんどありませんでした。僕たちは、眠くなって、ふとんに入って眠ってしまいました。ある時などは、眠い目をこすりながら、夜中の二時、三時まで起きて待っていることもありました。次の日、学校へ行くこともなかったので、そんなおそくまで起きていることもできました。

姉のけやき小学校入学

 姉が、小学校入学して、今の家から通っても、家にぼく一人になってしまうので、また、ヨゼフホームにもどりました。ぼくは、ヨゼフホームに、一人でした。姉は、けやき小学校に、入学しました。姉が学校へ行っているときは、ぼくと先生で、遊んだり、勉強をしていました。だから、さびしい思いは、しませんでした。 そこでの暮らしは、三年生まで続きました。母は、月に一~回会いに来てくれました。来てくれたときは、すごくうれしかったです。しかし、来ても、だいたい、その日に帰ってしまいました。帰るときは、ぼくも姉もさびしくて泣いてしまいました。すると、母は、 「また、来るからね。」
といって、タクシーで帰ってしまいました。その時が、一番悲しいときでした。

ふたたび親子三人暮らし

 ぼくが、小学校三年生の終わりに、しせつの先生が、母と話し合って、親子三人で暮らすことになりました。その話を聞いた時は、うれしくて姉といっしょにだき合って喜び合いました。やがて、今住んでいるところに、ふたたびもどってきました。姉が六年生で、ぼくが四年生の時でした。

 この子どもは、両親がタイ人であった。父親の浮気が原因で、離婚し、父親は、タイに帰国してしまった。母親は、女手一人で、この子と姉の二人を夜の仕事をしながら育てていた。不法滞在なので、生活保護なども受けられなかったが、準要保護のようなものを特別に頼んで、給食費などを免除してもらっていた。五年生になったときに、担任になった。学校を休みがちになることがあったので、後半は、毎日のように、彼の家に迎えに行き、学校に来させた。幸いクラスの子どもたちは、彼に対して、やさしく接してくれたおかげで、無事卒業していった。
 卒業して、7年くらいたったある日のこと、電話がかかってきた。彼の家族が、タイに行き、父親探しをしているから、チャンネルをひねってみてと連絡してくれる親がいた。テレビを付けてみると、姉弟と母親が写っていた。母親は、いやな顔をして写っていた。やがて父親が見つかり、その2人の子どもと対面していた。父親は、別の人と結婚していた。番組は、そこで終わりになっていた。
 

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