子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

1月12日(木)豊島作文の会の提案その3

1月12日(木)豊島作文の会の提案その3

 定年満期で、退職し、再任用の短期で、区内の小学校に移動した。児童数が、全校で一五〇人程度の全学年単学級の学校であった。都営住宅が、40年前に出来、そこで作られた学校であった。私は、そこで、算数の少人数担当になった。時間が、結構あったので、作文の時間を全学年担当させてもらった。どの学年も、週一時間作文の時間を担当した。全員日記を持たせて、担任に提出させて読んでもらうことにした。私も、その日記を読ませていただいた。
 六年生の中に、左手の指が全部ない児童がいた。後からわかるのだが、その子は、双子で、もう一人女の子が、そのクラスにいた。私は、その子と手のことで「いじめ」にあったことがあるかたずねると、今でも時々からかわれると話したので、そのことを日記に書いてきてほしいと仕向けた。

墨田区立堤小学校(2006年~2011年)
私は負けない 六年   女子(本文は、仮名)
 今から6年前、私が堤小学校に入学した頃の春、保育園では言われたことのないような言葉を言われた。入学したばっかりの時、何人かの子に、
「由紀ちゃんは,どうして左手がないの。」
といわれました。わたしはいつも、
「お母さんのおなかの中に、忘れてきちゃったの。」
と言って答えました。私はこの時は、あまり左手のことで言われてなかったのに、二年生になったときに、いろいろと悪口を言われるようになりました。何人かの子に、
「身体障害者。」
と言われました。私は,初めてこの言葉を聞いた時は、
(何を言っているのかな。身体って何、障害者って何だろう。)
 ずっと思いながら、学童クラブから、家に帰ってきました。私はこの時は,身体障害者という言葉を気にしていませんでした。けれど,さすがに何回も言われると、気になってしまって,お母さんに聞いてみました。
「ママ、身体障害者って、どういう意味なのかわかる。」
と聞きました。そうすると。お母さんは、私のところまで来て、やさしく言ってくれました。
「由紀みたいに、手がない人や体が自由に動かない人のことだよ。でも、由紀は、そういうことを言われても、気にしないで、前向きでいなさい。」
 私は、この言葉を聞いて、とても安心しました。
 それから四年後、私は小学校六年生になりました。これまでの四年間は、あまりいやな言葉は言われませんでした。だけど、六年になってから、いきなりいやなことを言われるようになりました。
 十二月四日、月曜日の図工の時間が終わって、教室にもどっていたとき、後ろから山田君たちが、
「こいつにさわられたら、ゲームオーバーだ。」
と大きな声で言い出しました。
(何を言ってんだろうたち。うち何か言ったっけ。)
 私はそう思いながら歩いていたら、山田君といっしょにいた大木君や水本君がいきなり走ってにげてしまいました。私は意味がわかんなかったので、山田君たちを走って追いかけました。けれど私は、足がおそいので、にげられてしまいました。
 次の日学校に行ったら、山田君の言ってたことが、クラスの男子に広がっていました。
(うわ。ヤバイなって言うより、何でこんなに広がってんの。)
 私は、そう思いました。さらに田中君には、
「うわ。バイキンマン来るな。」
と言われました。私は、何で言われたのかが、全くわからなかったので、気にしていませんでした。だけどその日の五・六時間目の家庭科の時間に、作業しているところに、田中君がきて、わたしの座っていたいすをひいて、わたしをイスから落としました。私は、涙目になりながら、
「おい田中。何でこんなことをするんだよ。」
とおこって言いました。すると、田中君は、
「おれ、やってねえよ。」
と言い返してきました。私はその後、
(またなんかやられないかな。やられたらどうしよう。)
と思って、とても不安で集中して作業ができませんでした。
 次の日のそうじが終わった後、やはり同じ事を言われました。
(まったく。こりないやつだな。)
と思いながら、言葉の意味が知りたくて、男子をおいかけまわしました。後ろのほうから、
「由紀、相手にしないほうが良いよ。」
と言う声が聞こえたので、ふり返ったら、姉の美紀がいました。私は、美紀に服を引っ張られながら、教室にもどりました。
(男子の言っている言葉も気になるけど、美紀の言うとおり、相手にしなければいいのか な。)
と思いながら、五時間目の授業を受けました。

 この作品が出てきたときに、校内に人権部会で話題にして、担任に働きかけて、この文をもとに、授業をすることになった。授業者は、人権部会の人が行った。私は、この授業の前に、姉に妹のことを色々たずねた。私は、妹がからかわれていることは大変なことなので、ぜひ、姉の立場で妹のことを文章に書いてほしいと働きかけた。最初ちゅうちょしていたが、最終的には作品として仕上げてくれた。当日は、その姉の文章も一緒に読んでもらうことにした。姉は、自分の妹がずっとからかわれていることは知っていたが、関わらないようにしていた。しかし、内心は、本当に悲しいと言うことを涙ながらに読んでくれた。二人の文章を読み合いながら、ことの大変さに気がついて、からかった事実を正直に認め始めた。日記に文章が書かれていなければ、このような話し合いも出来なかったはずだ。

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