子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

1月25日(月 )山田ときさんの訃報

1月25日(月 )山田ときさんの訃報

 国分恵太さんを通じて、田中定幸さんの所に連絡が入った。その田中さんから、私に連絡が来たのである。2年ほど前に、百歳のお祝いををしていただいたという連絡が入った。思えば、山田ときさんのことを知るようになったのは、国分さんが亡くなる1年前に、ふるさと東根で作文の研究会が開かれた。その時に、国分さんが、記念講演をして、山田ときさんの娘さんの和子さんが、実践報告をされたのである。1984年の夏休みの出来事である。その時に、山田ときさんという方が、どういう方なのかを、色々教えていただいた。本当は、国分さんと結ばれるはずの人であると言うことだった。お二人で「教室の記録」という実践の本も出版された。しかし、国分さんが、治安維持法で逮捕され、結ばれることもなく、それぞれの道を歩むようになった。次の年に国分さんがなくなり、以来命日になると、国分家に出かけ、志を仏壇に添えた。国分一太郎生誕100年にむけて、教育記念碑を建てるために、かなりの資金を提供したそうだ。また、国分家に毎年添えられた志を、国分さんの弟の正三郎さんが、貯金通帳に積み立てておられた。正三郎さんが亡くなり、ご子息の恵太さんが、その通帳を見つけ、地元の山形の「こぶしの会」と「国分一太郎『教育』と『文学』研究会」へ、。各50万円の大金の寄付があった。我々の会も、大変貧乏な会であるが、このお金は、大変助かって今に至っている。田中さんのブログにさっそくそのことが載せてあった。謹んで、山田ときさんのご冥福を心よりお祈りいたします。
 
訃報
山形の山田和子さんより、ご連絡がありました。
お知らせ
母 山田とき 儀 1月22日 午後0時21分
享年百二歳 にて永眠いたしました
生前のご厚情深く感謝申し上げます
追って日程は
入棺   1月24日 午後 3時00分
(むさしセレモニーホール南陽通夜室にて)
仮出棺  1月25日 午前8時15分
葬儀   1月25日 午前10時00分
(むさしセレモニー置賜ホールにて)
(南陽市中ノ目 27-1 電話 0238-43-8484)
火葬  1月25日 午後1時30分
(南陽市斎場にて)
尚    火葬終了後 壇払い が御座います
喪主 山田和子
以上謹んでご連絡申し上げます。
国分一太郎「教育」と「文学」研究会 田中定幸

会の皆様へ
しんしんと雪の降る日のお葬式でした。
百二歳の山田ときさんをお送りするのにふさわしい、静かな中での、ゆっくりと時間をかけたお葬式でした。
藤田さんの弔電も、披露されました。また、「赤湯ばあちゃん」とよびかけるお孫さんの弔辞もあって、おもわず涙をながしてしまいました。50歳で退職されたあとの、「退婦教」での活躍等、弔辞から改めてたくさんのことを知ることができました。
もっと皆さんともに共有したい時間のようにもおもえました。
女教師として、母として、地域の先達として『路ひとすじ』にあゆんだ、ときさんにふさわしい、いいお葬式でした。
行篤院智綴慧教大姉
となられて、仏様となって、これからも私たちを暖かく見守ってくださることになりました。
心よりご冥福を祈念しつつ、また、教えていただいたことを、つなげ、深める役目をになっていかなければいけないと思いました。
国分恵太さんと一緒に参列しました。研究会の生花もかざられていました。
和子さんから、皆様によろしくお伝え下さいとのことでした。

田中 定幸

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