子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

10月10日(月) 山形大会の報告その3

10月10日(月) 山形大会の報告その3

「国分一太郎の詩〈「胸のどきどきとくちびるのふるえと」をなくすとは〉―井上ひさしの推薦文「忘れられない少年詩」をめぐって― (2010その後)」 梅津恒夫(会員・山形県長井市)

共同研究者 安部 貴洋

 本報告は、2010年の報告「〈「胸のどきどきとくちびるのふるえと」をなくす〉とは―国分一太郎の少年詩から/生徒たちと共に、書き、考えた日々―」(第6回国分一太郎「教育」と「文学」研究会)の続編とでも呼ぶべきものである。ただ、単なる続編ではない。井上ひさし(1934-2010)の生涯、そして思想に深く分け入り、思想の源流に国分一太郎を見出すという非常に壮大な報告である。
 2010年の報告では、1980年代の学校で梅津先生ご自身が体験されたこと、「胸のどきどきとくちびるのふるえと」の意味の考察、そして丸山眞男の読み直しが語られている。これらのテーマは今回も大きく変わっていない。ただ、今回の報告ではこれらのテーマが井上ひさしの生涯、思想を通して問い直されるという点において大きく異なる。井上ひさしを励まし続けた「東北の小都市の中学教師」、井上ひさしのなかの国分一太郎、そして井上ひさしのなかの丸山眞男を探求している。これらの探求を通して、井上ひさしの到達点に達し、そこに国分一太郎の姿を発見する。報告は次のようにまとめられている。「作家井上ひさしが戦後の新制中学発足当時教室で聞いた国分一太郎少年詩の響きは、その後源流となって井上ひさしの心に流れ続ける。さらには丸山眞男という大きな川と合流することで大きく目を開かれ、それが昭和庶民伝三部作・東京裁判三部作を生み、「日本人(ママ)には主語がない」の表現を生み出した。井上作品は根底で、つねに・最後まで、国分詩を胸に響かせ、「むねのどきどきと、くちびるのふるえと、それを、このぼくは、はやくなくさねばならない。」の声にうながされたものであった、と言えるのではないか。」(配布資料、22頁)
 この報告に対して会場からは、報告①との関連において、井上ひさしの「主語がない」ことを前提に戦争体験を語ることの必要性があるのではないかといった感想が寄せられた。また、会場からは「スゴイの一言」といった感想が寄せられている。この点、すでに乙部先生は2013年8月の綴方理論研究会における講義「とつおいつ61」において、「梅津の学者魂に、感服」と結んでいる(「綴方理論研究会9月例会のご案内 2013年」『えのさんの綴方日記』、http://www.yunochika.net/index.php?、2016年8月3日閲覧)。これらの感想等にあるように、本報告は私自身に関してはもちろんだが、これからの会の課題、在り方等に向けても多くのことを示唆している。だが、なにが梅津先生をここまで駆り立てるのか。その始まりが梅津先生の1980年代の生徒との出会いにあったことは言うまでもない。だが、同時にそこに国分詩「胸のどきどきとくちびるのふるえと」もまた見ることができる。国分詩が井上ひさしを促し続けたように、梅津先生もまた国分詩の声によって促され続けてきたのではないか。そして、その声はわれわれをもまた促し続けているように思える。その声にわれわれは応えなければならない。(山形県立米沢栄養大学)「北に向かいし枝なりき」より

安倍貴洋さん

 理論研究会で乙部武志さんが、「デューイ教育思想と生活綴方」を読むと言う論文を読み合ったときに、その論文をまとめた方が、安部さんであった。デューイと言う名前は、「経験主義」を大切にする人程度で、その深い理論などは、知らなかった。それを、乙部さんが、様々な事例を入れながら、我々に解説してくれた。その時は、青森の大学に勤めておられた。この論文を通じて、名前を知るようになった。今から、6年以上前のことである。この論文が、生活綴り方と繋げて論じられていたこともあって、1回だけの学習でなく、かなり時間をかけて学習した覚えがある。そのくらい中身の濃い論文であった。
 やがて、安部さんには、山形で国分一太郎の研究会があったときには、案内状を差し上げて、我々の会に参加してくださるようになった方である。やがて、縁あって、山形の大学に転勤され、ますます大切な指導者になってくださった。第10回の大会に記念講演をお願いし、「生活の風が吹きはじめる場所」―デンと生活綴方―
と言うテーマで、講演していただいた。国分さんのお母さんによって、国分さんがどんな苦境の時にも、母の優しい言葉によって救われていった話をされた。国分さんが書かれた「私の中の母と子」〈百合出版〉の中の文章を引用しながら、鋭い分析をしてくださった。私も、この本を、国分さんから直接お借りして読んだのだが、これほどていねいな読みは出来なかった。
 今回、山形の研究会の梅津恒夫さんの〈「胸のどきどきとくちびるのふるえと」をなくすとは〉―井上ひさしの推薦文「忘れられない少年詩」をめぐって―の報告の時の共同研究者をして下さり、そのまとめをして下さった。そのまとめの中に、私のホームページ「えのさんの綴方日記」の中の文章を引用して下さった。何かありがたいことである。 
 今回、池袋の会に来ていただき、「国分一太郎と北方性教育運動」研究における課題」という縁合いで、お話をしてくださる。楽しみにしている。
 

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