子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

10月10日(月) 山形大会の報告その4

10月10日(月) 山形大会の報告その4

 梅津恒夫さんが、研究報告した国分さんの詩は、次の詩である。梅津さんは、この詩が、戦後教科書に載ったのであるが、いつ、どこの教科書会社で、どのくらいの期間載ったのかを調べるのが、研究のきっかけであった。しかし、そのことについての文献が、どこにも書かれていない。やがて、晩年に国分さんが亡くなる前に「国分一太郎文集」全10巻を刊行した。その中に、井上ひさしさんが、少年時代にこの詩を読んで感動したと言うことを、何巻かの本の中に、宣伝用にメッセージを送ってくれたのである。梅津さんもそれをお読みになり、国分一太郎と井上ひさしを繋げて、今までの研究の経過を発表して下さったのである。
「胸のどきどきとくちびるのふるえと」
           国分 一太郎
むねのどきどきと、くちびるのふるえと、
それを、このぼくはなくさねばならない。
きょうの自治会で、
おもわず「議長」とよんで手をあげたとき、
名前をよばれて立ちあがったとき、
ぼくのむねは、やっぱりどきどきとたかなって、
へそのあたりまで、それはつたわっていった。
くちびるは、わくわくとふるえだし、
くちびるに、水けはなくなっていた。
ぼくはいいたいことのはんぶんもいえず、
いや三分の一さえいうことはできず、
みんなのうす笑いをさそっただけで、
ことりとすわってしまったのだ。
役人と地主さまのまえではものもいえないと、
よく、おじいさんやおとうさんはいっていた。
ひゃくしょうの子とうまれたぼくの血のなかには、
ぼくのくちびるや、ぼくのむねには、
よわくてふるくて、いくじないものがのこっている。
学校で自治会のあった帰りみち、
なしの花が白くさいたくろ板べいの下をとおりながら、
ぼくは、ほんきになってかんがえていた。
むねをはり、くちびるをなめなめ、かんがえていた。

むねのどきどきと、くちびるのふるえと、
それを、このぼくは、
はやくなくさねばならない。
 『子どたちへ』(国分一太郎文集10・新評論より)

君ひとの子の
師であれば
とっくにそれは
ご存じだ
あなたが前へ行くときに
子どもも前を向いて行く
ひとあし ひとあし
前へ行く

感動的な詩

 「君ひとの子の師であれば」の詩は、現在国分さんが戦前勤めていた山形県の長瀞小学校の校庭の脇に、教育記念碑として刻まれている。現在は、長瀞小学校は、別の場所に建てかえられたが、今は公民館になっている。この記念碑は、国分さんの生誕100周年の時に、全国の人々にカンパをお願いして、建てられたものである。毎年その場所には、国分さんの墓参りをしながら、参加者と一緒にその場所で記念撮影を撮っている場所である。

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