10月19日(土) 神野直彦さんの考え
10月19日(土) 神野直彦さんの考え
昨日、理論研究会があった。その折りに、添田さんが、神野さんのインタビュー記事をコピーして、私にくださった。さっそく、朝日新聞のデジタルで、調べたら、今年の4月23日の記事が出てきた。さっそく、それをコピーして、ここに載せることが出来た。
(インタビュー 平成から令和へ)財政の機能不全 東京大学名誉教授・神野直彦さん
2019年4月23日05時00分
写真・図版「租税は『良き市民が負担する文明の対価である』という認識を、国民が持たなければいけない」=山本和生撮影
平成を通じて、日本の財政は膨らみ続けた。国の一般会計の歳出は100兆円規模、国と地方の借金は1千兆円と国内総生産(GDP)の約2倍に匹敵する。なぜこんな状況に陥ったのか。どうすればよかったのか。地方財政審議会会長などを歴任し、政府の経済財政運営に物申す立場だった財政学者の神野直彦さんに聞いた。
国の財政からみると、平成はどんな時代でしたか。
「『悪循環』の時代です。経済成長をめざして減税したものの、増収も成長もできず、社会保障サービスは抑制が続き、貧富の差が拡大した時代だといえるでしょう。本来の財政とは、社会に生じる様々な困難を解決して、国民を幸せにするもの。それなのに、財政が逆に人々を不幸にしてしまった。財政の機能不全です」
元年(1989年)に消費税が導入され、段階的に税率が引き上げられた平成は「増税の時代」だったのでは。
「それは誤解です。国民所得に対する租税の負担率をみると、平成のピークは89年度、90年度の27・7%。その後は下がりました。最近は持ち直したものの2018年度は24・9%です。昭和の時代は国が借金をしても財政赤字はさほど増えなかった。税収も増えていたからです。平成に入ると税収が一気に落ち、歳出との差が広がった。90年代前半まではバブル経済の崩壊が原因でしたが、後半以降は政府が構造改革の名の下で進めた政策減税によるものでした」
何のための減税だったのでしょう。
「経済成長をとにかく追求したのです。『上げ潮政策』と呼ばれた減税重視の財政運営は、活力ある社会、努力ある者が報われる社会をめざしました。経済の牽引(けんいん)役が伸びれば、低所得層にも恩恵が行き渡る『トリクルダウン』が起き、税収も増えるという算段でした。しかし経済は成長せず、税収は下がる結果になりました。一方で、歳出は社会保障を中心になだらかに増え続けたため、雪だるま式に赤字が膨らんでいきました」
なぜそんな過ちを犯したのですか。
「そもそも国の税制論議が『減税の方向性は正しいが、減税のボリュームが足りないから経済が成長しないのだ』という方向になってしまった。政府は政策ミスを認めず、『もっと減税すべきだ』という便法をとりました」
政治に追従した財務省(旧大蔵省)に罪はないのですか。
「旧大蔵省は、あくまで所得税・法人税の減税は消費増税とセットだという考えでした。しかし、細川政権下で浮上した94年の国民福祉税構想をはじめ増税策は軒並み失敗し、減税だけが残る結果となった。これに財務省の戦略ミスも重なりました。このまま財政赤字が続けば将来世代が大変になるぞと、財政赤字をあおって増税を実現しようとした。財政は生活を支える国民の財布なんだ、という意識を社会に浸透させる道をとるべきでした」
政治家も官僚も、不人気の増税に及び腰だったのでは。
「減税すれば経済成長するという神話に毒されていたのです。戦後の日本は、シャウプ勧告に基づく累進性の高い所得税・法人税制がうまく機能していました。経済が成長する時は累進的に税収が増えるため、財政をまかなえた。だから、成長の配当として減税ばかりやってきた。しかし、70年代の石油危機後は低成長時代に入り、所得税・法人税中心の税制では、増大し続ける社会保障を維持できなくなった。もっと早い段階で他の先進国と同様に、所得税・法人税の課税ベースを広げるなどして税収を確保すべきでした」
自民党一党支配の限界だったようにも見えます。
「自民党のほかに代替案がなく、対抗する政治勢力が弱かったとしか言いようがありません。政策形成能力がある野党が育たなかったため、議論が非合理的な方向に進んだ。自民党もかつては多様な利害を包み込む政党だったが、09年に下野した後は政策の幅が狭まってしまった」
09年の政権交代は日本の財政が変わるチャンスだったと。
「民主党は代替案を示し、実行に移す責任がありました。『コンクリートから人へ』というメッセージの方向性は間違っていなかったし、公的年金の一元化や教育の無償化など掲げた理想は高かった。しかし、中途半端で失敗に終わり、国民は政治に失望した。民主主義に対する幻滅を生んだともいえ、歴史的責任は大きい」
なぜ失敗したのですか。
「政策立案機能を担ってきたのは官僚です。日本でも戦前の官僚たちは英国のように、政権交代を意識して2種類の政策を用意していた。戦後は長らく政権交代が起こらなかったため、こうした慣習が薄れた。民主党政権が官僚たたきに走ったのも一因です」
民主党の政策には、神野さんが唱えてきた政策の一部も採り入れられたのでは。
「私は、財政学者として自分の思想を唱え続けてきました。民主党のマニフェストにはその一部が入ったが、実現しなかった。結果として、日本を幸福とは逆の方向にかじを切らせてしまった責任がある。歴史の中に生きる人間として批判を甘んじて受けます」
平成を通じて、世界の経済秩序はどう変化したのでしょう。
「第2次大戦後の世界は、米国が覇権を握るパクス・アメリカーナ(米国による平和)の時代でした。平成は、その秩序を支えてきた欧州や日本が停滞する一方、中国やインドなどが頭角を現した。パクス・アメリカーナ後を探る過渡期でした」
「日本は脱工業化社会に向けて経済や社会の構造を変えざるをえない転換期にありました。にもかかわらず政府は構造を変えないまま成長をめざし、利益が出ている部門の利益をさらに増やそうと減税戦略をとりました。戦後の重化学工業化において世界有数の『優等生』だったがために、なかなかマインドチェンジができなかった。いまなお新しい産業構造はできず、経済は停滞したままです」
経済成長の実現には、いったい何が必要だったのでしょう。
「国民経済は、市場と財政が車の両輪となって初めてうまくいきます。市場はエンジンであり、財政はハンドルなのです。経済を伸ばすには産業構造を、知識集約産業やサービス産業などソフトな産業を基軸に変える必要がある。その副作用に備えて、職業訓練や生活保障など社会的な安全網を強くして、失敗してもトランポリンのように戻れる仕組みをつくるべきでした。正規と非正規社員に二分化されて賃金格差が拡大する傾向に対応し、格差に対する税や社会保障の対応も必要でした」
平成は日本の家族のかたちが変わった時代でもありました。
「日本型の社会福祉を補完してきた家族や共同体の機能が崩れていった時代でした。だからこそ、国民に安心をもたらすために増税して『大きな政府』をめざす、というべきだった。それなのに自民党も民主党も事業仕分けと称して生活に必要なサービスまで打ち切り、『小さな政府』にかじを切った。国民は、国が自分たちの生活を支えてくれている実感がもてなくなりました。『保育園落ちた、日本死ね』という女性の悲痛な言葉はその象徴だといえます」
新年度予算の一般会計の歳出は、当初予算として初めて100兆円を超えました。これでも「小さな政府」ですか。
「GDPに対する財政規模ではなく、生活保障機能という観点でみれば、いまの日本は間違いなく『小さな政府』です。歳出がなだらかに増え続けたので『大きな政府』と思う人が多いかもしれません。でも歳出が減らなかったのは、借金の返済が増えたことと、高齢化に伴う社会保障費の自然増があったから。政府は歳出を抑えようとしたが、できなかっただけです。いまはあせって財政再建を急ぐよりも、社会や経済の障害をなくしていく方が大事です」
まずは国の借金返済を優先すべきではありませんか。
「直ちに日本がギリシャのように財政破綻(はたん)に陥ることはないと思います。ただ、借り入れに依存し過ぎるのがよくないのは事実です。返済のための公債費が膨らみ、必要な公共サービスができなくなる。悪性インフレが起こる可能性もゼロではありません」
10月からは消費税が10%に引き上げられる予定です。
「日本の中間層の重税感が強いのは、所得税・法人税が控除や特別措置で抜け穴だらけになった一方、消費税だけがじわじわと上がってきたことが大きい。財政のありがたみが感じにくいのです。政府には増税の先にどういう将来が待っているのか、そのビジョンを示すことが求められています」
次の時代の財政はどうあるべきですか。
「国民が主体的に参加して財政を有効に機能させる。経済を活性化させて、心の豊かさが得られる日本へとかじを切る。『公の再創造』の始まりを期待しています」(聞き手・日浦統)